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鬼の面  作者: 有川
1章
3/38

蔵(3)

 つい先程振りの蔵の中は、予想通り私が荒らした痕跡が残っていた。バリケードが少し崩壊しているし、掃除用具を入れてきたバケツは蹴り倒されている。


 一度閉じ込められた怖さと蔵への慣れがないまぜで、不思議な気持ちだ。心許ないが、中に入れないほどじゃない。

 とりあえず今回は、突然の暗闇対策に懐中電灯を用意した。悲鳴対策には大きな飴玉が二つ三つある。口に物が入っていれば、多少は大声を我慢できるだろう。


 せめて崩した荷物達の天地を揃え、持ち込んだ掃除用具回収、鬼の面を元通りに仕舞う。これだけは今日やることにする。

 本当に必要最低限で、それでも掃除開始前より床面積が狭くなっているのだから情けない……。



 大体の作業は、一時間もかからなかったと思う。蔵の奥に行くための隙間も再発掘して、残すは鬼の面のことだけだ。

 さっきのパニックは、もしかするとこの隙間が狭すぎるのが原因かもしれない。いかにも逃げ場が無いという感じで、この体勢で非常事態になったらと思うと冷や冷やした。


 一番奥の棚が見え始めた。ポケットから懐中電灯を出して、照らしながら近寄る。

 紐が床に落ちていた。面の箱に結んであった、飾り紐だ。やはり私は慌てて放り出してしまったらしい。奥のスペースにつけば目も慣れて、懐中電灯はいらなくなった。


 かがんで紐を拾う。そのまま箱、蓋、とぶつぶつ言いながら手に取っていくが、肝心の面が無かった。

 無意識にどこかに置いたか、と左右の棚を確認しながら立ち上がる。中腰の段階で、嫌な予感で満たされて顔がつい歪んだ。

 無い。箱はあるのに、面は近くに無い。


 今までの人生、ありふれた事しか体験してこなかった私に、なんで今更こんな事が起きるんだろう。竹箒の瞬間移動も怖かったが、今度移動したのは恐ろしい顔の面だ。冗談じゃない。いや、怖い以前に、客観的に見たら私が面をなくしてしまった状況じゃないか。

 黙ってごちゃごちゃと悪い考えを回していると、私の背後から男の声がした。


「捜し物はこれか」


 誰もいないと知っているから、私の空耳かとも思う。でもそれにしてはくっきりと耳に残り、見ない方がいいという直感に反して、振り返ってしまった。


 私は身を退いたのに、顔のすぐ前に例の面があった。

 歯を食いしばるようないびつな口と、見開かれた目に空いた覗き穴の奥で鈍く光る、誰かの目。


 息と一緒に飴玉が喉に落ちて、叫ぶ余裕は無い。ぐ、と微かな呻き声だけ音になって、声を出すタイミングなど失ってしまった。


 面の顎を掴む手がある。当然腕が続いて、体は和服を着ている。面に合わせた(かつら)なのか、茶というには赤いぼさぼさの長い髪が、面の後ろに流れていた。

 自然と息を殺すように、私はただただ動きを止めている。


 男は反応が無いと見て、私に近付けていた上体を面ごと退く。そして私がついさっき体の前で構えた手に「それとも、こっちか」と、からかうような声音ではたきを握らせた。

 指先の神経が確かにはたきの感触を伝えて、じわじわと脳が男の存在を認める。


 震えた息を吐いたら、力が抜けて尻餅をついた。面の向こうで、男が笑った気配がする。


「もう悲鳴はあげないのか」


 男が顔の前に構える面が少しだけ下げられて、一対のぎょろりとした目が私を見下ろす。

 残念そうとも、面白がっているとも取れる声だ。少なくとも、優しい安心するような雰囲気ではない。

 更によく見れば、鬘としか思えない赤髪はどうも頭に植わっている。そして前髪の間から、面と同じような角が二本、天に向かって伸びていた。


 男の外見は、普通ではない。それくらいの判断は今の私にも出来た。


 心臓が胸全体で、痛いくらいの鼓動を打つ。黙って私を見ている男の顔から目を離さず、床を擦るようにじりじりと退路へ向かった。

 あの隙間に戻るにはむしろ男の脇を通らなければ、近づかなければならないのに、この時の私は無心で動いていた。男に背中を向けないという、なんの強みもないお粗末な行動だ。

 男は完全に面を下げて、不思議そうに私の馬鹿な動きを目で追っている。


 私はこれでも真剣で、いつ男が豹変して私を追いかけてくるのかと想像しては、身を震わせていた。しかし、私が帰り道の前でゆっくり立ち上がっても、男は何の邪魔もしてこない。


 今だ! と思った瞬間、隙間に身を滑りこませ、私はダンボール一つ落とすことなく蔵からの脱出に成功した。

 暑い外に飛び出すと、どっと冷や汗が吹き出したが、とにかく蔵の扉を閉める。持っていた鍵ですぐに施錠すると、さっきの脱出劇が嘘のように、手は震えてもたついた。




 蔵での二度目の出来事は、さすがに母にも祖母にも話さないことにした。色々な意味で、とても言えない。

 それに、家族に話さないと決めて何でもないふりを貫いたら、あれは夢だったんじゃないかという気までしてきた。私が男に返事をしなかったから、余計にだ。

 おぼろげに思い出す男の顔も、恐怖体験にしてはきれいすぎたように思う。目が怖かった記憶はあるが、大きな目といえば美形の指標の一つだ。竹箒の怖さと欲求不満か何かで、変な白昼夢を見たのかもしれない。

 また今度、蔵の奥で面を回収しよう。……次は母も一緒に来てもらって。

 いまだに痛む喉だけは、私が何かの理由で飴玉を丸呑みした事実を訴えていた。


 普段より少し長めに居間で過ごした私は、お風呂の支度をするために一人階段を上る。

 昼間に一度入ったけどその後蔵で汗をかいたし……いや、蔵に行ったかどうかも曖昧だけど、とにかく汗はかいた。



 祖母に与えられた私の部屋は、二階の廊下突き当たりの部屋だ。

 家が古いことや田舎であることは関係あるだろうか。どこであっても慣れた以前の家よりは暗い。スイッチを入れると、一秒の間を置いた後、点滅しながら部屋が照らされた。


 すると、さっきまで何もなかったはずの背後に気配を感じる。私でも気が付くはずだ、本当にすぐ後ろ、一歩下がったらぶつかりそうな場所に誰かがいるのだ。

 急に振り返る勇気がなくて、足元に視線を落とす。見る気はなかったのに、それで背後の人物の足も見えてしまった。草鞋(わらじ)を履いた、男の足だ。


 勝手に距離を取る足と、振り向こうとする体がもつれて、こけた。畳に後ろ手をつく。

 予想通り、昼間に蔵で会った謎の角男だった。傷んでいそうな赤茶けた髪の合間から、角がしっかりと覗いている。


「うわっ、あっ」


 叫びかけて、慌てて口を押さえる。男はそんな私をただ見ている。

 ここは蔵じゃないのになんで、と事の理不尽さに半泣きになりながら、懸命に頭を働かせた。


 二回とも私の不意をついておきながら、わざわざ存在を知らせて危害を加えてはこなかった。男は、話し合う気があるのかもしれない。

 渇いた喉をなんとか動かして、やっと一言目を口にする。



「……あなたは、鬼なの?」


 馬鹿な質問をしただろうか、男の目の些細な動きに息を詰める。


「私は鬼ではない。(オモテ)だ」


 意外なほどあっさりと返答された。男から目立った感情は読み取れない。


「おもて?」


「お前が蔵で見た、鬼の(オモテ)だ」


 男はあの木彫りの鬼面の話をしている。面という漢字は「おもて」とも読むな、とやっと頭の中で繋がった。


 目の前の男は自称「面」なのだが、別に例の面に顔がそっくりという訳ではなかった。むしろ、面は恐ろしいが男は記憶通り美形の部類だ。髪や変な和服をどうにかしたら、文句のつけようがない。

 私は無遠慮に男を観察しているし、男は土足で不法侵入している。お互いに礼儀も何も無いことをしているが、絶妙なバランス感で、この場は何も起きていない。

 しかしこの二者では、部屋に上がり込まれている私が圧倒的に崖っぷちに立たされている。男の目的がわからないからだ。


「それで、鬼の面さんは……」


 男が私に危害を加える気分に傾かないよう、慎重に言葉を発する。早く事態をなんとかしたかったのだが、男は私の質問を遮った。


「二十枚目に彫られた鬼の面、という意味で名はキハツだ」


 二十、鬼の面。キーワードが一瞬頭を占めて「鬼二十(キハツ)」という文字列になる。こんな当て字のような想像で合っているのかはわからないが、男は私に名前を明かした。

 つい困惑を態度に表してしまった私に、キハツという男が一歩歩み寄る。保たれていた距離が壊されて、私も一歩分後退した。男の黒い瞳にはやけに迫力があり、直視されると身動きが取りづらくなる。




「綾、お風呂に入るんじゃなかったの」


 一階から、母が私に呼び掛ける声がした。

 それと同時に、目の前の男は瞬きする間に視界から消えたのだった。


綾視点では「おにのめん」ですが、実はタイトルの読み方は「オニのオモテ」です。


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