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鬼の面  作者: 有川
3章
18/38

いまさら(1)

 鬼二十の様子が普段と違った訳を考えると、どうしても原因は私の行いしか思い当たらなかった。彼の生活で一番重要であろう、食事の周期を疎かにしがちだった事だ。

 延期をお願いするだけでも嫌かもしれないのに、私は予定を忘れていたことを数回知られてしまっている。何らかの不満は与えて当然に思えた。

 忘れてしまったのは、もちろんわざとでは無い。私にとっては、この二年間で今が一番忙しいし、意識する余裕が無かったのだ。


 しかし、運動部のほとんどは毎日活動がある。もし入部すると決まったら、疲れているから休みの前日にしてほしいなんて、毎回言えるはずもない。

 じゃあ運動部を入部先候補から外すかというと、それもいまいち腑に落ちなかった。


 もし好きな事ややりたい事が見つかった時には、何かのせいで諦めたなんて思いたくはない。ましてやそれが「誰か」だと、責任転嫁という言葉が頭をちらつく。

 鬼二十に食事を提供すると約束したのは私だし、部活をどうするのかを決めるのも私だ。場合によっては、両立を目指すつもりでいた。


 ……とは言っても、元都市部住まいの帰宅部女子高生だった私は、体力にそこまで自信があるわけではない。今日だって、土日休みを挟んだ今は元気だが、放課後どうだかは保証できなかった。



 考え事に耽っていると、あっという間に予鈴が鳴る時間になる。繰り返しのメロディが鳴り終わる頃、日奈ちゃんが駆け込むように座席に着いた。

 間に合った、と脱力する日奈ちゃんを微笑ましく眺める。そのとき、彼女がネクタイを握っていることに気が付いた。

 うちの学校には、リボンやネクタイの指定はない。むしろスクール用品の可愛いネクタイなどは、校則違反の類だ。

 そのあたりは律儀な子が多いようで、派手な子達でもその校則を破る人は全く見ない。日奈ちゃんの性格を考えると、おしゃれをするためにルールを破るタイプには思えなかった。


 それ、と指差すと、日奈ちゃんは大きな声を出して、それからとても悔しがった。眉尻を下げて、情けない声を出す。


「バイト用のネクタイ持ってきちゃった……」


 帰りに寄らなきゃ、と呟く日奈ちゃんをよそに、私はとても驚いた。熱心な部活に入っているし、土日を練習試合に費やすことだって多いのに、彼女はバイトもしているんだろうか。

 聞き間違いではないらしく、尋ねると日奈ちゃんはあっさりと頷いた。


「うちあんまりお金無いから、携帯代と部費くらいはね」


 コンビニの早朝バイトに平日の朝固定シフトで入っていて、学校に来る前に三時間ほど働いてくるのだという。前の晩は早く寝ているといっても、四時台に起きるなんて私にはなかなか考えられない。


「ときどき遅刻してくるのって、バイトしてるから?」


 少し心配すると、彼女は慌てて両手を振った。


「あー、ううん。逆。バイト無いと気が緩んじゃって、たまに寝坊しちゃうんだ。学校も緩めちゃダメだろって話だよね」


 いいんじゃないとも言えないので、二人とも苦笑しあう。

 ちょうど体力を使うことの両立を考えていた私は、この話題に身を乗りだした。疲れるものは疲れるし、どうやってそれを日常にしていくのだろう。

 こういう話は結局根性論に落ち着くしかないとは思うけれど、日奈ちゃんがぽつりと言ったことが、とても印象に残った。


「やっぱり、ダメだったときに影響が出る相手が自分以外だと、普段より頑張れる」


 で、授業中寝るのはテスト前に私が困るだけだから、つい……、と声をひそめて笑う。

 彼女にとっての相手とは、前の時間帯にバイトに入っている人や、学費を出してくれる両親だろう。そのために早起きしたり、学校まで走る。

 誰かのためにつらい思いをするんじゃなく、誰かをつらくさせないために努力するのだ。同じことのようで、私には違うものだった。





「鬼二十ただいま。すぐ食事にしよう」


 私が鬼二十の姿を見るなりそう言うと、さすがに驚いたらしい。逆に疑うような眼差しで、彼はこちらを凝視する。

 部活見学も終え、最近では当たり前の夕方帰宅だ。


 これは一つ目の、私なりの誠意だった。

 今日は先週の木曜からちょうど四日目になる。まず私の方から申し出て、覚えていることを知ってもらう。先に言われないよう、ふすまを開ける前から意識していた。

 向けられる視線を受け流して、私はまっすぐ机に向かう。まだ体力がつく以前の段階で、今まで通り体はあちこち痛い。でもとりあえずは、ベッドに飛び込むのはお預けだ。

 食事を渋っていると思われないためだ。


 結ったままだった髪を解いて、手ぐしで軽く整える。鬼二十の食事を済ませたら、すぐにお風呂に入るから適当でいい。

 私はそのまま鞄の整理を始め、お弁当の類を取り出した。鞄が重たいままでは、机の横に掛けられない。


 一度後ろを振り返ると、鬼二十はまだ訝しげに私を見ている。そんなに怖い顔をするほど不思議だろうか、と思わず苦笑した。

 気になることを放っておく鬼二十ではない。目が合ったタイミングで、私に疑問をぶつけてきた。


「急に、どうした」


 最近の態度へのお詫びと、今後あまり不安にさせないための振る舞いのつもりだ。しかし、そう答えてしまうと効果が薄れる気がした。

 顔を前に戻しつつ、ただ今言える考えを口にする。


「私この先忙しくなるかもしれないけど、約束した事はちゃんと守るから」


「約束」


 一拍置いてから、鬼二十は飲み込むように一言繰り返した。声の調子は、なるべく明るく保ったつもりだがどうだろう。お互い、それきり黙ってしまう。

 私にしてみれば、この沈黙はむしろ好感触でしかなかった。私が言ったことの意味を考えてくれているという気がするし、嫌味を返されてもいないのだから。


 この先私は学校生活に打ち込んで、かつ同居人とも円満に過ごしてみせよう。

 体はともかく、気持ちは学校に慣れはじめて、やる気にあふれていた。私は気分よく鞄の整理を再開する。



 不意に二の腕にぽんと軽く手が置かれて、それをきっかけに鬼二十が背後に来ていたことに気が付いた。


「ん、どうしたの」


 一応気になって尋ねながら、私はノートや筆箱の束を取り出す。それを机に置いてから振り向こうと思ったのだが、俯いていた私の首すじに手が触れた。

 指先が、首にかかった髪をぱらぱらと分ける。不思議ではあったけれど、言葉足らずな鬼二十のことだから、糸くずでもついているのかと大人しくしていた。


 襟首に一瞬、くすぐったいほどの毛束がかかる。それで身を竦めるより早く、濡れた感触がぬらりと首の後ろ側を這い上がった。

 思わず、悲鳴がかった声が出る。


「わ、やっ、なに!」


 うなじを咄嗟に押さえ、ぶつかる可能性にも構わず振り返った。

 机と椅子がガタッと大きな音をたて、足元には携帯が落ちる。私が慌てたからそうなったのだとわかるのに、鼓動三拍分の時間がかかった。

 真後ろにいたはずの鬼二十は、私が盛大に振り返ったときに一歩遠くへ避けたようだ。



 なに、と言いながら、私は何をされたかなんて察しがついていた。

 答えを待つまでもなく、その様子を想像してどんどん顔が熱くなっていく。

 この人は、突然何をしてくれるんだ!


 悪ふざけ以外の何物でもないだろうに、当の鬼二十は拍子抜けしたような顔をしていた。

 普段はしない事を突然しておいて、その結果に何を驚くのか。そんな顔をされたら、まるで私のリアクションが過剰みたいだ。居心地が悪い。

 胸はまだ、どくどくと速いリズムを刻んでいた。


 落ち着かなくて、うなじを押さえていた手をぎこちなく下ろす。鬼二十はそれを目で追うのに、まだ要領を得ない顔をしていた。

 何そんなに慌ててるの? とでも言われている気分になって、一人でしどろもどろになる。


「あの、だから、私、支度するって言ったじゃない……」


 言葉尻は小さくなっていくし、顔が熱いのも全然引いていかない。いよいよ恥ずかしくなってきて、私は手を口元にやる。

 さっきから私ばかりが喋っていて、不公平だとも思った。



 ――そこで初めて鬼二十は、にぃやりと不穏な笑みを見せた。


 一度ツボに入るとなかなか抜け出せないのと同じで、既に真っ赤な私には、そんな悪巧み顔すら心臓に悪かった。

 忘れそうになっていたが、鬼二十の顔はかなり整っている。こうやってからかわれたら、私なんてひとたまりもないのだ。

 気を逸らせようと、私は小さくかぶりを振る。指先を頬に当てると、冬でもないのに手で顔を冷やすことができた。


「そう、ていうか支度……あれ、今のって食事? まだ準備する必要あるの?」


 話すそばから思考が転がって、自分でも何を話しているのかいまいち分かっていない。鬼二十の方はうっすらと笑ったまま、それに答えた。


「いや、もう今日は必要ない」


 その喋り方がいやに余裕たっぷりで、私は久しぶりに鬼二十にもやもやと腹を立てる。

 必要ないと言うからには、さっきのアレは本当に食事だったわけだ。最初に、日焼け止めがまずいだとか文句を言ったのはどの口だ。


 色々と言いたいことはあるのに、顔が赤くなってしまった時点で私は負けている。意地の悪い笑みをした鬼二十に「お風呂入ってくる」とだけ言って、私は大またで部屋を出て行った。

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