第14話 大きな勘違い
『そなた、名前は?』
「ルゼだよ」
名前を名乗り、次は竜の番だと待ち構えていると、彼の口から発せられたのは明後日な言葉であった。
『ルゼ…そなた、我が妻にならぬか?』
「は?」
今。妻って言った? 刺身のツマでなくて妻?
えぇと…ルゼ、人生初のモテ期到来!?
いやいや、人生初と言ってもまだ始まったばかり。こんな早くモテ期が来たら、この先モテ期が来ないんじゃないかという不安に襲われる。
というか! ないでしょ! 6歳児にプロポーズはない!
ということは聞き間違いかな? やっぱり刺身のツマかな。
首を右へコテン、左へコテンと倒しながら悩んでいた私は、危うく酔って吐きそうになるのを「うえっぷ」と嘔吐き、口に手を当てて堪えると、竜が一瞬硬直した後、ぼそっと呟いた。
『我が求愛は…やはり気持ち悪いか…』
「あ、いやいや、今のは首を傾げすぎて酔っただけです。…ん? 求愛? て言うことは、やっぱりプロポーズ!?」
慌てて否定した後、驚きの真実に行きついて私が顔を上げれば、竜はすっと目を細めた。
何やら期待されている…。
求愛…竜が求愛。何年生きてる竜か知らないけれど、6歳児に求愛していいんだろうか? それともこう見えて実は6歳だとか、はたまたロリコンの気があるとか…。
『そなたが成人してから言うつもりであったが、つい口が滑った』
どうやらロリコンの気は無いらしい。
そこはほっとしたが、別の問題が浮上した。
かつて、アマゾネスの村の娘達でこんな話をしたことがあったのだ。
「竜って、叩き落として勝てば結婚できるけど、竜側から求愛することあるの?」
竜の夫を手に入れたければ叩き落とせ! が信条のアマゾネスの中で、その発想はとても新鮮だった記憶がある。そう言う私も、あの頃は竜は落とさないと駄目だと思っていたわけだ。
教育って怖いわ…。
「竜も強い者を妻とするよね?」
「じゃあ、例えば、竜が求愛したら、それは勝負をしろということ?」
「じゃない?」
「ん~。負けたらどうなる?」
若いアマゾネス達は真剣な表情で悩み、こう結論を出したのだ。
「負けた時は喰われろよってことだな!」
「「なるほど!」」
うむ、今まさになるほど! である。
つまり、この竜は私に喰うか喰われるかの勝負を挑んできているのだ!
と言われても、今のこの時点で喰うか喰われるかの勝負をしても体力で明らかに負ける。
竜は魔法も効き難いので、最大魔法を使えば何とか勝てるかもしれないけれど、それはやはり私の体力では一発勝負だ。
成人するまで待ってくれるつもりだったらしいけど、大人になっても体力がつくかどうか・・・・。
「取り敢えず…」
『取り敢えず?』
顔を上げると、目の前に竜の鼻面が!
だから近いんですって! 鼻息熱い!
一歩下がって竜の顔を見ると、びしっと指を8本立てた。
「8年待ってください!」
『8年?』
「そうです!」
そうしたらこの孤児院から巣立つので、竜相手ではあるけれど、逃げおおせて見せましょう!
それぐらいならばなんとかできそうな気がする。
竜はしばらく悩んでいたようだが、「ふむ」と呟くなり、私をその大きな舌でべろりと舐めた。
味見!?
『では、8年後に迎えに来ることにしよう』
は…8年後に確実に喰われる。
表情には出さず冷や汗だけをだらだらと流していた私は、そこでふと気が付いた。
「そうえいば、名前を聞いてませんでした」
『あぁ、そうだな。名前か…』
違う紅竜に粗相して怒られてもいけないしと思ったのだが・・。
なぜか考え込む竜。
人に名前を聞いておきながら自分は偽名を使うきだろうか? 猪口才な。
『シャルと呼ぶがいい』
「シャル?」
確認のために呼ぶと、シャルはもう一度ベロリンと私を味見した。
お蔭で顔の全面がヨダレでカピカピだ。
『そなたが妻になった時、その時こそ我が名を預けよう』
「ん・・」
顔をごしごし袖で拭きながら頷くと、私が眠くなったのかと思ったのか、シャルはぐるぐると機嫌良さそうに喉を鳴らし、私に頭の上に乗るように指示した。
どうやら部屋に戻してくれるらしい。
素直にシャルの頭によじ上り、ゆっくりとした動きで窓の中へと戻ると、シャルは立ち去り際に思い出したように告げる。
『3日後は夜更かしはするな』
「3日後?」
『月食だ』
月食! 月食ですと!
私の瞳はキラキラと光り輝く。
『我等竜族の力が最も弱まる日だ。魔物がここに来ないとも限らん。町の中に騎士は配置するが、必ず窓や出入り口はしっかり締めておけ』
「うんうん」
その後もシャルはいくつか注意事故を告げたが、私はそれらに生返事を返し、彼は不安そうにしながらも空へと飛び立っていった。
帰り際にまたもや味見をして…。
おかげで顏がヌルンヌルンになったじゃないか。これでパック効果があれば喜ぶが、顔がひりひりしてきそうだ。
それはともかく、月・食!
「よっし!」
私はぐっと拳を握ると、やっぱり顔がかゆいので、急いで顔を洗いに行き、やはりいつもの様に酸欠になって溺れたのだった…。
_________________
ばさっ
「お散歩は楽しゅうございましたか陛下」
空中で人型に変化し、窓から飛び込むように部屋に戻れば、真夜中だというのに一部の隙も乱れも無く佇む執事長グラハムが、大きめのバスタオルを持って待ち構えていた。
「あぁ、すまんな」
今夜はどれだけお小言を言われても、構わないと思えるほど機嫌がいい。
グラハムが我の裸体にタオルを巻きつけるのを任せ、ふわりと体から漂うルゼの香りに笑みを深める。
すると、小言を言うはずのグラハムが、なぜか無言でいるのに気が付いた。
「グラハム?」
「陛下…。陛下にもついに女性の影が…」
「は!?」
まさかばれたのか!? 有能な執事だから? いや、それはないだろう。
緊張しながらグラハムを見下ろせば、彼は我が背中、丁度人間でいう肩甲骨の辺りを指さしてにこりと微笑んだ。
「ここに傷が」
どうやら翼膜に付いたペンの傷が引っ掻いた様なみみずばれと共に表面化しているらしい。
竜の姿であれば毛穴ほどの傷だが、人型になって大きく表面化したらしい。まぁ、翼膜は他の部位よりも弱いからな。
「陛下にもついに…」
それと女とどう関係が…と考え、あぁ、と思い当った。
「残念だが女の爪痕ではない」
「違うのですか?」
「あぁ。6歳の少女の残した痕だ」
その瞬間、グラハムが硬直したのには気が付かなかった。
ここから数年、グラハムがルゼの存在を知るまで、彼にずっと誤解されることになろうとは、上機嫌なシャルこと、ヴァイマール王国・竜王、レンシャール・ディル・ヴァイマールは知る由もなかった。
ルゼの勘違い…そして、グラハムさんの大変な勘違い…
シャルはどちらも気が付かないのであった。