待たせている人(2)
「部活入るの、やめたんだ」
何か他にも思うところありそうな顔をしながら、洋介はそれだけ言った。
帰り道で偶然出くわして、きっかけを作った彼には一応話しておこうと思ったのだ。
私は放課後になってすぐの帰宅中。彼の方は、週のうち火曜日だけは体育館が使えずに休みになるらしい。昼間の国道沿いを二人で歩くのは、登校し始めの頃以来だった。
なんだかんだといっても、これくらいの時間に帰るのが一番自然だ。私の身には、一年半の帰宅部生活が染み込んでいる。
引越す前には寄り道する店、一緒に帰る友達が必ずいたものだ。けれど、今はどちらもほとんど無い。駅を経由しないから、そもそも帰宅までの道のりが違う。
早く帰って何をするのかと訊かれれば、答えには困るが意味はあった。
特別会話する訳じゃなくても、こちらが気を配っていれば鬼二十は姿を消さない。退屈そうにしている割に、案外周囲も気にしてくれているらしい。そんな彼を見るのも、なかなか楽しかった。
前を向いたまま話していた洋介が、少しだけ振り返る。
「あいつ、あれからどうしてる? 何かあった?」
あいつという言葉に、いま調度考えていた鬼二十の姿が過ぎる。
なんでもそこに繋げすぎだと思ったけれど、洋介が私に尋ねる「あいつ」なんて、鬼二十以外にいなかった。
「鬼二十のこと? 別に、特に変わりないよ」
洋介の前で鬼二十の名を出したことは無かっただろうか。耳慣れない様子で、彼は目を細める。
「キハツ……。そいつって、いつもお前の部屋にいるの」
「いないっていうか、見えないときもあるけど大体は」
蔵に通っていた頃は、見えない間に先回りされていたことが数回あった。しかし基本的には、私に面を運ばせて移動する。呼べばすぐに現れるので、部屋にいるんじゃないかとは思っていた。
ふうん、と控えめに返して、洋介は黙る。
考えてみれば、私以外で鬼二十の存在を知っているのは、目の前の彼だけだ。最近仲の良い日奈ちゃんも、家族ですらも知らない。私にとって唯一最大の秘密だ。
しかし秘密というのは疲れるもので、鬼二十の存在をごまかすためには嘘をつくこともある。その点、洋介は既に知っているので気が楽だった。
いっそこの二人が仲良くなってくれたら、更に過ごしやすくなるんじゃないか。
それは思いつきの割には名案に思えた。洋介だってこうして尋ねてくるのだから、少しくらいは関心がありそうだ。
多少のぎこちなさは、初対面の状況を思い出せば仕方ないだろう。それなら余計に、鬼二十が極悪人ではないことを知って欲しかった。
「良かったら、今日鬼二十に会っていかない?」
隣に向けて提案すると、結構驚いた反応をされる。洋介はそのまま少し苦い顔をして、首を傾げた。
「……俺が上がっても平気なの」
家族に気を使っているのか、鬼二十を気にしているのかはっきりしない。私も両方に通じる言い方で返す。
「普通に友達連れてきたって言うよ」
家族は元々来客を嫌がらないし、鬼二十だって頼めば大体の要望には応えてくれる。それに、通すのは一応私個人の部屋だ。
一度考えるように視線を落として、洋介は「いいなら、いいけど」と呟いた。
今日は母がパートでいなかったので、祖母に声をかけて洋介を二階に通した。
もし母が彼を見ていたら、後で散々冷やかされたに違いない。万一鬼二十を見られたら、冷やかすなんて話では済まないのだけれど。
私が人を連れているのが分かるからか、ふすまを開けてもひとまず鬼二十の姿は見えなかった。
折りたたみ式のミニテーブルを出して、洋介には適当に座ってもらう。初めて部屋にあげたとき特有のどうでもいい世間話は、このあたりで枯れてしまった。
さすがに、そろそろ鬼二十が出てきてくれないと今日の目的が果たせない。何の反応も無い室内に、独り言みたいで照れながら声をかける。
「鬼二十、いたら出てきてほしいんだけど」
言い終わらない内に、鬼二十はミニテーブルに頬杖をついていつの間にか同席していた。小さなテーブルに向かい合う私と洋介、その間に鬼二十。小さな机の三方を三人で囲んでは、そこだけ人口密度がいやに高くなった。
呼んだ後とはいえ、突然近くに現れた鬼二十に、洋介が小さく「うわ」と声をあげる。鬼二十はむすっとした顔で、洋介に一瞥をくれる。
悪気は無いんだと私は思うけれど、鬼二十の無愛想は筋金入りだ。仲を取り持つために洋介を招いたのだから、私がうまく立ち回ろうと固く決意する。
「あのね。前に一度会ってるけど、こちら洋介」
とりあえず鬼二十へ笑顔を向けて、機嫌をうかがう。紹介された洋介は軽く会釈をしてくれた。
……お願いだから、鬼二十もせめて鼻で笑ったりしないでほしい。少しでも場を静かにしたら感じの悪さが際立ちそうで、私は意識的に明るい声を出した。
「ご近所さんで、同じ学校だよ。洋介には簡単に鬼二十のこと話してあるから、隠れる必要はないからね」
さもメリットがありますよ、という風に伝える。
鬼二十はそれに良い反応を見せるどころか、私にまでじろりと目で棘を向けた。こちらもつられて、微かに眉をひそめる。
鬼二十は細く息を吐き、それから洋介に話しかけた。
「学校で、これは何をしている」
これ、と言いつつ指は私をさす。これ呼ばわりされた方に驚いて、前に一度説明したことをなぜ訊いたのかと疑問に思ったのは、ずっと後だった。
今日現れてから一言目がこの質問だ。私が答えた方が良いのでは、と様子をうかがうと、それもまた場の空気にそぐわない。鬼二十は私の方を全く向かず、洋介だけを見ていた。
彼は困り顔で一度口を結び、鬼二十の視線から逃げずに答える。
「俺はクラス違うし、たまに偶然会うくらいだよ。何って、授業……受けてるんじゃないか」
そうとしか言えないよね、と内心で共感した。部活もしていないし、学校にいる時間の大半は授業だ。クラスが違うと、会おうとしない限り意外と顔も見ない。
洋介の答えを聞いて鬼二十はしばらく黙り、なにかを解釈して頷く。洋介も相変わらず鬼二十から目をそらさず、じっとしていた。
先に口を開いたのは、鬼二十だった。
「……洋介だな、分かった。その顔を覚えておく」
顔を覚えておく、なんてわざわざ言葉にすることだろうか。昔の言い回しなのか上から目線なのか、今すぐには判断しかねた。
冷やりとした私をよそに、洋介は「よろしく」と片手を出す。更に驚くべきなのは、鬼二十がその手をとったことだった。さすがに、険悪だったら握手はしなさそうだ。
私にはちょっと理解しがたい判断が行われたらしい。それからは鬼二十なりの友好的な態度を見せ、この日はひとまず丸く収まったのだ。
洋介を玄関まで見送ってから部屋に戻ると、鬼二十に呼びかけられた。振り向くと、真顔で私の目を見て、静かに語りかけてくる。
「無闇に男を部屋に上げるな。その気がないなら、尚更」
そんなつもりで呼んだんじゃない、と言おうとしていた私は早くも釘を刺されてしまう。
二人きりになるわけでもないし、どう見ても男性として洋介を家に呼んだわけじゃない。だから、普通注意されるようなことではない。そう思っていたのに、鬼二十の言い方だと一言目と二言目のニュアンスがばらばらに思えた。
言葉尻を追及したら、まるでその気があるなら部屋に上げてもいいと言われているみたいだ。
それでも一応、一言目には「男を部屋に上げるな」と言ったのだ。どちらかというと、前者を優先した方が良さそうではある。
二人の仲を取り持つのは、失敗してしまったんだろうか?
「洋介、いいひとだよ」
「だろうな」
しょげて小さな声で呟くと、鬼二十はそう即答する。聞き間違いかと思って様子をみれば、彼は肩をすくめた。皮肉ではないらしい。
じゃあなんで、と問うと鬼二十は視線を落とし、それからふいと顔を背けた。
「男のにおいは好かん」
……それだけ聞くと、物凄い女好きに聞こえるんだけど。




