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鬼の面  作者: 有川
2章
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友達(2)

 こちらでは車移動が基本だから、ショッピングモールなどで見かける女の子は、近場の子とは限らない。隣の市くらい車では簡単に行ける。徒歩圏内の小さな道ですれ違うのが、本当に近所の子だ。

 そうなるとやはり、ヨウ君とやらは近所に住んでいるのだろう。

 人となりは知らないけれど、一瞬疑ったヤンキーなどではなさそうだ。もしそうなら、あの後すんなり帰れるはずがない。



 今日は、ちょっと拗ねた気持ちで帰宅したあの日の翌々日だ。

 私はまだ、友達からのメールを待っていた。


 四日というと、うっかり忘れていた程度のことではない。受信フォルダに私からのメールは残っているだろう。一度は思い出したはずだ。

 物凄く落ち込んでいたとか、体調が悪かったとか、忙しくてどうしようもない時に送ってしまったんだろうか。だとしたらごめんと、軽く謝るメールを送ってみるか──

 それもしつこい気がするし、返事を強要するようで嫌だった。



 私が学校に通わなかった一ヶ月間に、特に感じたことがある。環境が変わるということは、違う時間を生きているようなものなのだ。

 今の私にはあの子しかいないように思えても、彼女には今まで通りの付き合いや学校生活がある。私と違う時期に行事やテストがあり、必要な物も違う。

 何日メールが来ない、なんてうじうじしている段階で、私はあの子にしがみつきすぎだ。


 大人にならなきゃと気ばかりが焦って、行動が全然伴わない。私は突然知らない道に入って、後ろを見ながら歩いているような状態だった。そのうえ、鬼二十の手を取っている。



 色々な理由を想像したり、気にしては駄目だと思考を追い出したりで忙しい。こんな時こそ働いて気分転換しようと思っても、蔵への荷物運びはもう終わってしまっていた。


 夏休みも終わりが近い。宿題がなくても、九月を控えた学生は落ち着かないものだった。

 私の場合は行かなかった分を補う必要もあるし、高校には珍しい編入生だ。それなりに緊張もする。


 この話も、出来るならあの子に聞いてもらいたいのに。

 ……考えが自然とそこに行き着いてしまう自分に、眉をひそめた。


 英語や数学は離れると特にわからなくなるからと、私は九月を前にテキストを開いた。それが全然進まない。

 呼べば姿を見せるだろう鬼二十は、今朝会ったきりずっと静かだ。私が机に向かったまま話しかけないので、いる意味がないと判断したのかもしれない。

 くるりと回したペンが、指に当たってノートに落ちた。



「あなたの知らない中学」


 小さく、一昨日自分が言った言葉を口に出す。わざわざ棘を付け足したような、嫌味な言い回しだ。

 距離感の無い彼の態度がちょっと嫌だったのは確かだけど、私の返事も相当感じが悪い。きっと彼の方も、私を嫌な女だと思っただろう。

 幸いと言っていいのか、彼とは近所だという以外接点はない。まさしく言い逃げになるけれど、会わないように気をつけよう。今のところあの商店でしか遭遇したことが無いんだから、そんなことは簡単だ。



 不思議なもので、こんな時に限ってイレギュラーは起こる。

 母が申し訳なさそうに部屋へ来て「またトイレの電球切れちゃった」と、私はお使いを言い渡された。

 それだけで済めばこうは言わない。買い物を済ませて店を出ると、ちょうど「ヨウ君」が角を曲がってきたのだ。

 私はぎょっとして、踏み出した足がぎこちなく一瞬止まる。彼の方もすぐ私だと気が付いたようだった。


 もめる前に逃げてしまおうと、私は顔を伏せ気味に横をすり抜けようとした。

 狭い道だから、彼が一歩横に動くだけで簡易の通せん坊状態になる。とりあえずは立ち止まるしかなかった。



「一昨日は、なんか怒らせたみたいでごめん」


 ……想像していないことを言われると、咄嗟には頭へ入ってこない。私の口からは、えっと間抜けな声が出た。

 この人はなぜ謝っているんだろうと、思わず顔を凝視してしまう。シャープな輪郭の中の表情は、わずかな敵意すらなかった。

 なんか怒らせたみたいで。その言葉からは、理由はよくわかっていないんじゃないかと窺える。なのに彼は、申し訳なさそうな顔をしているのだ。


 どれだけ善良な性格をしていれば、よく知らない人間にこんな態度を取れるんだろう。私はリアクションが一周して、結局呆然と彼の顔を眺めていた。


「この辺り、見たまま田舎だからさ。近い歳の子供は大体顔合わせて育つんだよ。同い年なのに知らない顔だったから、つい」


 彼は言い訳のように一昨日した質問の内訳を話し、目を細めて苦笑する。

 今日もTシャツにジャージ姿の彼は、どうやら走り込みでもしていたところのようだった。口を開くたび、真面目で正直なスポーツマンのイメージが定着していく。


「引越してきたって、おばさんに聞いた。……名前、聞いていい?」


 大人しく聞いていた私も、話を振られてはたと気がつく。

 彼が悪い人でないのはよくわかった。なのに、この妙なもやもや感が言葉を出すのを許してくれない。


 なんでこう、とんとん拍子に話が進んでしまうんだろう。いつも電車の同じ車両に乗るような、その程度の仲でしかないはずだ。少しタイミングが合っただけで、名前を訊かれたり、自分の挑発的な言葉をフォローされるのに戸惑う。

 上手くいってほしい事は停滞するのに、見知らぬ彼とはレールを敷かれたみたいに強引に引き合わされ、背中を押されるようだ。


 お人よしらしい彼も、私が名前すらすぐには答えないことに少し訝しがる。

 その反応こそ正解でいいと思うのだ。私は全く友好的にしていないのに、相手が根気よく処理して話がきれいにまとまるなんて、出来すぎだ。


「……私、あなた知らないし」


 目を逸らすと、彼は少し笑いながらも「は?」と私の言いようを非難する。


「そりゃ、そうだろ。だから話しかけてるんだって」


 もっともな言い分です……。

 私は「ヨウ君」と上手くいかなくてもいいんだ! と天に訴えるように、捻くれた態度ばかり取っている。自覚はあっても、正論を言われると口は続けて反発した。


「人に訊く前に、自分から言うってよく言わない?」


 我ながら、漫画に出てきそうなくらいの生意気な台詞だ。言った直後から「さすがにこれは無い」と後悔の嵐が吹き荒ぶ。彼も、これにはムッとした表情になった。


「……俺は、芦川(あしかわ)洋介」


 なのに、なぜ名乗ってくれてしまうんだ。

 彼がいい人であるほど、私の酷い態度が照らされる。真っ直ぐな眼差しが私に穴を空ける。

 全てのことが思惑の反対をゆくようで、私はそこからも逃げ出してしまったのだ。




「お前は近頃、買い物の帰りが遅いな」


 部屋に戻ると、鬼二十が咎めるような目つきと口ぶりで一言刺した。早く帰ると言ってもいないのに、つられて謝ってしまった。

 お使い程度で帰宅が遅いと言われては、九月からの登校が不安だ。普通の高校生活は朝早く出て、帰りは夕方になる。半日は鬼二十をほったらかしにするだろう。

 ななめ掛けの鞄をポールにかけ、ふうと一息つく。すると、背後からベッドを下りる音がした。


「……綾」


 鬼二十の口から私の名前が出て、心臓がぎゅっと縮んだ心地になる。


 母がよく私を大声で呼ぶからか、いつの間にか名を呼ばれるようになった。しかしこの呼びかけには、ときめいたりするような意味合いは無い。

 壁にかけたカレンダーをちらりと見て、記憶を辿る。


「ああ、うん。もう四日だ」


 初めて腕を舐められた時の「食事」は、やはり取り過ぎにあたる量だったらしい。それは鬼二十の方も体力がかなり限界に近かったからで、穴埋めをした私も結構嫌な気分を味わった。

 お互い余裕を持つために、一週間未満のうちに軽く済ませる約束をしたのだ。


 日焼け止めがついたまま、もしくは汗をかいた体を舐めさせるのは当然問題だ。かといって、お風呂上がりに食事をさせてそのまま寝るというのも落ち着かない。

 中間を取って、私はお風呂に入る前にウェットティッシュでその部分をよく拭き、鬼二十へ差し出す。このウェットティッシュも、変な薬品が入っていないものをわざわざ買ってきた。

 そのケースを手にして、鬼二十のすぐ前に腰をおろす。小首を傾げる、というと形容が可愛すぎる気もするが、鬼二十はそうして私の目をじっと見た。


「今日も、手か」


 それは単なる確認だ。しかし私は、前回初の試みとその光景を思い出して、赤面しそうになる。



 西洋の王子様が手の甲にキス、なんてシチュエーションですら、慣れない女の子には恥ずかしいものだろう。私だって免疫がある訳じゃないのに、四日前の私は深く考えずに「手」を指定した。

 「腕」では広範囲すぎるし、初回のような異様な雰囲気は避けたい。袖を捲る必要すらない、一年中露出している「手」なら何の問題も無いだろう。そう考えたのだ。


 手、つまり手首から先だけだと言われて、鬼二十は難しい顔をした。私との約束は、力で押さえつけないこと。それを意識してか、私が差し出した両手をそっと下からすくって、顔を近づける。

 ちろりと赤い舌がのぞいて、軽く指の第二関節から拳の凹凸を辿った。それだけで手は反射的に力が入って、小さく震える。


 私は即座に「手」を指定したことを後悔し始めた。鬼二十は伏し目がちのまま、私の顔を見ることはしなかったけれど、私には状況の全体が見えてしまう。

 これではお互い両手を取り合っているみたいだ。しかも鬼二十は真剣な表情で、私の手に舌を伸ばす。それもキスのついでの戯れ程度ではなく、表面にあるという気を舐めとるのが目的なのだ。

 舌ばかりを口から突き出すのは困難だ。だから舐めようと顔を傾ける鬼二十の唇が、舌と一緒に指先をくすぐっていく。


 ……手の方がよほど、視覚的に不健全だった。神経が多い分、感触も腕よりずっとこそばゆい。


 はたして赤面とは我慢できるものなのかといつも思うが、今となっては努めるしかない。

 思い出した四日前の映像を必死で吹き飛ばすように、私は大きな声で「今日からはずっと腕!」と鬼二十に伝えた。


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