第95話 奪われた制御
フラウ視点です
最初の異変は、イグニスと酒を酌み交わしている最中に起きた。
「あん?」
「どうかしたのかな?」
おかしな声を上げたイグニスに、私は酒を注ぐ手を止め、ひたすら首を傾げるイグニスをじっと見つめる。
彼がこんな風に戸惑った顔をするのは、彼が若い頃、何度か人生の道に迷い悩み、意見を求める時ぐらいのものだった。
だが、今や彼もいい年の老人。迷うことはあるかもしれないが、悩むことはあまりないだろう…。
「フラウ。一つ聞きたいことがあるのだが」
「うん?」
「俺はエルフとリューク王に関する歴史を知りたくてここに来た…はず」
「それも一つの理由だったね」
「…他の理由は何だった?」
ピタリと私の動きが止まる。
この現象を、私は以前見たことがあるのだ。それも、一番見たくなかった時期に目の当たりにした。
忘れもしない。アマゾネス・イリューゼの死後だ。
「まさか…」
「何か起きたというわけか…?」
イグニスは何か違和感を感じて異変を察したらしい。
さすがは元・私の騎士であり、弟子だ。老化して衰えようと、記憶が消えようと、経験から何かが起きたことがわかるのだろう。
私達は立ち上がると、すぐに部屋を飛び出した。
ルゼ達が泊まったのは、男達の泊まる部屋から離れた長老の家の離れである。
廊下で繋がるその離れに向かって走る途中、ルゼのいるであろう部屋の方角からは何やら不穏な気配を感じ、思わず舌打ちする。
「シャルが付いているので大丈夫だと思っていたのですがね」
「竜王か…。っと、フラウ、先に行ってくれ。お客さんだ」
すっかり自称護衛時代の口調に戻ってしまったイグニスは、愛用の剣をスラリと鞘から引き抜くと、私に背を向けて構える。その視線の先には、廊下の暗闇しかないが、その暗闇の中に、こぽこぽと奇妙な音が響く。
アンデッド系の魔物が現れる前兆だ。
本来のエルフならばそんなものを喚び出したりはしない。
彼等は、おそらくエルフの中でも、堕ちたエルフと呼ばれるエルフにも人にも属することができなくなったはみ出し者の集団だ。
詳しいことは知らないが、森のエルフ達は、彼等が故郷に足を踏み入れることを良しとしてないと聞いたことがある。何か罪を犯しているとも。
でなければ、森の民たるエルフが、あんなドワーフのような姿になるはずもない。
いや…別にドワーフを馬鹿にしたりはしていないけれど、さすがにあの姿は…エルフとしては…。
それはともかく、あんなものを喚び出すエルフが潜んでいる可能性もあると言うことだ。
「イグニス、エルフの気配に気を付けて」
「俺は老兵にできる事しかせんぞ」
にやりと微笑むイグニスに、私はほっとして頷いた。
彼は人とそうでないものの実力の差をよく知っている。その上で判断する経験値も豊富だ。任せて大丈夫だろう。
そう判断すると私は再び駆け出したが、前方からは竜の咆哮と、それに続いて破砕音が響いてきた。
シャルが暴れている!? やはりルゼに何か…?
驚いてさらに加速しようと一歩踏み出した瞬間、ぐにゃりと世界が揺れた。
「!」
あまりの出来事に、よろめいてドンッと壁に肩をぶつけ、もたれかかるようにして立ち止まる。
世界が揺れた気がしたのは一瞬だ。だが、その一瞬で、何が起きたのかも瞬時に察することができた。
竜から、魔法制御が奪われた…!
これは本来竜族の竜王と呼ばれる者しか知らない事実だが、彼等竜族は世界に流れる魔力を喰って生きている。
あまりに濃すぎる魔力は世界を崩壊へと導きかねず、そのために生まれたのが竜だというのだ。
あまり詳しいことはわからないが、それでも、竜でない自分が感じた異変は大きい。シャル達竜の血が濃い者への影響はこんなものではないはず。
それに、竜から魔法制御が奪われたならば…。
魔力の暴走が起きる…。
たとえて言うなら、ランプに火を付けるだけの魔法が、家を焼く魔法と化し、魔物を倒すための炎が、髪の先を焦がすだけの威力しかなくなるということがあちこちで起きる。
魔法で命を守ることも、生活することも難しくなる。
全ての魔法バランスが崩れるのだ。
そして、バランスを崩した世界を相手に、エルフ達には対処する方法が無い。
できることは…。
「魔法を一切使わないか、魔法を使って自爆するかの究極の選択というわけかのぅ」
心を読んだかのような声に驚き、声が聞こえてきた足元を見れば、二股の尾を揺らすシャムネコ…のような猫が尻尾をゆらゆらと揺らしながら、溜息を吐いた。
「反魔法勢力にゴミエルフ。無い頭で考えたにしては、魔法を使わせぬようにするに最良の手じゃが、最低の手とも言えるの」
「君は、シャルの所の裏子猫隊かな?」
シャムネコのような猫は尻尾で床をぺしりと叩いた後、さらにタシタシと手で床を叩いた。
「肩書なんぞはどうとでも良い。今はゴミどもを黙らせ、竜王を眠らせねばなるまい」
「そうだね」
私は軽く目を閉じた後、何度か瞬きを繰り返し、もう世界が揺れていない事を確認した後、猫と共に再び走り出した。
グオォォォォォォン!
「何と言う叫び声じゃっ!」
叫び声と共に胸をわしづかみするかのような感情が流れてきた。
これほど長く生きてきて、こんな痛みを感じたのは妻達が亡くなった時以来だ。
「そうだね。まるで、愛する人を無くしたかのような悲鳴に聞こえる」
「実際そうなのだろうよ。ルゼは生きておるが、竜王の記憶からは一切の記憶が抜き取られておる筈」
「シャルの記憶も?」
「うむ。シャルだけでなく、竜族全てから、理性、知性、記憶を奪いおったのだ。残された感情が行き場を失い、悲鳴を上げておる」
「そういうことなら、今は少しでも早く眠らせてやらねば…」
駆ける先に見えてきた部屋のドアが目の前で粉砕され、見えるのは、シャルの体の一部だ。
「先に行くぞっ」
猫は加速してスピードを上げると、目にもとまらぬ速さで部屋に飛び込み、私が続いて部屋に飛び込むと、目の前にはルゼに向けて口を開けるシャルの姿があった!
咄嗟に掌底を竜の顎に打ち、シャルを仰け反らせると、その後ろでくるりと宙返りした先程の猫が、二股の尻尾と猫耳を持った妖艶な美女に変化する。
子供でないことに驚いたけれど、彼等の不思議は考えても始まらないだろう。今はルゼを逃がし、シャルを沈めねば。
「…ここは私が引き受けよう。オリビア、ルゼをお願いしていいかな? エルフにはばれないよう魔法は禁止でね」
振り返れば、一瞬ルゼは痛みを堪えるような表情を浮かべたが、聡い彼女だ、何かを察したのだろう。ルゼは思いを堪えるように拳を握った。
こういう所はイリューゼの時から変わらない。周りに心配させない様に気丈に振る舞うのだ。
イリューゼであれば、彼女を支えるのは私の役目であったけれど、今は…。
ルゼに微笑んだ後、シャルを見据える。
今は、シャル、あなたの役目です。早く戻ってきなさい。
「…フラウ」
「はい」
背後の覚悟を決めた様な声にほんの少し胸がうずく。
大丈夫です。貴方の夫となる人は必ず助けますよ。これがあなたを護れなかった私の罪滅ぼしになるかはわかりませんが・・。
そんな思いを抱いて、本気の竜と対峙する覚悟を決める。
と…。
「…玉括りはしないでね!」
ガクリと気が抜ける声がかけられ、私は口元に笑みを浮かべた。
こんなところも変わらない…。
「善処しましょう」
できるかわかりませんが。
心でぼそりと呟き、ほんの少し肩の力を抜いて、シャルと対峙するのだった。
猫 「私はこの乱れた魔法を安定させ、竜王の魔力を押さえてやろう」
フラウ「それでも、本気の竜王と戦うのは骨が折れますね」
猫 「ふふふ、泣き言かのぅ? ならばどうするつもりじゃ?」
フラウ「いざとなれば…玉括りで」
猫 「…あ~。まぁ、ほどほどにな…」
シャル、まさかの大ピンチ!!




