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鬼の面  作者: 有川
2章
13/38

「行ってきます」(1)

 ついに、あの幼児体型促進ワンピースを着なければならない日がやってきた。……高校指定の制服の事だ。

 左脇のファスナーを上げて、ホックを留める。ずっと前から覚悟はしていたのに、姿見を見るとテンションは急降下した。


「ぜったい、変」


 鏡にそう言ったところで、微妙に低いウエスト切り換えは変わらないし、はいていい靴下は白のみだ。

 前から気に入らなかった、制服と同じ紺色のプラスチックボタン。これは存在意義がほとんど無い。「ウエストに合わせて調節できます」と言わんばかりに両脇のベルトを留めているが、縮めたら変なシワが寄るに決まっている。

 あちこちに不満があって、挙げたらきりがなかった。


「……子供っぽい、似合わない」


 かれこれ十分は出発を渋っていた私に、ついには端から見ていた鬼二十も口を挟む。


「そんなことはない。お前に打ってつけな服だぞ」


 江戸生まれの妖怪に、このデザインの機敏が分かるとは思えない。二重音声で「そろそろ静かにしろ」とでも聞こえてきそうだった。

 元より、鬼二十にフォローしてもらいたい訳ではない。口に出して嫌だ嫌だと言うだけでも、多少はすっきりするのだ。


 鏡の前であらゆる角度を確認した後、時計を見て腹をくくる。一応インターネットで道は確認したけれど、初めての自転車登校だ。早めに出た方がいいだろう。


 具体的な事を考えだした途端に、映る顔が強張っていた。黒板の前で自己紹介するシチュエーションを想像しつつ、微笑んだはずが、頬は引きつる。

 これを見て、後ろに映り込む鬼二十が怪訝な表情をしていた。イラッとしてすぐに振り返ると、既に興味がなさそうにしている。

 私はあらためて鬼二十の前まで移動してから、非常に大事な確認をした。


「私、今日から学校に行くから。部屋か蔵にいてね」


 鬼二十は視線だけこちらに寄越して、黙って聞いている。ここで返事をしてほしいのだけれど、頷くことすらしない。私は間に焦れて、一度伝えた言葉を細かく言い直した。


「今日は早く戻るけど、明日からは朝に出掛けて、帰るのは夕方。帰りが遅くても、学校まで来たりしないでね」


 はきはきと区切って声を張る。私がこうやって強く注意するのは、先日鬼二十が人前に姿を現したせいだ。まだ洋介は鬼二十のことを尋ねてはこないが、もし訊かれたらどうにか説明をしないとならない。本人はちょっとした悪戯のつもりかもしれないが、困るのは私だ。恐らく私が話す内容ではなく音量へ、鬼二十は微かに眉根を寄せた。


「その、がっこうという場所を知らん」


 声はやる気の無さを固めたような、とてものんびりしたものだった。

 この人が素直にハイやイイエで答えない事を踏まえていれば、これは承諾と受け取れる。やらないと誓うのではなく、出来ない・必要がないで語るひねくれ者なのだ。

 私は息をひとつ吐いて、その答えで納得しておく。学校までは距離があるし、恐らくは大丈夫だろうとも思った。


「じゃあ、行ってきます」


 革のスクールバッグを肩にかけ、最後に一度だけ鬼二十を振り返る。廊下から小声でかけた言葉に、返事はなかった。




 自転車を引いてスロープを下っていくと、車道の所で見慣れた顔が立っていた。自転車と制服姿は初めて見るけれど、雰囲気は変わらない。洋介だ。


「おはよう。今行くところ?」


 声をかけると、洋介は私に気が付いて携帯をポケットにしまう。様子を見るに、私のことを待っていたようだった。


「道、不安だろ。最初だし一緒に行こうと思って」


 そう言ってほんのり見せる苦笑じみた笑い方に、とても彼らしさを感じる。大きい道を通ればたぶん迷わないとは思うけれど、気遣いに甘えることにした。

 家の前は坂がきついので、二人とも自転車の横を歩く。洋介は私の方をじっと見て、一言呟いた。


「制服、持ってたんだ」


 特に深い意味のない世間話の一つだろう。ただ制服関係は、今朝の私が気にしていること第二位の話題だ。う、と口を結んで、片手で制服の端をつまむ。


「引越してから時間あったから。……ねぇ、変?」


 この制服を着た女子を見て二年目の洋介なら、白靴下含む全体バランスがおかしくないか分かる気がした。

 彼は、少し慌てた様子で答えてくれる。


「別に変じゃない。普通に、似合ってる」


 似合ってる、とまで言わせてしまい悪いことをしたなと思う一方で、ちょっと照れた。

 ……意味としては、同じようなことを今朝鬼二十に言われた気もする。こうも心証が違うのは、人柄の差だとしか言いようがない。鬼二十の事を思い出すと、頭に浮かぶ顔は意地悪な笑みばかりだった。


 大きな道路に出てから、私達は自転車に乗った。

 こっちは、以前住んでいた街よりも風が強い日が多い。一列で走る間は特に、洋介に何か話しかけても聞こえていない様子だった。

 緩やかで距離のある坂に差し掛かると、スピードが落ちて、声は届くようになった。でも自転車に慣れていない私はかなり必死で、話す余裕が無い。体重をかけてふるふるとペダルを踏む私に速度を合わせながら、洋介は軽く笑った。

 頂点を越え、下りの方は想像より傾斜がきつくて、軽快に車輪が回る。気持ちのいい風をひとしきり浴びたあと、私は隣に並んだ洋介に話し掛けた。


「部活、入ってるよね」


 断定する言い回しをしたのは、ほとんど確信しているからだった。今日も鞄だけではなく、スポーツバッグも背負っている。彼はどこから見ても運動部だ。


「バスケ部」


 短く返された答えが想像とずれていて、少し驚く。


「バスケって体育館競技じゃない? 日焼けしてるから、野球かサッカーだと思ってた」


「これは、チャリ通学と自主トレで焼けた」


 横目に見ると、半袖のシャツから日に焼けた腕がのびている。洋介は向かい風に負けないように、大きな声を私に向けた。

 車道を挟んだ反対側を見るように言われて顔を向けると、私と同じ制服の女の子達が自転車を走らせていた。皆、前の学校のテニス部員くらいに日焼けしている。


「あれくらいは、珍しくない」


 そう言われて、私は今朝日焼け止めをしっかり塗ったかどうかの心配をする。今までは、駅から学校まで五分と歩かない生活をしていた。それでも女子は皆日焼けを気にして、日傘をさす子までいたのだ。登下校の時間は長いし、秋になっても油断は出来ない。自転車通学恐るべしと言うべきだろうか。


「部活、お前も入ったら?」


 思考が逸れていたところに、意外な奨めが洋介からなされる。この一年授業でしか体を動かしていない貧相な体力は、ついさっきも披露したばかりだ。

 私がううん、と首を傾げると、洋介は提案した理由を述べる。


「あと一年あるしさ。こっちに知り合いがいないなら、暇が潰れるんじゃないかと思って」


 前の高校では、部活には入っていなかった。スポーツは可も不可もなく、文化部系の技術はまぁ普通、という無難すぎる能力故に、興味がわかなかったのだ。

 でも確かに、女子は部活のグループで固まることが多いものだ。二年目の半ばに入っていくのなら、きっかけはあった方がいいのかもしれない。

 純粋に部活が好きそうな洋介の横で、女子らしい計算を働かせながら「いいかもね」と頷いた。



 学校に近付くにつれて、学生の姿が増える。どきどきし始めていると、後ろから一人の男子生徒が来て、洋介に声をかけていった。それを見て、いつまでも一緒にいては彼に悪いんじゃないかと思い直す。

 私が職員玄関に行かなくちゃと言うと、昇降口とは違う入口を指差してくれた。

 自分を知っている人と離れるのに、不安はある。最後に、一応洋介のクラスを聞いてから別れた。

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