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鬼の面  作者: 有川
4章
25/38

焦り(1)

 その深いため息は、私の浮ついた気持ちに棘を刺した。


 突然抱きしめられたことばかりに気を取られていた。

 距離が近いと思ったことは何度もあったが、ハグなんて、今思い出しても普段からは考えられない。

 そんな行動に理由が無いはずはない。吐かれたため息で、その内訳はけして明るくないのだと知った。


 この数日鬼二十は不機嫌で、余裕に満ちた、偉そうな態度がなりを潜めている。文句を言わないのも、その延長かもしれなかった。

 弱った顔こそ見せないが、本調子ではない。そう思うと、私の肩にふせる首筋も不安気に見える。



 誰かがただ側にいるだけで、楽になれることもあるはずだ。この人はここにいてくれると、そう思わせることができれば、きっと。


 それは私が、かつて鬼二十に求めたものだ。

 細かい理由は違っても、安心感が必要なことに変わりはない。いたわる気持ちで、鬼二十の背をそっと撫でた。




 一足早く、私のクラスは文化祭の仕度がはじまった。

 器用な子、部活動が少ない子に、衣装の製作や古着の改造を頼んだ。あとの人達は、放課後順番に残って必要なものを作る。


 最後の会議で、私達は無事喫茶店枠を勝ち取ったのだ。良い知らせに、クラスのまとめ役・文化祭係のやる気も急上昇する。あっという間に具体案をクラスから集め、私達委員へ相談がきた。

 佐塚君の仮予算案を見て衣装に使う金額を決めれば、大体のめどは立った。出来ることがあるなら、わざわざ寸前まで手を抜く理由もない。


 買い込んだ色画用紙を数人でひたすら切り抜く。厚紙の型があるので、必要なかたちが簡単に切れた。メニューに貼ったり、使うところはいくらでもある。


 皆で喋りながら作業をする教室に、佐塚君が戻ってきた。腕には畳んだ暗幕を抱えている。それを見て、隣の男子が歓声を上げた。


「おお! 佐塚やるねぇ!」


「なんとか、お化け屋敷のクラスに譲ってもらえた」


 答えて、佐塚君は空いている席に腰をおろす。そのまま暗幕を机に置いて、自然に私たちのハサミ作業に加わった。

 反対に女子たちは仕事を放り出し、佐塚君に話しかける。


「五枚もあれば、入口にも暗幕でカーテン作れるね」


「何年生のクラス? 強引にしてないよね?」


「うん、先輩だけど。元々、暗幕だと光がもれるって言ってた人もいたみたいでね。その人達が後押ししてくれたよ」


 毎年文化祭では暗幕が余ることは少ないらしい。元々三枚獲得していたのも、きっと調子がいい方だ。

 今朝になってから、できるならもう少し欲しい、無理なら布を買いたいと内装担当の子に相談を受けた。既に暗幕の振り分けは終わっていたので、すぐに頼みにいったのだ。交渉ごとは、口の上手い彼にまかせるに限る。


 そう、放課後に具体的な準備が始まったのは、今日突然のことだった。

 昼休みに大体話をつけた佐塚君が、もしそのクラスで譲っても良いと決まれば放課後取りに行くと言った。じゃあその間文化祭の準備を始めて待っていよう、という流れだ。部活がある人の一部も、着替えだけ済ませてサボりの口実に参加していた。

 作業をするのは今日が初めてなので、参加する人たちはそれなりに楽しんでいるようだった。


「他に申請もれあったら、なるべく準備期間に入る前に言って。始まってからじゃ、難しいから」


 ハサミを休めずに、軽い調子で佐塚君が告げる。内装担当の子がすぐに声をあげた。


「あっ……じゃあ、照明いじる許可ほしいかなって……さっき話してたんだけど」


 彼女は気まずそうに、苦笑いしながら要望を言う。やや間を置いて、佐塚君はわざとらしいほど爽やかに「行ってきます」と再び席を立った。

 ごめんねぇ、と彼女が情けない声を出すと、周りの子も「出かける前にまとめて言ってあげれば良かったのに!」とそれを笑う。男子が「佐塚をいじめるなよ」と内装の子をからかって、みんな楽しそうにしていた。


 時計を盗み見ると、針は四時半を指している。早く終わるときの委員会会議は、これくらいでおひらきになる。長引いても、大体あと三十分……。



 帰りが遅くなるのはもう少し後だと思っていて、鬼二十は今日の居残りを知らない。それどころか、今日は委員会も無いからたぶん早く帰るよ、なんて余計なことまで言ってしまった。

 佐塚君と休みに会った日から、まだたったの一週間程度だ。一番の優先事項は鬼二十を安心させることだと、行動で示したい。それなのにもう失敗しそうになっている。

 早く帰りたい。でも教室を見れば、文化祭と名のつく係の人は全員残っている。バイトも予備校も通っていない私が、そんなことを言える状況ではなかった。



「待って、それは私が行くよ」


 教室を出ようとした佐塚君を呼び止めて駆け寄る。

 照明の許可といっても、文化祭直前に火事の危険がないか教師が見回るためのリストに載せてもらうだけだ。私でも簡単にできる。


 時計のある部屋で単純作業をしていると、時間が気になってしかたない。それに急いでいるのは私だけなので、小走りで向かうとか、少しは時間短縮の努力ができると思った。


 なんとなく二人で廊下に出てしまい、不思議そうな顔の佐塚君にもう一度同じことを言う。別にいいのに、と言いつつ申請用紙つきの冊子を渡してくれた。


「……急に忙しくなったね」


 手渡しながら彼が呟いた言葉に、ひとつ頷く。よく似合う苦笑いで肩をすくめ、佐塚君は続ける。


「来週から正式に準備期間に入るから、たぶんまだ序の口だけど」


 その通りだ。私たちは顔を見合わせて、同じタイミングでため息をついた。




 せっかく急いで担任の印鑑をもらったのに、私はなぜか五キロくらいの備品を抱きかかえている。以前日奈ちゃんや佐塚君も言っていたけれど、担任の森先生は結構ちゃっかりしている。文化祭担当の教員に会いに行くと言ったら、ついでに用事を頼まれてしまった。


 持てなくはない重さでも、かさねた古いダンボール箱は歪んでいてぐらぐらと上段が傾く。バランスを取りながら抱えていると、だんだん腕がつらくなってきた。

 荷物に集中して、時間のロスに焦って、ぎこちない早歩きを続ける。

 すると気にしていなかった後ろから名前を呼ばれた。首だけで振り向くと、声のとおり洋介だった。


「あれ、いま帰り?」


 私の声は少しひきつっていた。正直、いっぱいいっぱいだったのだ。


「前話した、男子バスケ体育館使えない日。ちょっと遊んでた」


 そっか、とだけ姿の見えない洋介に返す。それ何、重いの? と尋ねながらついてきた彼に、運ぶ羽目になった流れを話した。洋介は感心したような相槌をうつ。


「そっちは忙しそうだな。俺のクラスは、準備なんて来週になってからだよ」


 私の雑用以前に、文化祭に向けてやる気の溢れるクラスに驚いているようだった。

 たしか、洋介のクラスはコンセプトのある休憩所だ。テーマに沿った飾りつけをして、当日は当番を二人置くだけ。机と椅子をご自由にお使いください、というかなり楽な内容だ。来週から授業時間の一部をもらえる期間に入るから、それからの準備でも問題ないのだろう。


「放課後残って、って言われて。本当に急だったから、仕事早く片付けて帰らないと……わっ」


 話しながら抱えなおそうとしたら、その拍子に荷物がゆらりと傾いた。慌てて横の壁に体ごと寄って、崩れるのを防ぐ。洋介が心配そうに隣まできて、私を覗いた。


「……大丈夫? 一回置いてくれたら、代わるよ」


「ありがと。バランス取りづらいだけ。もうすぐそこだし、大丈夫」


 断りながら、あらためて自分のもたもたした仕事ぶりに内心で落ち込む。

 おつかいは完全に予想外だったけど、これなら男子の佐塚君がやった方が早く終わったのかもしれない。急ごうと思ってしたことが、空回ってしまった。


 隣から揺れる荷物に手をそえて、洋介は黙って一緒に歩く。

 グラウンドの声がここまで届いていた。廊下は静かで、夕焼けが電気の代わりになっている。




「早く帰りたいのは……、お前の家にあいつがいるから?」


 洋介にそう言われて、また鬼二十の顔が鮮明に頭を過ぎった。


 本当に、なるべく早く帰らなくちゃ。

 もう文化祭も近いし、この先どんどん帰りが遅くなる。その前に言葉を違えていたら、育ち始めた信頼だって簡単につぶれてしまうだろう。


「うん……家に残してると、心配だしね」


 気合いを入れなおして、足を速める。一瞬遅れて洋介も並び、今度はことわらずに上段の荷物を持ち上げた。


「……やっぱり、一つ持つよ」


 鬼二十を待たせている。そのことばかりが、私の胸でじりじりと燻った。

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