私とワタシ
瞬間、美咲の動きが止まった。とんとん、と窓を打つ聞き慣れない物音が部屋の天井まで広がって聞こえ、ゆっくりと静寂の中へ溶けていった。誰かが、部屋の窓を叩いたのだ。美咲は息をおさえ、音をたてないようにして、じっと遮光カーテンを見つめている。
こんこん、と今度は先ほどより力強く、人間の意思がはっきりと感じられるようなノックの音。美咲はぎょっとして立ちあがり、恐怖と緊張を混ぜ合わせた表情を浮かべながらじりじりと窓に迫り、ほんの少し間をおいてから力いっぱいカーテンを開け放った。
そこにはいつもと同じ風景、何事も起こり得ない夜の街があった。美咲は窓を開け、身を乗り出して素肌に風を受けた。どこまでも続く田畑の先に、不自然に輝くラブホテルの看板がいくつも連なって見える。どこにでもある、眠気を催すような退屈な街並みである。
「あなたね? ワタシを呼んだのは」
「え……」美咲は、声のする方、夜空を仰いだ。
「ちがうの?」
美咲は混乱していた。
言葉の内容よりも、その姿、自分にそっくりの容姿に驚いたのだ。
「なに、これ、ちょっと待って、あなた誰?」
「誰って言われても、ワタシはあなたを導く存在。ただ、それだけよ」
美咲は目をつぶり、ワタシが私を迎えに来た事について思考を巡らせていた。
「導く存在……。導くって、一体どこに?」
「それは、あなたが一番よく知っているでしょ?」
「知らない、私、そんなの知らないわ」
「そう、困ったわね。でも、行けばきっと分かると思うけど」
しばし沈黙。美咲は、カーテンの裾をいじりながら、何かを考えている。
「いつ、戻れるの?」
「好きな時に戻れるわよ。だって、そのための魔法だもの」
「――魔法。不思議な響きね」
「正確に言うと、ワタシとあなたの力なんだけど……」
「夜明け前には、帰れるんだよね?」
「もちろん、約束は必ず守るわ。さあ、つかまって」
美咲は手を伸ばし、もうひとりの美咲の手に体を預けた。二人は、無数の星たちに抱かれながら天を目指し、少しずつ地上を離れていった。美咲は、落ち着いた様子で昏々と眠る街を見下ろし、小さな小さな光の粒に変わってゆくホテルの看板を眺め続けた。