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鬼の面  作者: 有川
5章
32/38

存在の温度(4)

 薄暗い部屋で、いつからかぼうっとまどろんでいた。

 いま何時だろう、お風呂入ったっけ。目の前の布団を見つめながら、そういうことを考える。今置かれている状況の方を真面目に考えたら、恥ずかしさでいたたまれなくなってしまいそうだった。


 動いた途端、素肌に手の感触を感じてぎょっとする。鬼二十の手が、ずっとお腹に乗っていたらしい。感覚どころか、気配だって本当に気が付かなかった。


 服は着た気がするんだけど、なぜ直接触れられているんだろう。

 もぞもぞと自分の状態を探ると、制服のシャツを一枚着てはいるが、ボタンは全開だった。ついでに、鬼二十の手に阻まれるように、お腹あたりの布はめくれている。私はシャツをそっと前へ寄せた。


 続いて、手を乗せている隣の人物へ視線を向ける。

 気が付いた時には仰向けだったし、布団をしっかりかぶっていた。つい顔を見るのを後回しにしたのだ。


 彼は自分の肘を枕にしつつ、しっかり私を見つめていた。


「わっ、起きてたの」


 普通に驚いて声が出る。それでも日の出前だからか、声は自然とひそめられたものになった。

 彼の瞳はただ黒い、珍しくもない色だ。それなのに、明かりがついていない部屋でも妙に目立っていた。


 質問というか、会話のつもりだった言葉は打ち返されることがなかった。目は合っているが、返事をする気配はない。なんてソフトな無視だろう。


 もしかすると、先に起きたわけではなく寝ていないのかもしれない。そういえば私は、彼がうたた寝しているところすら見たことはない。

 妖怪は元々眠らないのだろうか。それとも姿が見えないときや、私が出掛けている間に寝ているんだろうか。そのうち訊いてみようと思った。



 黙って眺められるのも落ち着かず、布団の中でシャツを寄せるのも心もとない。自分でも体の周りを探りながら、鬼二十に話しかける。


「ねぇ、私の下着知らない……?」


 こんなことを尋ねるのは恥じらいがなさそうに思える。けれど、外した本人ならきっとすぐに見当がつくのだ。薄布一枚でずっとごそごそしているよりは、気分がマシだった。

 鬼二十も特にからかうことなく、今度はすぐに答える。


「お前の胸にあったやつなら、そこの上に」


 顎で示された方、肩の上あたりに、見覚えのあるレースがついたものが見えた。本来タンスに仕舞われているか、身に付けているべきものだ。それが掛布団から出ている。

 私は声にならない悲鳴をあげて、下着を布団の中にひっぱり込んだ。着せてくれなくたって責めないけれど、はいだものをその辺に放られるのはたまらない。鬼二十は「ふーん、隠したいんだ」とでも思っていそうな顔をしている。


 下手をすれば、開いた衿もとと下着を母に見られて、なんという格好で寝ているんだと問いただされそうだ。この季節では、暑かったという言い訳もできない。

 ため息なのか、「そうならなくて良かった」の安堵なのか、どちらともつかない脱力感が襲った。


「お母さんが部屋に来てたらどうするの」


 私は注意をしたつもりだったのだが、鬼二十は心配はいらないと頷く。


「灯りを消しておいて正解だったな。寝ていると思ったんだろう、むしろ足音を殺していたぞ」


 そういうことじゃない、次からは気をつけてほしい。これを今すぐには言わず、また今度話そうと投げてしまうのは私の悪い癖だ。

 だって、恐らく彼は意地悪がしたくてそう言ったわけではない。あくまで思ったままなのだ。その辺りを訂正するのは、私も体力を使いそうだった。


 ところで鬼二十の口ぶりでは、まだ私が起きているうちに母が廊下を通ったように聞こえる。起きていたとしたら、それはつまり……想像が随分おそろしくて、とても確認できなかった。




 昨晩を思い出して黙り込んでいると、鬼二十が少し身を起こして頭を寄せてきた。肩に擦り寄る、のかと思えば、シャツをずらして食むようにそこへ口付けてくる。

 昨日の今日で耐性がつくはずもなく、私は硬直して彼を意識する。


「お前の味がする」


 聞こえたものは、確認みたいな独り言だった。

 それはそうだ。頭には可愛くない感想がすぐよぎるのに、ささやき声に息を飲んで、何も言えない。


 いまは深夜もしくは早朝、起きるにはまだ早い。あと、これ以上そういう雰囲気になっても困る。

 心で言い訳を唱えながら、私は鬼二十に背を向けてしまうことにした。恥ずかしいし、少し眠い。


 彼さえ視界から外れれば、ひとまず心臓は休まる。そう思っていられたのは、本当に一瞬だけだった。

 すぐさま背後から腕がまわって、抱き寄せられた。交差する腕に一度口元が埋まる。鬼二十の方を向かされてはいないけれど、私は抱き枕にでもなったみたいだ。

 当たり前だけど、顔の気配が近い。そのうえうなじに唇を落とす感触までして、思わず縮こまった。


 結局私の胸は、どきどきと早鐘をうちはじめてしまう。でも鬼二十は、それ以上どうしようというつもりは無いようだった。

 恥ずかしい、嬉しい、安心する。その全部を上手に混ぜ合わせたものが湧いてきて、私の鼓動をゆっくり落ち着けていった。



 薄いシャツごしに、確かに鬼二十の存在を感じる。私の背中を覆う体は、徐々に熱を上げていく。からっぽの容器にぬるま湯が満ちていくみたいだ。

 これは私一人の体温じゃない。でも、鬼二十の体温だなぁとひたった直後に、疑問が浮かぶ。


 鬼二十の手を意識して触るとき、よく「冷たくも熱くもない」そういう感想を持っていた。

 それだと、いつも私と同じ体温をしているというふうにも取れる。でも、触っていればわかるのだ。何を触ったって交換される温度のやりとりが、そこでは起きていないことが。鬼二十には元々体温がない。


 それでも記憶をたどると、鬼二十は時々とても温かかった。

 私の体温をみるみる追い越して、触れる部分が芯まで熱されるような時がある。あれはどんな時だったか、思い出そうとした。眠気が考えにもやをかけて、場面だけがいくつかちらつく。


 確信は持てないけれど、たぶん、食事……。

 毎回そうだったとは言えない。でも、最初の頃にも一時的に熱があったとしたら、私と鬼二十が触れ合う機会はそれくらいだ。


 じゃあ今は、なぜ温かいんだろう。

 お腹が空いているということはないはずだ。私と触れ合うとき、いつもついでに生気を味見してはいきいきとした表情を見せるのだから。

 鬼二十に関しては、考えても正解がわからないことばかりだった。



 今まで深く考えずにきたが、鬼二十に触れる感触は、とても不思議なものだ。

 触れられるくらいだから、その腕に抱きしめてもらえば私の身体はぎゅうっと締められる。くすぐるみたいに撫でられれば、当然くすぐったい。

 でも鬼二十の手や顔に直接触れていると、ふとした瞬間、ひどくあやふやに感じることがある。そういうとき、触れていないように感覚はか細い。集中して、意識したとたんにかえってぼやけてしまう幻みたいだ。


 鬼二十はいったい、どういう理屈で姿を現し、私に触れているんだろう。

 触れるのだからそこに存在する、の一言で済めば私も楽だ。でもこういうことを考えた途端に、何かが希薄になってしまう。


 だったら、意識なんてしないで触れた方がずっといい。ただ目の前の人に夢中になっていれば、その感覚は気にするまでもないものになる。


 体温のことも、触った感触のことも、尋ねたら真相を教えてもらえるのかもしれない。でも、私は本当にそれが知りたいわけではないと思うのだ。

 きっと、鬼二十がそこにいるのが現実なのか、不安になっているだけ。

 それなら、不思議に出会うたびこれはどうして? あれはなんで? と彼を質問攻めにすることもない。鬼二十が私の傍にいることは、謎を解消しなくても実感できるはずだ。



 私の生活はすっかり、鬼二十がいることが前提になっている。一人でも頑張れなくちゃいけないと息巻いていたのが嘘みたいだ。

 あと五、六年もすれば一人で生活する人間が、いつまでも余裕のない子供ではいけないという思いがある。引越してきた頃、ずっと抱いていたものだ。


 生活も不安も、一人でどうにか出来るのが大人だと思っていたのだ。

 頼るのは子供がすることで、良くはないことだ。人に弱音を吐いちゃいけない。実際、それが完璧にできたなら家族にも友人にも負担をかけずに済むのかもしれない。でも、そう簡単にできることではなかった。


 聞き分けのいい子であろうとするほど、問題を前にしたとき逃げることができない。できるだけ一人で片付けなくちゃ、とプレッシャーになる。そのときに生まれる、消し去れない寂しさや不安が、退こうとした鬼二十を引き留めた背景だろう。


 きっと本当は、一人になりたくなかった。それだけではない、そばにいてくれる人にも私を望んで欲しかった。

 そうしてお互いが望んでそこにいるのなら、たとえ同じように問題に向かったって、自分は一人きりで生きているだなんて思わなくなる。どこで何をしていても、部屋に帰れば鬼二十が私を待っているんだから。



 もちろん、すべきことを人に押し付けたり、負担ばかりをかけるのは良くないと今も思う。そういうことではなくて、精神的な支えの話だ。

 学校や家のことで、具体的に何かしてもらったわけではない。なのに、感じる負担がぐっと軽い。鬼二十を理由に焦っていた文化祭の頃だって、早く帰るために一生懸命だった分、準備そのものにたいして苦労を感じなかったのだ。


 鬼二十の存在を支えに心持ちが変わるなら、それは十分意味があること。

 私の頑なさはほどけて、心まで無理に一人にならなくていいのかもしれない、と思うようになった。




 くしっ、と一つくしゃみが出た。背中には、彼がそこにいる証拠が温度として伝わっている。暖かさが人にとって幸せのイメージにあるのは、実感がこもっているんだ。


「寒いか」


 鬼二十はそう言って離れ、布団を私の頬の高さまで引き上げる。

 布団より鬼二十の方が温かいのに。私の呟きを聞いても、それを信じていないようだった。

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