第48話 竜への影響
「陛下、落ち着いてください」
グラハムの冷静過ぎる指摘に我は動かし続けていた足を止める。
手には目を通すべき決裁書があり、先程からこれを親の仇でも見るかのように凝視しているのだが、内容は全く頭に入ってこない。
おまけに、どうしても座っていることができず、動き回っていなければ、今にもどこかへ飛び出してしまいそうなほど心がざわついていた。
「どう落ち着けと言うのだ! ルゼが…ルゼが…」
「兎ちゃんが初潮を迎えるとシャルにも問題があるの?」
国内の問題をある程度捌けるように成る為にと、この時間は我と共に決裁書に目を通し、グラハムや我の意見を聞きながら決裁書を可と不可に分ける仕事を始めているルドヴィークは、口調はともかく、真剣に決裁書と資料に目を落としながら尋ねる。
我とルゼに興味があるのかないのか、よくわからない態度だ。
思わず半眼で奴を睨んでしまったのは、今現在のこの状況に苛まれての事だろう。
我は早朝にルゼの血の臭いを嗅ぎ、それが初潮によるものだと黒猫に聞いてから、かなり気がたっている。
「竜族は番の血の臭いに弱いのですよ。少し離れた国の色ボケ竜王ですと、その時期は番を誰にも見せず、誰にも触れさせず、己の腕の中でのみ生活させるという狂いっぷりです」
グラハムの答えは間違ってはいないのだが、なぜか棘がある。
我とてルゼを腕に閉じ込め、誰も来ぬ場所へと隠れてしまいたいが、ルゼは現在薬を飲んでぐっすり眠っていると聞いているので、その妨げになるようなことはできない。
「色ボケって…。あ、うん、理由は聞きません」
グラハムの棘を感じたルドも思わず顔を上げたが、グラハムの青筋の浮かぶ笑みを見やり、直ぐ様俯いて資料に没頭するフリをした。
おそらくだが、グラハムの言う色ボケ竜王というのは、昔グラハムが惚れた女を横からあっさりと掻っ攫っていったという竜王の事だろう。
グラハムには先立たれた妻がいるが、彼女とは政略結婚で、後々に溺愛している。
だが、恋愛に関して言えば、色ボケ竜王とのとある出来事が、グラハムに二度と恋愛などしないと誓わせているのだ。
やはり今も恨んでいるのか…。
相手の竜を知っている為、複雑である。
「でも、血の臭いで何でそんな反応なのさ?」
我は現在人の姿なのだが、どうにもこの暢気な意見に殺意を抱いてしまい、ぐるるるると威嚇するような唸り声を出してしまう。
これにはルドも驚いて目を丸くしている。
「え? なんかまずいこと言った?」
「いや、違う。まずくはない、ないが…」
「番の命を軽んじるようなことを口にすると陛下に蹴り飛ばされますよ」
「グラハムッッ」
ルドが悪いわけではないのだが、どうにも凶暴になってしまうのは竜の性だ。
そして、おそらく、グラハムは蹴られたことがあるのだろう。その飄々とした表情の中に、激しい怒りのようなものが感じられる。
我は自分を落ち着かせるためにため息を一つ突き、ドカリと乱暴に執務室の中央にある来客時用の一人掛けソファに座った。
「竜族の多くは番となる者からの許可を得て、初めて番となる。そして、その番の血に何より反応する」
とりあえず自分を抑えるためにも説明を口にする。
「何で?」
黙って聞いていればよいものを!
再び唸りながら、竜眼を開き、斜め向かいに座るルドの胸ぐらを掴んでしまった。頭では離さねばと思うものの、彼を持ち上げるように立ち上がり、その手を離さずに続ける。
「血を流すことはその命の危機を示す。竜が傍にいながらみすみす番に血を流させる等ありえないという話だっ」
「うぐぐっ。わ、分かったから離してっっ」
じたばた暴れるルドに、グラハムは憐みの視線を向けつつ、テーブルの上を片付けてお茶を並べる。
淡々とこなすその作業を視界の片隅に写し、我はようやくルドの胸ぐらから手を離し、これ以上自分が何かしないよう腕を組んで、もう一度ドカリと椅子に腰かけた。
「ごほごほっ。ひどいなぁ。…アレ? でも、その反応ということは、兎ちゃんはシャルを受け入れたんだ?」
「成人となる14まで待たねばならないが、誓約はされている」
「グラハムの初恋は…」
ルドはちらりとグラハムを見やった。
グラハムが振られていなければ掻っ攫わられることなどありえない…。という意見はわかる。
竜は番に認められなければ、彼等が死ぬまでひっそりと見守り、番の魂が新たに生まれてくるのを待つのだから。
グラハムは…。
「竜の習性を知りませんでした」
グラハムはぼそりと告白し、ルドは首を傾げた。
そう。普通の人間は竜の習性など知らないのだ。
そのため、グラハムとその恋人は、竜を何とか丸め込んで遠ざけようと、竜を受け入れる発言をしてしまったらしい。
当然竜は嬉々として恋人を掻っ攫い、恋人も何年もかけてほだされた訳で…。
「え…えぇと…」
「黒歴史ですな」
グラハムのギラリとした瞳と、恐ろしい微笑に、ルドは冷や汗を大量に浮かべた後、テーブルの上のお菓子に視線を逸らし、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「わ…わぁっ、美味しそうなお菓子ダネ。イタダキマース」
棒読みで告げながらお菓子にかぶりつくが、我の苛立ちは納まらないし、グラハムの黒い笑顔は消えないしで、かなり蒼褪めていたように思う。
コンコン
「入れ!」
どあのノックにもピリピリしながら答えてしまった。
「? 失礼いたします。巫女様が眠りから目覚められま…何かありましたか?」
メイドの黒猫が現れると、ルドはクッキーにかぶりついたまま、ドバっと涙を流し、そのまま黒猫に飛びついて行った。
「うわあああああんっ! 来てくれて嬉しいぃよぉ! 黒猫さん、僕を慰めてぇぇぇ!」
奴が黒猫の胸に到達する前に、沈められたことは言うまでもない・・・・。
取り敢えず、ルゼが目覚めたというならば、我はこれからルゼの見舞いに行くことにした。
ルゼが成人するまで、我は色ボケ竜のように腕に閉じ込めて離さない、ということはできないが、常に傍らにあって護るくらいのことはしよう。
でなければ狂う…。
我は冷静になればおかしいと思う様な誓いを立て、仕事は全てルドとグラハムに託して部屋を後にするのであった。




