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鬼の面  作者: 有川
4章
24/38

待たせている人(4)

 外出の支度はとっくに終えていながら、私は居心地悪く正面の鬼二十を窺った。

 顔をそちらに向ければ、すぐ目が合ってしまう。朝早くから現れ、定位置から無言でこちらを見る様子は試験監督のようだ。


 土曜も機嫌は良くなかったし、今日は全く姿を見せないかもしれないと思っていた。

 ……どちらの方が良かっただろう。すごく気まずい。


 部屋の雰囲気に反して、外はこの上ない快晴だ。空だけ見れば、夏が帰ってきたようだった。



「あの、早く帰るね」


 話しかけられて、鬼二十は微かに反応を見せる。聞いてはいるらしい。


「変な誤解ないように、態度とか気をつける」


 そうしろとも、するなとも言わない。鬼二十はただ、頬杖をつく手の左右をかえた。

 不機嫌の理由はこの件で間違いないはずだ。けれど、何を言っても空気を和らげてはくれなかった。


 ヘアメイクの類は学校に行くときと同程度。服装もスカートは避けた。

 これらは全て佐塚君に対してというより、鬼二十への弁明だ。全くやましい外出じゃないんですよと全力でアピールしている。


 しかし効果があったかというと、この通りだ。文句を言われたわけじゃないが、私を見る目は疑わしげだった。

 結局行くのにはかわりない。私がどんなつもりでも、鬼二十が嫌がる理由は解決しないだろう。


 ときどき、私には分からない「男のにおい」がするそうだ。カレーを食べたって何も言わないのに、彼はその微かなにおいに騒音と同じくらい不快を示す。


 においがつく・つかないの境目が分からない以上、理不尽なことを言われているような気分にもなる。

 それでも、一応私はこの人の事が好きで、嫌われたくはない。現状私が単なる餌だとしても、その立ち位置くらい完璧でありたかった。


 とはいえ今日の外出はもう決まっていることだ。携帯で時間を確認したら、そろそろ家を出なければ間に合わない。

 行ってくるねと呟いて、私は鬼二十を部屋に残した。




 待ち合わせ場所は学校最寄のバス停だ。本数が少ないので、車内で合流することになっている。

 乗り込んできた佐塚君は、シンプルなTシャツにカーディガンを羽織っていた。偶然だが、色気のない格好をした私と取り合わせが似ている。


「どうも。おはよう峰岸さん」


「おはよう。えっと、こんにちは?」


 空いた車内で、佐塚君は隣に広めの間隔をとって座った。普段通りの微笑を浮かべる彼に、内心いつもより構えてしまう。

 他の男子生徒と話した日には、おおよそ何も言われていないのだ。鬼二十が彼に限って注意したことに、多少は理由があるかもしれない。それを思うと、今までと全く同じ気持ちで接するのは難しかった。

 着くまでの間、私たちは目的の場所や委員の話で場をつないだ。



 大規模百円ショップは、初めて聞く地域のショッピングモール内に入っていた。

 カレンダー上で、次の大きなイベントはハロウィンだ。店頭の目立つところに、黒とオレンジのコーナーが作られている。

 誰が何に使うのかずっと疑問だった、カボチャおばけつきの棒やコウモリ型メモ立てが輝いて見えそうだ。想像の中で、テーブルクロスをかけただけの机が飾りつけられる。


 色画用紙やダンボールを使った飾りは、安く用意できるけれど器用な人頼りだ。他へ割く予算を大体見積もったら、なるべく市販の飾りを使うようにした方がいいと思う。私個人の意見だけど。


 中腰になって低い棚を眺めていると、佐塚くんは後ろで満足気に頷いたようだ。


「結構品揃えあって良かった。峰岸さん、ハロウィンコーナーで『これは無いな』ってやつ除外して、品物・種類控えておいてくれる? 俺は紙皿とかコップとか見てくるから」


 愛想よく笑っている彼の足先は、私が返事をする前に別のコーナーを向いて待っている。



 着いて早々に、別行動で委員の仕事をしようと言うのだ。本当に一瞬だけ、驚いてしまった。


 もちろんそうしてくれて問題ない。特に今日は、真面目潔白が一番だ。

 ただ、どこか鬼二十に言われた口実という言葉が染み込んで、半ば佐塚くんを疑っていた。そんな自分に気が付く。


「……モール・二メートル・三種類、とかで良い?」


 一拍の間を置いて尋ねると、彼はひらひらと手を振った。


「そんな感じで。可愛いとかよく分からないから、頼むよ」


 後ろ頭を見ながら、私を呼んだのはそのためだったのかと息をついた。



 一人でハロウィンコーナーをチェックする。

 種類の多い幼児向け仮装グッズなどは、少し参考になった。最初に想像した仮装は、お金がかかりそうなものが多かったのだ。


 仮装グッズの包装にある写真を見てみれば、私服に小物を足した程度でも雰囲気のある男の子が写っていた。

 シーツおばけ風ワンピースなんて、安く可愛く作れていいかもしれない。吸血鬼なら、ベースに白のワイシャツを使えば低予算で済みそうだ。


 いっそモンスターが思いつかなくても、ハロウィンらしい色で全身固めれば足しになるだろう。

 これは女の子向けの、魔法少女みたいなハロウィンドレスを見てそう思った。ちなみに百円ショップなのに五百円の商品だ。


 仮装にかかる費用へ思いを馳せながら、私はフェルト製の魔女帽子をつまむ。百円ショップでこういうものが買えるなら、十分だろう。



 戻ってきた佐塚君は、メモを見ながら携帯の電卓機能をいじっていた。食べ物以外の費用を概算してくれていて、店を出る時には私のメモも持ち帰ると言う。

 何かやるなら手伝うと申し出ると、「考えがあるから」と断った。

 クラスの友人として、そこそこに仲は良くなったと思うけれど、彼はあまり人に任せないタイプだった。



 ショッピングモールを出て伸びをしたら、どこかの骨が鳴る。ずっと丸めていた身体が痛かった。


「腰、いたい……」


 伸びのついでにこぼすと、隣で佐塚君が笑う。


「お疲れさま。……その辺で休んでから帰る?」


 必要以上に仲良くしたら、ダメだ。

 今日会ってすぐの頃の意識を思い出して、慌てて姿勢を正した。都合よく喫茶のチェーン店がそばにあったりするのだから、ぎょっとする。


「大丈夫! 早く終わって良かったね。お疲れさま!」


 明るい声を出してみせると、彼は少しだけ驚いた顔をした。




 あまりにも早く済ませすぎて、感じが悪くなっていなければ良いと思う。

 急いで帰宅した私は、なんと四時台に家へ着いた。たまたますれ違った祖母にだけ挨拶をして、二階へ上がる。


 待たせていた自覚があるだけに、窓の外を眺める和服の後ろ姿を見て、やけにホッとした。


「鬼二十、ただいま」


 声をかければ、首だけで振り向いて髪が揺らぐ。目に私を映してから、鬼二十はこちらへ歩み寄った。

 夕暮れまでに帰るのが目標だったのだ。余裕の達成に、自然と笑みが浮かぶ。


「用事済ませて、出来るだけ早く帰ったよ」


 私の声が、静かに部屋へ響いた。まだ喋らない鬼二十の表情は、けして険しいものではない。

 しかし、立ち止まった直後、がっしりと私を掴んで引き寄せた。


 二の腕へかかる握力に私がつい眉根を寄せると、鬼二十はすぐにそれを解放した。

 彼自身が一瞬驚きの色を見せたので、わざとではないのが分かる。私もその顔を見て、なんとなく謝ってしまった。


 鬼二十は同じ場所に手を添えなおし、私を観察するように視線を隅々へ送る。周りを薄く削がれるような感覚に、思わず息を殺した。

 穏やかに見えて、納得がいった訳ではなかったらしい。時折すがめる表情が気になった。


「……におう?」


「それなりに」


 尋ねると、返る短い言葉からも不満を感じる。


 もちろん外出中は細心の注意をはらったので、物理的接触はゼロだ。

 じゃあ何故においがつくのかというと、親しさが影響している可能性は大いに考えられる。

 最初に注意の対象だった洋介も、どこかへ出掛けて場がもつ程度には親しい。友達だろうと、そのにおいは区別などしてくれないのだろう。


 男友達を完全に排除するのは無理だけど、個人的に会うのを控えるくらいは、した方が良いかもしれない。

 以前友達が彼氏に束縛される、と愚痴をこぼしていたのを思い出す。その話に比べたら、二人きりで遊ばないくらい大したことではないと思えた。


「今回鬼二十と話してよく分かったから、次から気をつけるし、迷ったら先に相談するよ」


 私より少し上にある両目を覗く。何か言うのではないかと、その唇を見ていた。


 鬼二十は、かえって口元を引き締める。覚悟したような、いつもの不遜な物言いは出てくる気配がない。もっと無茶な要求をつけたり、お説教じみたことを言うと思っていたのに。

 最後には私の両腕に添えた手もそっと離して、視線を落としてしまった。


 ……睨む方がまだ鬼二十らしい。見るのも嫌だと言われているようで、においのせいだろうに胸が痛んだ。



 なにか、この空気を回復する良いアイデアはないか。模索しながら一歩、二歩と出口へ下がる。

 思った以上に、憎まれ口を言われないことがこたえた。足はこの場から逃げたがっている。


「今日は、食事の前に、お風呂入ってこようか?」


 ひとつ思いついて、私はふすまに手をかける。

 全身洗えば、さすがににおいも落ちそうだ。鬼二十に食事をさせたって痕跡もそう残らないのだから、たまにはお風呂が先でもいい。



「……綾」


 戸を開ける私を引き留めるように、鬼二十が人差し指で手招いた。

 それ以上に、珍しく名前を呼ばれてぴたりと動きが止まる。彼はさっきと同じ場所で、立ったままだ。

 こっちに来いという意味だろうけれど、はっきりとは言われていないのでにじり寄る。


 私が手の届く範囲に入ると、背中をとんと押されて身体が包まれた。


 不思議な香りがして、妙に温かくて呆然とする。

 目の前にあるのは、もしかしなくても鬼二十の肩だ。腕に囲われて、ごわごわした固い服の感触が間接的に私を覆う。たぶん、抱きしめられている。


「えっと、あの。鬼二十?」


 恐る恐る名前を呼んでみるが、私の声は思ったよりも震えていた。自分の手を握りしめるだけで、腕をまわし返すなんていうことは出来ずにいる。

 とりあえず、嫌がっているならこんな事はしないだろうけど。混乱した私が考えても埒があかないから、何か言ってくれと切実に思う。


 なにかと紛らわしい行動の多い鬼二十と接してきて、少しは教訓がある。どきどきする前に疑え。何か目的があるか、あるいは悪ふざけに決まっている。

 じゃあ私に見えない背中側で何かをしているのかと、それらしい理由を勘ぐる。そうやって神経を集中していると、まわされた腕が私をより締め付けた。


 さすがに胸が高鳴ってしまい、身じろぎひとつ出来ずに触れる感覚を受け入れる。普段生き物らしくないと思っていた鬼二十は、確かに身体を持って、そこにいた。


 きはつ、と呟いても何の反応も見せないので、その度に恥ずかしくなった。

 勇気を出して、表情を窺おうと首を傾げる。鬼二十は私の肩口にもぐり込んで顔を見せず、そのままため息を吐くのが分かった。


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