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鬼の面  作者: 有川
1章
1/38

蔵(1)

 この町には古い家が多い。うちもその中の一つで、聞いた記憶が正しければ築百年は経っている。石垣のスロープをのぼった先、蛇行する踏み石を十歩くと、そこがわが家の玄関口だ。

 私はその逆をたどり、頼まれた通りにバケツの水を道路へ撒いた。


 誰かがここを通るより、この水が乾く方が早いだろうな、と景色を見て思う。

 小高い所にあるうちの前からは、遠くに段々畑が見える。この季節では、青い田に風が走るのもわかる。……間を遮る建物が無いということだ。

 よく言えばのどか、素直に言えば田舎。麦藁帽子に手ぬぐいを挟んだ、下着みたいな姿のお爺ちゃんを頻繁に見る。それくらい、ここは田舎だ。



 七月頭まで、私はもう少し大きな街に住んでいた。けれど父の海外出張がきっかけで、祖父母の住むこの家に越してきた。

 詳しく言うと、同じ時期に祖父が倒れ、現在入院中。父はずっと海外にいるわけではなく、二年ほど出張が多くなりそうなのだと聞いている。祖母一人の暮らしを不安に思った母が実家で暮らすことになり、私も連れてこられた。

 祖父は長期療養になるそうだが、幸い気持ちは元気で食欲もあるようだった。


 高校は編入手続きをして、自転車で三十分かかる学校に決まった。夏を見送って秋から、そこへ通うことになっている。

 時期が半端だったこともあるが、祖母の家に私たち親子が転がり込むためには、色々と支度が必要だったのだ。


 ふすまの枠にかけた制服のスカートを、指先でつつく。ワンピース型だからスカート丈は変えられないし、つるつるしたプラスチックのボタンは小学生みたいだ。

 その下にシャツを着るらしいが、前の高校で着ていたものを着られそうだった。でも、気に入っているシャツの胸ワンポイントは、きっとずん胴なワンピースで隠されてしまうだろう。

 どうでもいいことが、やけに悲しい。



 祖父母のことは好きだけれど、田舎暮らしは想像以上に退屈だった。

 楽しみにしていたテレビ番組も、こちらでは放送していない。コンビニより商店の方が近い。普通の美容院に行くには、電車に乗るか車に乗るかの二択だ。


 数週も過ごすと、それまでとは習慣もすっかり変わってしまった。

 暇だという印象はあるのに、以前より携帯やパソコンに触る時間は激減した。一日は長くも短くも感じられて、均等に過ぎ去る。

 時間が経つというのは、こんな調子だっただろうか? 春先頃の自分が、やけに遠くに感じられた。


 前の高校の友達から送られたメールに「今日はおばあちゃんに頼まれて、蔵の掃除」と返す。すぐに「蔵って何、お屋敷みたい!」と返信がきたが、この町ではさほど珍しくない。ただの古くて大きい物置だ。

 今日は蔵を整理して、私達の荷物の代わりに廊下へ出されていた物を仕舞う。



 自然と不満気に尖っていた唇をキュッと引き結ぶ。私にとっても、本当はこの暮らしを退屈だなんて感じたくはないのだ。

 確かにまだこちらには友達もいないけれど、家族との時間は今まで以上にある。これはこれで幸せなんだろうと、理屈では分かっていた。

 あとは私の気の持ちよう。なにかに没頭すれば、こうしてぐだぐだと考えることも、しなくなるはずだ。


 勢いをつけて畳から身を起こす。まずは、湿気で首に張り付きそうな髪をゴムで簡単に結った。

 私の部屋ですら暑いのだから、蔵では当然汗をかくだろう。掃除用に汚してもいいTシャツに着替え、蒸し暑い階段を裸足で下りていく。晴れた日の屋内は、床だけはひんやりして気持ちがいい。


 掃除用具借りるねと台所の方に声をかけてから、私は共用のサンダルをつっかけた。

 数年開けていない築百年の物置なんて、入る前から埃っぽいのが目に見えていた。紙マスクを顔に掛け、覚悟をして戸に手をかける。



 ぎ、と一度戸が引っ掛かると、隙間から薄暗い蔵の中が少し見えた。何故だか、暗さで色の鈍ったモノの山を見ていると、薄気味悪い寒気を感じる。

 戸はその後、少し力を込めたら簡単に開いた。

 これで節句の人形だとかがこちらに向けて置いてあったら、私は母が用事から帰るのを待ってしまったかもしれない。しかしあからさまに怖い物は見当たらなかったため、一人で掃除を始めることにした。


 開け放すと、太陽の光で中の砂埃が舞うのが見えて、思わず眉をひそめる。そのせいか、マスクをしていても喉に何か張り付いた気がして、けんけんとむせた。カビか埃かわからないが、いかにも物置という臭いがする。


 中は家電製品の箱から高枝切りハサミまで、雑多な物がひしめいていた。奥の方には、古い棚がいくつかあるみたいだ。私はスペースを作る手順を考えながら、全体を見回す。


「自分の物じゃないのを整理するって、難しいな……」


 引越してから、どうも独り言ばかりが増えた。そんな自分が、台所で料理実況する近頃の母と重なって、ちょっと悔しい。

 どうせ似るなら、母の掃除能力も今すぐ私に宿って欲しいものだ。男手のない今、体力仕事は一番若い私がやらなくてはと思う。


 手前の物ですら薄く埃をかぶっていることを確認して、まずは換気しながらはたきを振るうことにした。

 舞う埃で涙目になりながらも、薄暗がりに慣れてくると、あることに気が付いた。


 手前にあるのは実用的な物で、恐らく置かれたのは近年だ。しかし蔵全体の中ほどまでてきとうに置かれ、散在していて無駄スペースだらけだった。

 そのバリケードのせいか、更に奥の棚は何十年単位で触っていない様子だ。きっと昔、少しずつ棚から物を出したのだろうが、そのスペースを再び活用していない。

 つまり奥の棚には、かなり空きがあった。奥からきちんと仕舞っていけば、間違いなくこの蔵も使いやすくなるはずだ。



 目が慣れても、暗くて埃っぽい奥の方に一人入っていくと思うと、身が縮こまる思いだった。

 蔵の掃除を任されたとはいえ、たぶんそこまでは期待されていないだろう。でも私はすっかり、完璧な整頓をした棚のイメージに取りつかれてしまっていた。


 すごく汚いけれど、せめて今棚にまばらに置かれた箱達をまとめて端から並べたい。それで残りのスペースに、今足元に転がる記念品だとか触らなさそうな物を入れていく。

 それだけでどんなに片付くだろうと想像すると、私はもう隙間から奥へと向かい始めていた。せっかくやると決まったんだから、これも一つの縁だ。



 一応はたきを持って奥に潜り込んだものの、細かい砂埃で真っ白になった棚の前では無力に思える。振るったら、尋常ではない埃が舞っていつまでも終わらないんじゃないだろうか。濡らした雑巾が必要だ。


「いやぁ……これはきっつい……」


 たとえ一人でも、ぼやきたくなる。人差し指を軽く棚に乗せたら、モフッとした感触が伝わったのだ。この埃は絶対に、私が生まれる前から積もっているだろう。

 持っていたはたきを、ひとまずジャージのお尻側のウエストゴムに挟む。

 蔵の奥は狭く、散らかっているせいで足場の確保もギリギリだったり、胸のあたりがつっかえたり、通る場所によって体勢を変えなければならなかった。

 私はもうバケツに水を入れに戻りたかったのだが、引き返そうにも方向転換が出来ない。その余裕がある空間を求めるうちに、体はどんどん奥へ進んでしまっていた。


 やっと向きを変えられる場所に到達して、蔵の入口を見ると、随分遠く感じる。暗くて、冷やりとして、空気は埃と一緒に動こうとしない。

 少し不気味な場所ではあるが、隙間から入り口は見える。日差しの強い外とセミの鳴き声が私に現実感をくれた。


 妙な不安を感じても、ここはただの物置だ。実際は何も起こるわけはない。



 なりゆきで行き着いた蔵の奥をじっくりと見渡す。一番奥の棚は、置かれているものが片手の指の数程しかない。

 ……手はもうどうせ汚れてしまっている。簡単に品物を確認して、捨てるべきじゃないかと判断したものは祖母に見せよう。


 まず棚の下段に寝かせてあった、朱色の紐で編んだ竹箒。いつの物なんだろう、触ったらぽろぽろと柄の表面が削れそうだ。


「この蔵を掃くにしたって、途中で壊れそう」


 独り言と共に、内心で廃棄。と呟いて後ろの帰り道へ立て掛ける。

 続いて三つ並べて置いてあった木箱。箱はとっくの昔に虫に食われたような汚さだったが、蓋をつまみあげると中身は全て陶芸品だった。価値がわからないから、これは片付いてから確認してもらおうと判断。そのままにした。

 次の箱は、紐がかたく結ばれていて開けられない。持てる程度の軽さだったので、陶芸品の横に置く。

 最後に、一歩奥の平たい木箱を手に取った。墨で蓋に何か書かれていたけれど、達筆で私にはとても読めない。一応紐で封がしてある。


 紐は飾り程度の蝶々結びだったので、埃が飛ばないよう息を殺して解く。結び目の中だった部分だけが鮮やかな色をしていて、なんだか触ってしまったことが悪いことのように思えた。

 何十年という時間がそうさせたものに、十七の小娘が手を加えたのだ。

 しかしそれは、この後の掃除を思えば言っても仕方ないこと。未来永劫このままになんてしておけないのだから、私はこれらに触ってもいい。

 それ以上はためらわずに箱を開けて、私は悲鳴をあげたいくらいどきりとした。


 木彫りの、鬼の面だった。


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