鬼の面
眠る綾の頬を、起こさないよう実体を持たずに撫ぜる。何も感じないはずの綾が身じろぐと、鬼二十は可笑しそうに笑んだ。
人から生気を奪う妖怪として、本能的に備わっている身の振り方がある。獲物が自分に魅了されているなら、褒美がわりに愛でてやる程度の感情は自然に湧くものだ。
今回の件については、その域をとうに超えていた。生気を得れば話は終わるはずが、獲物にそれ以上を求めている。鬼二十個人の感情が介入していた。
想いが満たされると、彼はこれまでの自分をより冷静に見ることが出来た。
綾を取り巻く好意への嫌悪と、鬼二十を内側から焼き、やり過ごすことを許さない激情。初めて体験したはずのその感覚に、鬼二十は覚えがあった。
まだ人じみた姿を持たなかった頃、ただの鬼面として在った彼に注ぎ込まれたものだ。
鬼二十が思い出そうとすれば、面から見上げた男の顔も、面を打つさまを俯瞰で見たような光景も浮かぶ。実体を得る前の記憶は、霧にでもなったかのようだった。
そしてその意識は、面の周りに縛られている訳ではなかった。むしろ、面を生み出した男と共にあったと言える。男と同じものを見聞きし、その思考や感情の全てが勝手に鬼二十へ流れこんできた。
鬼二十を作った男は、恋をきっかけに身を滅ぼしたのだ。
男は弥七という名前で、ひょろりとした優男だった。見た目通り気性は穏やかで、争いを苦手とする。江戸っ子と言われるような男達には「情けないやつだ」と評されることも多かった。それでも困ったように微笑む彼は、周囲に受け入れられていた。
体が弱かった弥七は家業を継ぐ候補にははじめから挙がらず、子供の頃から仏像彫りの内職で家に小金を入れていた。
面を彫っていたのは、そこから派生した趣味だった。端材を使ったものもあれば、わかる程度にしか彫られていない簡素なものまであり、まさしく暇つぶしである。
その品のほとんどは、近くの村の小さな催しに、使ってくれと寄付していた。通し番号をつけていた以外何の印もなく、粗削りな面たちは、芸術品として扱われていない。現在残っているのは、最後に彫られた鬼の面ただ一枚だ。
仏像彫りの職で、弥七は下級武士の娘・鈴と知り合う。
町人より身分が高いといっても、けして豊かだとは限らない。武家の女も内職をする。
器用で手慣れている弥七は、よく請われて鈴に仕事のことを教えてやっていた。外が明るい昼間、戸を開け放した弥七の住まいや神社の境内で、二人は静かに会った。
可憐で品のある鈴に、弥七が惹かれるのにそう時間はかからなかった。気性の大人しいもの同士、他の誰と話すよりお互い笑顔が浮かぶ。
下級武士の家は、町人との結婚を許すこともある。何年もこうしている二人は、傍目に見ても友人をこえた仲だと認識されていた。
ところがある日を境に、鈴は姿を見せなくなった。
他の町人の中には見かけた者もいたが、内職の納め先や弥七を訪ねることがない。これまでの間柄を思えば、何か理由があるはずだ。弥七に心当たりはない。
二人が頻繁に会っていたのは約束していたためではなく、その都度鈴が用を作っていたからだ。鈴は嫁入り前の武家の娘である。理由があって鈴のほうから訪ねている、というていを保ってきたのだ。
そして数日後弥七は、鈴が嫁に貰われていくと聞かされた。
内気な弥七は、これだけでも充分に衝撃を受けた。だがまだ、どこかで覚悟もしていた事だ。
武家の娘と結ばれるには、娘が望み、その親の協力を得てどこかの養女になってもらう必要がある。武士の身分を捨ててもらわねばならないのだ。その障壁の高さを思えば、成就すると考えるのは難しい。自分などでは無理な話だったのだと、諦めるほかないと弥七は己に言い聞かせた。
弥七は他のことに目を向けようと努めていた。しかしとある朝、戸に一通の文が挟まれていた。送り主は、鈴だった。
今日にも相手の家へ嫁ぐ頃合の鈴が、わざわざ弥七に手紙を残していったのだ。その中にどんな言葉を紡いだのだろう。彼女なら、今までのお礼のためだけに文を送ることもしそうだと弥七は思った。
その予想は、文の一文目だけで遂げられる。以降の言葉は、弥七を殺す甘い毒だった。
鈴がずっと弥七を好いていたこと。父親は、錆びかけた家柄より愛娘の意思を尊重してやるつもりだったこと。
それでも、自分の家を発展させる相手に望まれた以上、断る道は考えられなかったこと。
鈴にとっては、嫁入り前に未練を晴らすためのものだったかもしれない。しかしこの手紙が、弥七のこの先を狂わせた。
鈴本人から思いを告げられたことで、弥七は自分の思い上がりだったと考える道すら断たれてしまった。確かに、二人の心は通じあっていたのだ。それも数年間。今だって、鈴は夫になる男より弥七を想っているだろう。
それを他の男に横からさらわれてしまった。
江戸の頃、日本人は性には奔放な傾向があったとされている。農村などでは、一介の男が村中の女性と関係を持っているというのも、ままある話だ。
いわゆる貞操観念が求められるのは、誰の子であるかはっきりさせる必要がある身分の女性だ。鈴は下級とはいえ武士の娘である。未だ生娘だったはずだ。
弥七が初めて好いた娘だった。鈴以上の娘など、今の弥七には想像もつかない。
きっと誰より鈴を愛しているはずの自分を差し置いて、見も知らぬ男が最初に鈴に触れる。
鈴も弥七を愛しているのに、他の男のものになるという。
弥七は嫉妬でどうにかなりそうだった。何に対してかも分からなくなるほど、怒り憎んだ。
穏やかな男の激しい感情は、内側で煮えたぎるばかりで誰にも知られなかった。友人たちの目には、弥七は意気消沈して塞ぎこんでいるように見えただろう。実際は、言葉にならない薄暗い考えで満ち満ちていた。
ある時ふと、弥七は手紙を読んだ日から現在までの己を省みた。
そして、気持ちが通じ合っていたという事実を知って、喜ぶどころか荒む自分はなんと醜いのかと絶望した。
こんな男が鈴と結ばれていいはずがない。いや、鈴は自分のものになるはずだった。
本来の心と怒りにまかせた考えが、入れ代わり立ち代わり弥七を苛む。
これまで通りの暮らしを送るため、弥七にははけ口が必要だった。それが、面を打つ趣味に向けられた。
鈴を横取りした男、黙って家を選んだ鈴、……早くに行動を起こさず、他人を恨む愚かな自身。何かを憎む己の顔を、弥七は鬼にたとえた。
世にも恐ろしい顔を彫りながら、これが私の顔だと呟く。そうして自分を戒める目的だったはずが、気がつけば弥七は本心からそれを自分の顔だと思うようになった。鏡もろくに見ず、怒りで震え恨みで歪む鬼の顔を彫って、笑っていた。
弥七はそれから、空いた時間はずっと面に手を加え続けた。
恨みつらみを口の中で吐きながら、寝食もおざなりに暮らす毎日は健康とは程遠い。元々体の弱い弥七は見る間に病み、鈴が嫁いでから二年で命を落としてしまった。
「この面は、村に寄付するものではない。捨ててくれ」
見舞いにきた友人の一人に、弥七は病床で鬼の面を託した。身内の者は弥七が面を寄付していたのを知っている。遺せば村に譲られるだろう。個人的な汚い感情をぶつけた面を誰かがかぶるのは、避けるべきだと考えたのだ。
友人は受け取った面を見て、その出来にひそかに感嘆した。二年間手を加え続けた鬼の面は、面の中では弥七の最高傑作だった。
もう長くない友人の思い出に、残しておいても良いのではないか。そして鬼の面は持ち帰られ、彼の子の代には箱を与えられる。
「友の遺作として譲り受ける」
そういった意味の言葉が蓋に記された。
弥七を通して一連のいきさつを知っていても、鬼二十は当時何も感じなかった。
食事の対象ではない男には別段興味がわかない。それは自分を作った人間に対しても同じだったのだ。
鬼二十が弥七について好感を持ったのは、彼の暮らしがとても静かだったことくらいだった。
そもそも鬼二十は、ヒトと自分が別の存在だと理解している。命限られた生物ではないというだけで、共感しがたいことは山とあった。
人間は小さなことで笑い、泣き、時には自身を追い詰めるほど強く思いを抱える。そうして破滅までした男の死に様を見て、鬼二十は呆れてしまいそうだった。
その時の妙な虚しさを、彼は今でも鮮明に思い出すことができた。
しかし、その呆れていた人間の思いと似たものを、鬼二十は自分に見出してしまった。
一人の娘に固執して、横からさらわれることが我慢ならない。特に娘が自分を好いていると分かれば、いくらでも強引になれる気がした。
年月と、命を持たせる程の強い思いが物を九十九神にする。道具が百年使い込まれ、愛着を抱かれたりしながら九十九神になるという話は各地にあっただろう。
ただし、注がれる百年分の感情が愛着とは限らない。
くだらないと言い捨てても、弥七の感情は鬼二十を九十九神にした要因であり、根強い影響を残したのだ。
生娘の生気ほど美味い、などという言葉も実は鬼二十の偏見でしかない。
そもそも鬼二十が妖怪として形を得たのは、蔵の中だ。生気を食べた相手は綾と若き日の祖母、たったの二人でどちらも処女だった。比較する対象がいない。
生まれてから初めて弥七のことを思い出し、鬼二十は自分の言動の由来を見たようで居心地が悪かった。
鬼二十は弥七ではない。だが紛れも無く、弥七の心から生まれたのだ。
寝返りをうって背を向けた綾の首筋に、鬼二十は顔を埋める。そうして、遠い昔に虚しく死んだ男に、今の気持ちが分かってたまるかと内心で毒づいた。
弥七の狂気が形を変えて、現代で実を結んだ。
4章終わりです。
鬼二十も綾への気持ちに気がつき、取り返しのつかない関係に転がり落ちるの巻 です。