在らずの庭の遊戯
これは、私達よりもほんの少しだけ賢い人類のお話です。
この世界では、全ての人が幸せに生きています。
私もかつてそこに住んでいたのですが、ある事情で大半の記憶を失ってしまいました。
ですから今日は、私がその世界について覚えている数少ないことの一つをお話ししましょう。
この世界には昔から伝わるひとつの遊びがあります。
その名は「ユートピア」。
遊び方を説明しておきましょう。
まず、話し手一人と聞き手に分かれます。
話し手は自身の想像力を駆使して、ひとつ「愚かな世界」を想像します。
そして話し手は、そこに生きる愚かな空想人類の滑稽さを聞き手に語ります。
あまりにも突飛な世界が想像されて聞き手が笑いを堪えられなくなると、
その世界のナンセンスさを認めて「ユートピア!」という掛け声を送ります。
以上、とても簡単な遊びです。
そして今日は、私が知るユートピアの中でも特に滑稽だったものをお話しします。
きっと、幸せな世界と言われてあなたが聞きたいのはこんな話ではないのでしょう。
しかし、あいにく憶えていないのです。
あの幸せな世界への憧れはこれほど強いのに、なぜはっきりと思い描くことができないのか。
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これは、ある男と彼の友人によって語られたもので、とても有名なものです。
男 「この世界には『法』なんてものがあるんだ。」
友人「へえ、そいつはなんだい?」
男 「ここの住人は欲のために嘘をつき、盗みや殺しさえするのさ。そのくせに、普段は漠然と世界の平和なんて望んでいる。自分が悪事に走るまで、『俺が悪人になるはずがない。悪事を働く奴は自分とは違う類の人間だ。』って思い込んでいるんだよ。」
友人「全ての人間に善意を求めるくせに、まず戦うべき自分自身の悪意は見て見ぬふりなのかい?そいつは滑稽だ!」
男 「そんな愚か者達が考えたのが『法』だよ。頭の悪いこの人類は、争いのない平和な世界を目指して『これはしてはいけないことだ』ってことをメモして共有し、破った者に罰を与えるのさ。」
友人「いい考えじゃないか。鶏同然の頭でも、書いておけば忘れることはない。仮に鶏未満でも、痛みを与えて躾ければ学習するだろう。」
男 「ああ。たとえ頭が切れなくても、忘れないよう法に刻んで共有すれば進歩できる。悪事を禁止事項に定めていけば、悪事は無くなり世界は平和になる。そのはずだった。」
友人「待ってくれ。まだ何かあるのかい?君の言った通りなら、愚かな彼らでも平穏な世界を得るのは時間の問題のはずだが。」
男 「それがあるんだよ。彼らときたら、今度はこのメモの解釈を巡ってお互いに争いを始めるんだ!『この法が破られたのは明白だ。』『いや、この場合は適用外だ。』って具合にね。」
友人「驚いた!争いを無くすための法で新たに争いを始めるとは!」
男 「禁止事項を定めて正しいことに目を向けるのが法の目的だった。しかしそのうちに、法は単なる罰のリストだとしか思われなくなってしまう。そして人は正しいことを行うのを忘れて、いかにして罰を言い逃れて悪事を行うかしか考えなくなる。僕が考えたのはそんな世界さ。」
友人「ユートピア!全く馬鹿げているよ。法は善い世界を目指して人類が進歩するための手段じゃなかったのか。」
男 「僕も話していて馬鹿馬鹿しくなってきた。世界広しといえど流石に在りはしないだろうね、こんな愚かな世界は。」