「行ってきます」(2)
希望を聞かれるということもなく、私は人数のバランスを考えたクラスへ入れられた。教室は、数字だけ見れば洋介の隣だ。
学校を移ったのは初めてで、周りを取り巻く雰囲気が全てひとごとみたいだった。
職員室で知らない教員達に色々と紹介をされたり、担任に「困ったことがあったら相談してね」と言われたり。始業式の間、事務員さんがお茶を煎れてくれたり。
私はその間ずっと、どこかぼんやりとしていた。
ホームルームが始まって静かな廊下を担任と歩くと、いよいよ自分は転校生側なんだと実感がわいてくる。
目的の教室以外も、廊下の私を見てざわざわと雰囲気が浮き立つのだ。お調子者ポジションだろう男子が、戸のぎりぎりまで覗きにきたりもした。
私のクラスの前まで来ると、中から「どっち」「女子だ」と声が聞こえてくる。
囁かれるこちらは正直、緊張っていうレベルじゃない。序盤の振る舞いに学校生活がかかっているんだと思うと、やけに気持ちが焦った。
ウケを狙いにいけるほど器用ではないし、かといって素のままでは地味に映るかもしれない。これが私の、今朝の心配事第一位だった。
「じゃあ、入ってきて下さい」
担任の若い女性教諭の声が、廊下に向けられた。結局、緊張をほぐす上手い手段は何も浮かばないまま、私は教室に入る。四十人はいるだろうクラスの全員が、私を見ていた。
えっと、まずは名前を言うのかな。と唾を飲んだところで、先生の方から名前を紹介された。あわせてお辞儀をする間にも、先生は私の出身地などを簡単に話し始める。
言うことが無くなる前にと、私はなんとか口を挟んだ。
「こっちにはおばあちゃんの家があって、そこから通ってます。よろしくお願いします」
第一印象といえば、とにかく笑顔だろう。それだけが思い出されて、顔に微笑みを貼付ける。
教師の位置に立つと全員の顔と机の上が見渡せるというけれど、それは本当だった。机の上は始業式の後でほぼ何も無いけれど、細かな表情まで把握できる。珍しい編入生に期待の目を向ける人もいれば、特に表情に出す感情を持たない人もいた。
敵地というわけではないが、仲間がいるわけでもない。それをひしひしと感じながら、私は纏った笑顔を保ち続けた。
「峰岸さん、目は良い?」
「はい」
どきどきしていると、先生が私の肩に軽く手を添える。今はきっと、ドラマで一度は見た構図が作られているだろう。先生は少しだけ耳元に寄って、いたずらっぽく微笑む。
「じゃあ、後ろに席増やしておいたから、そこに座って」
大勢の視線をうけながら、私は机の間を通って席に着いた。
始業式でどんな話がされていたのかは知らないけれど、ホームルームはごく普通のものだった。
担任の森先生は英語を受け持っているらしく、まずその宿題の回収があった。出席番号順に前に並び、皆その場で軽くコメントをされる。
自由に席を立っても平気な雰囲気になったからか、順番以外の女子が何人か私の座席まで来て話しかけてくれた。
インタビューみたいな、質問らしい質問をするしっかりした子は、やはりというべきかクラス委員だった。明るくラフな雰囲気で話し、私がグループになじみそうか試すように見るのは、いわゆるギャル系の子だ。
そこでの会話では、これといった失敗はしなかったと思う。でも、劇的に仲良くなりそうな子にも出会えなかった。
私自身、学校に来た転校生の机を進んで囲むタイプではなかったのだから、当然かもしれない。私は、明日から頑張らなくちゃと強く思った。
その宿題回収のわずか三十分程度しか、自由な時間はなかった。初日というのは、係や後期委員を決める話し合いがあるものだ。余計な話をする間もなく、決めるべき事を話したら、すぐに続けて帰りのホームルームが行われた。時間が押していたようだ。
今日はこれで終わりなのかと驚いている間に、クラスの大半は慌ただしく鞄を取り出して支度を始める。……周りから聞こえてきた話によると、部活動ごとに部室清掃があるらしかった。
当然私はまだ部活には属していない。見に行こうにも今日はきっと忙しくて、見学者に構う暇はないだろうと考える。
初登校だけど、今日はもう出来ることがない。私は、一人で帰ることにした。
職員用の昇降口から帰ろうとしていたら、森先生に呼び止められて下駄箱を案内された。
そちらから外に出ると、校庭と部室棟がよく見える。サッカー部がゴールを運ぶ様子は、箱庭の小人を見るようだった。
一学年の人数が前の高校より多いか、入部率が高いんだろう。大勢の人がマットを叩いたり、物を運び出したりしていた。
……私もやっぱり、部活に入った方が良いだろうか。いくつもの小集団を見ていると、気持ちはますますそちらへ傾いてきた。本来私は、流されやすく、群れの中で落ち着く普通の女子なのだ。
朝に洋介と来た道を思い出しながら、私は無事家へ帰った。学校は大きな道路沿いにあるので、曲がる角の建物さえ覚えれば、迷う心配はない。
玄関でローファーを揃えていると、微かに太ももやお尻へ違和感がある。「即日に筋肉痛の兆候があるのは若さの表れ」とはいうけれど、さすがに体力が無さすぎだと嘆息した。自転車通学に慣れるまでは、しばらく辛いに違いない。
居間で母や祖母に顔を見せてから、私は二階の自室に急ぐ。帰宅を始めた頃から、あの人のことが気になって仕方なくなっていた。
朝一番に解決させておいた、心配事第三位だ。家族がいる状態で鬼二十を残して行くことに不安があったのだが、少なくとも今日は部屋でおとなしくしてくれていたらしい。
部屋に入ってふすまをいそいそと閉め、鞄を机に置く。姿が見えないなと思いながら振り返ると、鬼二十はいつのまにかタンスにもたれて立っていた。
「わっ、ただいま」
少し驚いた私を笑うでもなく、腕組みをして黙っている。ちょっとした挨拶が日常にある私には、こういった自然な無視が気になった。
しかし、相手は何様・俺様・鬼二十さまといった態度の妖怪だ。不満を言う気にもならず、私は身仕度を始める。
「ちょっとごめん、着替え出すから」
タンスに寄り掛かる鬼二十に一声かけると、するりと私の横をすり抜けて、今度は机に腰掛けた。
私は取り出した部屋着を抱えて、自主的にタンスの陰へ移動する。鬼二十の主食を知って以来、むやみに肌を見せてお腹をすかされても困ると思った末の自衛だ。
着替えながら、沈黙に堪えかねた私は雑談を始めた。
「今日は自己紹介したんだけど、特に失敗はしなかったよ」
「そうか」
いつも通りの、情緒のない即答相槌が返る。私は制服を脱ぐ方に夢中で、たいして気にならなかった。
「教室は洋介と別になっちゃったけど、女の子の友達作らなきゃいけないし、まぁいいかなって」
先に脱いだ制服をハンガーにかけ、ふすまの枠にかけておく。さすがに下着姿では落ち着かなくて、急いで上着をかぶり、ズボンに足を通す。
適当な相槌すら無いなと鬼二十の事をふと考えたら、今いる部屋の隅が更に暗くなった気がした。
「綾」
机に座っているとばかり思っていた声が背後からして、私は思い切り体を跳ねさせる。
どうでもいいことだが、たった今ズボンを上げたところだから、普通にパンツを見られたかもしれない。
「……なに?」
くだらない話であれば、前置きも主語も無くいきなり話しそうな鬼二十だ。最初に名前を呼ぶ時は大事な用件だろうと、自然に聞く体勢になる。
「前の食事から四日経った」
鬼二十は真面目な顔をして、淡々と用を告げた。
私はそれを、本当に言われるまですっかり忘れていて、つい数秒固まってしまった。カレンダーを頭に思い浮かべる。今日はたしか、木曜日だった。
「ああ……。うーん、明日寝坊するのが怖いから、明日の夕方でもいい? その次は休みだから、私は多少負担増えても平気なんだけど」
日付を把握したらしたで、今日食事させるのは辛い気がして、お伺いをたてる。
今までは全て四日間隔だったけれど、必ずそうと決めた訳ではない。一日ずれようと、一応は一週間未満だ。私と鬼二十が良いと思えば、三日でも五日でも問題はないだろう。
私は気楽に申し出たのだが、鬼二十は口を結んだまま、目の前の私をじっと見下ろしている。
睨んでいるわけではない。眉間にしわも寄せていない。いつもの仏頂面ではあるが、何だかこの雰囲気は息が詰まった。
「あの、良い?」
私は不安になって、もう一度問い掛ける。
それにすらも鬼二十は返事をせず、この日は姿を消してしまった。
2章終わりです。
1章が出会いから、狭い環境で鬼二十を選ぶまで。
2章では友達ができて、学校に通い始め、綾の世界が広がりました。
それを踏まえて、以降での関係性の変化を楽しみにして頂けたらいいなぁと思います。