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鬼の面  作者: 有川
3章
15/38

学校(1)

 二日目の朝も、洋介は私を待っていてくれた。

 私も別に、遅刻を心配するような時間に出ているわけじゃない。ただ彼の方が早いのだ。


 嬉しい反面、一人でも平気なのに何だか申し訳ない。

 でも洋介の立場になって考えてみると、自分から誘った手前「今日からは別々に行こう」とは言い出しづらいのかもしれない。そう考えるとかなり納得がいったので、私の方からそれとなく機会を作ることにした。


「再来週から朝練始まるから、じゃあそれまで」


 その話は彼のこの一言で収束して、私達はあと少しの間だけ一緒に登校することになった。

 自転車に乗ってからは、ほとんど会話は出来ない。今朝は、どんな部活があるのかを運動部中心に聞いて、駐輪場で別れた。



「おはよう! 峰岸さん!」


 クラスに入るとすぐに、数人の女子がやけにきらきらした面持ちで私を取り囲んだ。昨日少しだけ話したギャルっぽい子と、そのグループの子達だった。

 私は内心驚きながら、とりあえず挨拶を返す。その後で、何か話したそうにしているその子達を促した。


 彼女達は互いに目配せをして、やがて一人が口を開く。


「峰岸さんって、芦川洋介君と知り合いなの」


 瞳を輝かせていたのは、噂話の種になる好奇心だったらしい。

 こんな事を尋ねられるということは、今朝登校するところを見られたんだろう。やっぱり異性の友達とは、こういう面倒もある。

 彼女達がどういう答えを期待しているのかわからないので、私はにこにこしながら無難な答えを返した。


「家が近所で、最近知り合ったんだ。学校までの道教えてくれたの。親切だよね」


 おおー! とか、ええーだとか、楽しげなリアクションで場が沸く。最初に質問したのとは別の子も、初めて口を開いた。


「近所?」


「すごく近所。歩いて一分くらい」


 私の答えを聞くと、超近所だね! と再び私の周りが華やいだ。


 彼女達みたいなタイプの子とは今までも話はしたけれど、グループに入ったことはない。こんな風に色んな噂に興味を持ってはしゃいだり、大きな声を出すほど元気でもないからだ。

 別にその差が嫌なわけではなくて、これはテンションの違いの話なのだ。

 ……すごく具体的に例えるなら、彼女達はときどき中庭にお弁当を持って行って、ピクニックごっこをするタイプ。恋の話が大好き。

 私がいるようなグループは、毎日同じ教室で昼食を食べて、雑談するうちに昼休みが終わるタイプ。恋の話は、するなら放課後寄り道しながらだ。教室で互いに耳打ちしての、好きな人暴露大会なんて程遠い。


 枯れてるとまではいかないと信じているけれど、彼女達ほどはきらきらしていない。

 そんな私は、実は今少し落ち着かなくて困っていた。場違いな空気をほんのりと肌で感じる。予鈴も鳴りそうだけど、私は入口で鞄を持ったままだ。


 洋介は学年で多少目立つ方の男子らしい。たまたま彼女達には共通の知り合いがいないから、色々聞いてみたかったのだそうだ。

 それをきっかけに、今度は話題が私に移った。

 その場には初めて話す子が数人いたので、簡単な自己紹介がぽつぽつと始まる。峰岸さんじゃ堅くない? と一人が笑いながら言って、私はその四人から綾ちゃんと呼ばれることになった。

 幸い、この学校は校章と名札が一緒になっている。しばらくは名前を覚える時間がありそうだ。



「なになに、私もまぜてぇ」


 そこへ突然、後ろから両肩に誰かがのしかかった。振り向く前に、ショートカットの女の子が笑顔で私を覗き込む。体育大好き、といった印象の子だった。


「あれ、予鈴前に来た」


 ギャルの子達にそう茶化されながら、彼女は私の横を抜けてくるりと向き直る。名札を見たら、ただでさえ掠れた文字がひよこのシールで埋めつくされていて、苗字しかわからなかった。

 私が名札を見ているのに気付いたのか、彼女はニッと笑う。


「峰岸さん、私、鈴木日奈(ひな)。バレー部!」


 挨拶が終わるとすぐに、彼女は私の手を握って上下に振った。ギャルの子達はその横で、自分達はダンス部だと教えてくれる。

 この流れに乗って「私も部活動の見学をしたい」と言おうとしたところで予鈴が鳴った。



 先生が教室に入ってきてから、みんな席に戻っていく。

 昨日の今日で、私はまだ座席と人が結びついていなかった。ギャルの子達は前の方の席で、バレー部の彼女は私の斜め前だ。

 授業中、その日奈ちゃんが気持ちよさそうに眠るのを何度か見ていた。それどころか昼休みまで半分以上寝ていたので、私は気になって彼女を時々観察する。

 結果的に五限の十分前に目を覚まして、あわててパンを食べていた。周りの子が「詰め込むねぇ」と声をかけると、食べながらこくこく頷く。

 彼女はなんだか、見ていて可愛い。私は少し興味を持った。


 バレーボールなら、授業で簡単なことはやっている。サーブくらいなら入るけれど、部活はどうだろう。

 色々試そうとは思っているので、今日の放課後は彼女に声をかけようと思った。




 まだ昼間が長い季節だけれど、私が家に着く頃には夕陽が差していた。

 昨日の登下校でじんわりと筋肉痛になっていたところに、今日の校舎五周だ。帰りの自転車もかなり辛かったが、家についてじっとしてからの方が痛みが気になった。


 見学は快く了承してもらったけれど、やはり運動部は大変だ。

 初心者の私は、一年生の基礎練習を一緒にやった。走って筋トレをして、久しぶりにくたくただ。

 階段を上がると太ももがじんじん痛む。私は重い足どりで、自分の部屋へなだれ込んだ。


「あ、脚痛い……これやばい」


 鞄も足元に放り出して、一直線にベッドに上体を預ける。紺の制服に繊維がつくかもしれないが、疲れには代えられない。後で粘着テープで取ればいいや、と自分に言い訳をした。

 それからしばらくぼーっとしていると、ふすまが閉まる音がした。

 そういえば開けっ放しだったなと考えた次に、閉めたのは母か鬼二十かどちらだろうと悠長に構える。

 私は億劫に感じながらも、後ろへ顔を向けた。


 夕陽の赤いフィルターが掛かった室内に、同系色の鬼二十が立っている。この色合いはきれいで好きだな、と思わず考えが横道へ逸れた。


 鬼二十は何か言いたげな顔で、ベッドに伏せる私を見つめる。待っていても何も言わないので、私は小さく手を振って「ただいま」と呟いた。

 その言葉は望むものではなかったらしく、両目が少し細められる。


「何、どうしたの」


 尋ねると、瞳には微かに感情の揺らぎが映った。しかしその表情を気にかけるより前に、鬼二十が口を開く。私は自然とそちらに集中した。


「がっこうは、そんなにする事があるか」


 その言い方には、どこかあやふやな印象がある。私がまだろくな説明をしていないから、恐らく鬼二十は学校が何かすら知らないのだ。

 昔の言葉に置き換えたところで、概念を知っているかが怪しい。教育など妖怪には関係なさそうだ。

 私は今日も、きちんとした説明は諦めた。


「朝から昼過ぎまで勉強して、そのあとは部活……えっと、やりたい人が集まってスポーツ、じゃない、運動をするの。ボール……じゃなくて、こう、球蹴りとか?」


 説明に横文字を使えないせいで、私まであやふやな喋り方になってしまう。球を蹴る以外の競技は、全て球遊びとしか言えそうにない。

 バレーボールをどう説明したものかと悩んでいると、鬼二十はそれを待たずに口を挟んだ。


「で、体力は残っているのか」


 その質問を唐突だと思いながらも、私は鬼二十の方に向き直って肩をすくめる。脚は畳に投げ出して、背はベッドの脇に預けきった。伸びをすると体の節々がきしむような感覚がある。


「久しぶりに沢山動いて、もうすぐにでも寝れそう」


 苦笑まじりにそう言うと、鬼二十はゆっくり数歩近づいてきた。私を見下ろす顔は、ちょうど夕陽に下半分だけを照らされて、目つきがよく見えない。



「本当に今日でいいのか」


 問いに対して反射的に「何が?」と言いそうになって、口から間が抜けた声がもれた。

 私はそこでやっと、昨日の約束を思い出したのだ。「疲れているから、食事は明日にしてほしい」そういう事を、私から鬼二十に申し出た。

 取り繕おうにも、忘れていたのは傍目に見てもバレバレだ。鬼二十は大袈裟なくらいに、呆れたような顔をした。


「お前が言ったことだろう」


「そうだね。そうだった……」


 思い出したからには、私は約束を守ることにする。疲れてはいるけれど、筋肉痛は明日も残っているだろうし、延ばした分だけ負担も増す。

 私がウェットティッシュを手に支度を始めたのを見て、鬼二十は傍に膝をついた。お互い慣れたもので、流れ作業のように拭き終えた私の腕をさらっていく。


 顔を近付けて、寸前のところで鬼二十はぴたりと動きを止めた。

 その様子を見ていた私を、黒目が一度じろりと見る。


「私には、ますます分からん」


 言い終わる頃には、鬼二十の視線はもう伏せられていた。いつもの感触を腕に感じながら、その光景を眺めるのは気まずくて目をそらす。

 ……私に言ったんだろうか。

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