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鬼の面  作者: 有川
1章
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面と男(3)

 きらきらした音が耳に刺さって、そこにやがて女性ボーカルの声も加わる。眠さで無意識に、タオルケットをかぶって防いだ。布ごしに聴けば音は柔らかで、むしろ安眠を誘う。


「おい」


 しかしタオルは引きはがされ、私はがさがさと揺り起こされた。何が起きたのかと目を白黒させていると、眼前にストラップをわし掴みされた携帯が突き出される。


「これが煩い。なんとかしろ」


 次に見た顔は、いつにもまして上から目線な鬼二十のものだった。実際、寝ている私を覗き込んでいるのだから、上からになって当然だけど。

 ぼんやりと鬼二十の髪を見ながら、アラーム設定を守る携帯を受け取った。




 何日か前から私は、九十九神だという妖怪の男と同じ部屋で生活している。それは私の本意じゃなく、男が出ていってくれないのだ。


 鬼二十はたまに現れては気ままに振る舞い、私の蔵掃除には黙って同行した。こちらとしても、妖怪探知器兼、虫処理班として大いに助かっている。

 だからといってこの先の同居を受け入れたかというと、そんな事はない。その状況は蔵限定だし、未来のプライバシー丸ごとと引き換えにするには、あまりに重いだろう。



 今日は、母の運転で色々と買い出しの予定がある。携帯の目覚ましで起きるのは苦手だけれど、鬼二十が起こしにきたので間接的には成功だ。

 よほど携帯の音が嫌だったのか、鬼二十はどこか不機嫌そうにしている。そういえば朝に鬼二十が現れたのは初日ぶりだな、と考えながら、私はベッドから下りた。


「あの、私着替えるから、消える術? あれやって」


 服を用意しながら、ぞんざいに指示をする。出掛けるといっても、行き先はホームセンターと地域のショッピングモールだ。適当に選べば良いのに、ここ数日部屋着だった反動で、ついお気に入りを手に取った。

 その間も鬼二十の方から視線を感じたので、まだ見ている気なのかと肩越しに視線を返す。

 鬼二十は背後の勉強机に腰掛けて、目を伏せる。


「……一つお前の勘違いを正すと、姿を現すのが言わば妖術。姿を見せないのは術でもなんでもない」


 お前がこの机や寝台の姿を見ないのと一緒だ分かるか、と説明する端からやる気をなくしていくように、抑揚が消失していく。被害妄想かもしれないが、気だるげにこちらを見る目が「推察しろ馬鹿」とでも言いたげだ。

 言われてみれば、本来存在しないものが姿を消しても、元に戻るだけか。

 理解は深まったが、いずれ追い出したい鬼二十のことを知るより、貴重な朝の時間を大事にしたい。


「……なんでもいいから。鬼二十が居たら着替えづらい」


 服を抱えて、さあ消えてくれと睨みつける。やりとりが長引くと分かっていたなら最初から私が部屋を出たが、ここまできたら意地だ。

 しかし鬼二十も素直には消えてくれない。黙って私を見つめた後、まぶたを下ろして俯いてみせる。


「見るなというなら、こうした方が確かだろう」



 「それ本当に確実か」と問い詰めたくもなったが、埒があかないのでもう構わないことにした。鬼二十が目を開けないか、私が監視していればいい。


 そう思って着替え始めたけれど、静かな部屋で自分が出す衣擦れの音を聞くうちに、何かを間違えている気がしてきた。

 普通に脱いでるけど、すぐ前には目を閉じているだけの異性がいる。人間じゃないからいいという理屈でもない。

 やっぱり私は、同棲を強いられて何かが麻痺してきているんじゃないだろうか。恥じらいとか、色々と女子高生にまだ必要なものが。


「終わったか」


「……あ、もう少し」


 苛立った調子で声をかけられて、慌ててキャミソールをかぶる。くぐって顔を出した時には、鬼二十は目を細めてこちらを見ていた。私はまだおへそが出ていたので、さっと服を引き下ろす。


 この暮らしがまだ続くなら、部屋についたてを導入した方が、お互い譲らなくて済むかもしれない。

 ……私はなぜ同棲継続前提の出費を考えているんだろうと、虚しくてため息をこぼす。そのため息に応えるように、鬼二十も小さく息を吐いた。


「そもそも、お前の派手な下着に興味はない」


「言われるほど派手じゃない……っていうかなに、いつ見たの!?」


 鬼二十がぼそりと呟いた台詞が聞き捨てならなくて、しっかりと拾う。

 派手と言われても、何を基準に言ってるのか疑問でしかたない。体育で何度も大勢で着替えたけれど、周りと比べても浮いたことは無い。もし昔ながらのさらしや褌と比べて言っているなら、言い掛かりもいいところだと思う。


 ちなみにいつ見たのかという問いには、律儀に「昨日まで見るなとは言われなかった」と返された。

 見えないけどそこにいるとは、そういう事も指すのだ。

 今更になって、鬼二十がさっき言った「こうした方が確か」の意味を知る。そんなに気にするなら見張ったらいいと言うんだ。


 状況がいちいち妖怪との新しい常識を通して発生するので、頭が余分に疲れる。大体、鬼二十が部屋に住むのをやめてくれれば万事解決なのに、なぜ変な回避策をとるんだろう。

 ゆったりした五分袖のカーディガンを羽織って、支度はほぼ完了した。鞄に財布や携帯を詰めながら、鬼二十の方を見遣る。


「どうしたら、もううちに化けて出ない?」



 久しぶりとも言える本題に、鬼二十の両目がぎらりと活きた気がする。面白そうに表情を変えたが、いまいち鬼二十の感情のスイッチがわからない。

 勉強机から下りたと思ったら、次の瞬間にはもう私の目の前で面を身につけていた。ずいと迫ってくるので、私は身を竦めてタンスにもたれ掛かる。


「この面を真っ二つにするか、焼いてみたらどうだ」


 恐ろしい顔の面越しに、鬼二十が囁く。その声と内容で、私の頭はまっさらな空白になった。それだけ、耳に入った言葉は想定外で力強かった。

 微動だにしない私に数秒付き合った後、ぶら下げた餌を遠ざけるように面を外して、薄い唇が弧を描く。


「させんがな」


「…………」


 愉快そうな鬼二十に反して、私はきっと難しい顔をしていただろう。

 鬼二十は面をこれみよがしに懐に入れると、姿を消した。私が一人、部屋に残される。





 車の後部座席で、私はずっと鬼二十のことを考えていた。


 どうしたら化けて出ないか、の問いに対して「面を壊せ」と言われるとは思っていなかった。

 鬼二十は面の化身なのだから、面として壊れてしまえば鬼二十の存在は消える。そういうことなんだろう。でも、それを当の本人が私に教えてしまうのだから余計に胸が騒ぐ。


 私の暴力で、損傷させて、鬼二十の存在自体を消すということ。

 ……それって、人を殺すのと何ら変わりがないじゃないか。


 鬼二十から面を奪ったとしても、私は彼の顔を見ながら面にライターを近づけられるだろうか。金づちか何かを振り上げる事が、出来るだろうか。

 そういう行為をする自分を想像すると腕に緊張が走る。なぜだか、私を見る鬼二十の顔は想像がつかない。


 面はモノだし、生き物とは話が違う。そのはずなのに、鬼二十が存在する以上、それは私にとって殺人だった。鬼二十を追い出すために、私は殺人が出来るか。自分に問いかける前から、薄々答えは分かっていた。

 同居にはまだ反対だし、鬼二十はすぐ馬鹿にしてくるし腹が立つ。でも、恨みは一つもない。

 私は鬼二十に刃を向けるのを望んでいない。想像しただけで、嫌な気持ちになるのだ。




 帰宅して自室に入ると、鬼二十は私のベッドで横になっていた。もう好き放題だなと呆れながら、買ってきたパンを一つ鬼二十に渡してみる。

 どうしろと? とばかりに私を見るので「妖怪ってご飯は食べられないの」と訊いたら、黙って口に運んだ。可能らしい。

 私は畳に腰をおろして、鬼二十を見つめる。見慣れた奇妙な和服と赤い長髪と角が、現代の家具からは浮いている。当たり前のような顔をして私の部屋に居着く、異質な存在だ。

 それを私が自然だと認めてしまったら、普通の日常が覆ってしまう気がした。

 意思疎通のできる人のようなものを連日伴っていると、頭では分かっていても認識が混乱し始める。現に鬼二十はこうして食べ物まで口にする。私だけに見える幽霊や幻覚とは違って、確かに存在しているのだ。

 独り言のような気持ちで、ぽつりと部屋に言葉を落とす。


「……今日はね、お母さん達と買い物に行ってきたの」


「そうか」


 あっさりとパンを食べ終えた鬼二十は、指の食べかすをぺろりと舐めて、つまらなさそうに答えた。

 私には面を壊せない。もう一度、それを実感した。


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