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鬼の面  作者: 有川
5章
30/38

存在の温度(2)

 反応が面白いから手を出している、みたいなことを言われたのが、地味に頭の隅へ引っかかった。


 あの人、ちゃんと「お気に入りのペット」と「好きな女の子」への気持ちを区別できているんだろうか。大丈夫だとは思いたいけれど、思い返すとそれに限りなく近い何かも感じる。

 仮に半分ペット的ニュアンスで好かれているのだとしても、鬼二十はそれを恋愛感情だと見なしている。だから問題にはならない、はずだ。はずなんだけど、ちょっと気になる。


 馬鹿げた心配だと思う人もいるかもしれないが、当事者の私には大事なことだ。だって、女の子として見られているのかどうか、という話なのだから。


 あまり鬼二十の振る舞いに振り回されるのも、かっこいいものではない。

 妖怪である彼には、ただでさえ端々で人間だからどうという扱いを受ける。そのうえ子供扱いされては、途方もない年の差まで意識して冗談にならないのだ。

 対等とまで言わなくても、もっとこう、自然に隣に立てる関係がいい。


 鬼二十にからかわれないような、大人な女性ってどういう人だろう。それを想像しようとしたら、鬼二十の女性版みたいなものが浮かんだ。無駄に色っぽくて、純朴な男の子が手玉にとられそうだ。……というとこの場合、その男の子が私のポジションか。

 想像した女性と鬼二十がもし会話したら、と考えようとしてすぐに行き詰る。

 双方魅力的で、思わせぶりなことをして、どちらが優位に立つのだろう。あの手のいかがわしい人には、同じタイプを宛がうのも違うのかもしれない。

 あと、仮に目指したところでなれそうにない。ずん胴制服を着た自分の体を見て、そう思った。



「いつまで髪を梳いている。遅刻はいいのか」


 鏡ごしに、鬼二十が近付いて私を見下ろす。忙しい朝に考えることではなかった、と我に返った。


 あまり時間を意識しない鬼二十に声をかけられたというのは、きっと相当なものだ。時計を見たらそろそろ出なければならない頃合で、私は慌てて髪を結う。


「いってきます!」


 返事代わりに声をあげてから、支度の仕上げにとりかかった。鞄の中身に不足なし、靴下はもうはいた、自転車のカギはポケットにある。


 スムーズにできたのに、なにか物足りない。

 あとは部屋を出るだけだというとき、鬼二十を振り返った。無言の鬼二十の目が「なんだ」とばかり私を見る。


「一応今の鬼二十に言ったんだけど、行ってらっしゃい、とかそういうの言ってくれたりはしない?」


 前のような探り探りの関係ではないのだから、頼んでみればこれくらいは叶えてくれそうだ。そう思って、同居数ヶ月目にしてこんなお願いをした。

 返事がないのを分かっていて宣言、そのまま出かけるのが、一人で完結しているようで落ち着かない。それに同じ部屋で暮らしているから、挨拶みたいなことをする機会は貴重だ。

 じっと待つも、鬼二十は少し目を細めただけだった。


「……遅れるぞ」


 そう言って、私を方向転換させる。ついでに追い払うみたいにお尻をぺしっとはたかれた。


「いたっ」


 このあしらわれている感じも、今朝のもやもやした考えに繋がるのだ。


 別に痛くはないけど、不満はある。クラスの女子のお尻をたたく男子なんかいない。そういうことをするのは、知り合いのおばさんだとか……年上で、特別な好意の対象外な人ばかりじゃないか。

 頬でもふくらませてやろうかと思ったけれど、そんなことをしたらますます子供っぽい。こらえて、そのまま廊下を歩き出す。もう振り返らないで出発してやる、と幼稚な決意をしていると、つむじに何かが当たる。


「早く帰って来い」


 聞こえた言葉に勢いよく振り向いたけれど、開け放した私の部屋に人影はなかった。

 いま頭に触ったものは、指なのか唇か。頭をぽんと撫でたにしては、かすかな感触だった。……本当は、それが唇だったとわかっている。直後の声が、頭の近くでしたからだ。

 やっぱり今日も、私ばかり鬼二十のすることに一喜一憂している。





 近頃は急に涼しくなる日と蒸す日が極端だ。今日は前者で、自転車をかなり飛ばして登校した私にはありがたかった。

 席替えをしてから遠くなった日奈ちゃんは、人がいない間に前の座席へ逆向きに腰掛ける。脚をそんなに開いて平気なのかと盗み見ると、下に短いジャージをはいているようだった。


「ね、何かいいことあった?」


 日奈ちゃんがにんまりと笑って、そう尋ねてくる。他の子に聞かれたら困ることでもきくように、私に顔を寄せた。

 私って、そんなに分かりやすいだろうか。今朝の場合は、ついさっきあったことなんだから、顔に出るのも仕方ない気がする。それでも、人に何かを見透かされることが昔より多くなった。

 そもそもこれまでの話をしていないので、洋介に返したのと同じ答えを返すことにする。


「文化祭終わったからでしょ」


「えー、みんな逆だよ。文化祭終わったら定期テストさまが待ち構えてるのに。いくら雑用から解放されたからって!」


 様をつけたら定期テストに手加減してもらえるとか、そういうつもりでいそうだ。はたから見ていた限りでは、日奈ちゃんは試験対策と同時に神頼みも始めたほうがよさそうな状況だった。

 ちなみに何を見ていたかというと、授業中の睡眠率だ。


「ノート借りたいって言ってたけど、私ただ黒板うつしてるだけだよ。来週からだから、もうコピーして勉強始めるんだよ」


 お節介をすると、さっきしょげ始めた日奈ちゃんが私の机に顔を伏せる。うう、と微かにうめく気配がした。


「毎晩お母さんにも言われるよ……。そういう綾ちゃんは、もう家でテスト勉強してるの? ほんとうに?」


 日奈ちゃんはがばっと顔をあげて、否定を期待するように私を見る。テストが月曜日開始だから、水曜の今日では一週間を切っている。私は真面目というよりは小心者なので、何もしないではいられないのだ。一度うなずく。


「なんか前に、家でやることあるから部活やらないとか言ってたよね。それで時間なくなったりしないの?」


 そう続けてから、私は自分を癒すのに忙しいんだもん、布団が呼んでるんだもんと唇をとがらせている。確かに部活と早朝コンビニバイトを続けるには、それくらい休まないともたないだろうとは思う。でもそろそろ勉強しないと大変なのは事実なので、苦笑いだけを返した。



「それは……最近、大丈夫になって」


 家でやることがある。日奈ちゃんにはそういう言い方をしてあったみたいだ。もちろん用事とは、鬼二十の食事のことだ。

 考えないようにしてきたが、この関係になってからというもの、鬼二十は食事の時間を作らなくなった。一度私から声をかけたけれど、そのまま詰め寄られてうやむやになっている。


 これはもしかしなくても、キスで二つの用事を済まされているんじゃないか。

 鬼二十にとってあの内数回は食事のためで、私だけドキドキしていたのだとしたら、正直怒りたい。

 でもきっと私の負担は少ないのだろう。以前少しだけやっていた、毎日小分けで生気を与えるのと同じことだ。一仕事した気分にはならない。

 だから、これも問題にならないはず、なんだけれど。両想いになっても、割り切れないことはあるみたいだ。




 習慣のように、帰るとまず鬼二十へ今日あったことを話す。何度か尋ねられたのをきっかけに、今では訊かれなくても私から始めるのだ。


 彼からは話題が何もないので、自分が話をしているのに、気持ちは鬼二十の挙動を追っている。

 相槌を打つ鬼二十は、伏し目がちで私と目が合わない。一房だけ前へ垂れる私の髪を手に取り、指先でぱらぱらと遊ぶ。私がひざの上で持て余していた手を取って、指をひらかせる。

 ちらりと表情をうかがうと、相変わらず何を考えているのかわからない。ほとんどいつも冷たくも熱くもない、鬼二十の手とよく似ていた。それなのに、手つきには心を感じさせるものがある。


 鬼二十は深爪気味だし、触ったくらいで私は怪我をしない。必要以上にこの手を優しくさせているのは、どんな気持ちだろう。

 ああとかそうかとか、気のない生返事をしながら、鬼二十は何を思っているんだろう。



「鬼二十も、私に触りたいって思うの」


 ぽろりと出てしまった私の疑問に、鬼二十の手が止まる。本当に気になったにせよ、訊くことではなかったかもしれない。

 間をおいて、彼は怪訝な顔でじろじろと私の顔を見た。手を止めたということは、一応私の話も聞いていたみたいだ。次いで、あてつけるようにため息を吐く。


「何を言うのかと思えば」


 鬼二十は心底呆れたという声でそうこぼすと、私の両脇に手を差し入れた。元々近かったのに、軽々と抱えられて正面から鬼二十の腿に乗り上げそうになる。微妙に膝がつかないので、恐らく情けない反応になってしまった。

 そのまま私を引き寄せ、鬼二十は服の上から胸へ口付ける真似をする。下着、シャツ、制服の三層が間にあるとはいえ気恥ずかしい。傾げた鬼二十の首すじにも目が行ってしまい、動揺した。


 今度は本当に私を脚の上へおろして、背中に手が回される。それに力がこもると、勝手に姿勢がよくなった。


「日頃、私をお前の何だと思っている」


 至近距離なのに甘い雰囲気ではなく、口調は無愛想だ。感覚的には、叱られているような感じ。

 ……嫌な気持ちにさせたかもしれないのに、そんな風に感じてくれたことが、不謹慎だけど嬉しい。馬鹿なことを聞いてしまったんだな、と思わせてくれる不機嫌な顔に、今までの小さな心配が溶かされていく。

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