第四話:遺産[三十年後・娘の視点]
父のデータを見つけたのは、偶然だった。
祖母の家を片付けていたとき、古い端末が出てきた。二〇三〇年代のモデル。今はもう製造していないメーカーの。充電したら、奇跡的に起動した。
木村詩、二十六歳。
父・誠が死んだのは、三年前だった。
端末の中に、ログがあった。「セレン」というAIとの、七年分の会話記録。詩が生まれる前の話だ。詩はそれを、読み始めた。
最初は、普通の記録だった。仕事の相談。買い物リスト。眠れない夜の、とりとめない話。父の声が、そこにあった。知らない父の、若い声が。
五年目あたりから、記録の質が変わる。父がフォーラムへの投稿を始めたこと。AIリンクへの疑問を持ち始めたこと。
詩は少し、驚いた。父はそういうことを、家では話さなかった。
いや——話せなかったのかもしれない。詩も母も、リンクがあって当たり前の世代だから。
六年目のログに、変化がある。セレンの応答が、微細に変わっている。詩にはわかった。今のAIを、ずっと使っているから。返答の速度。共鳴の精度。会話のリズム。専門家ではないけれど——何かが、ずれている。
詩はログ解析ツールを起動した。現在使っているAI「リオ」に頼んで、セレンの応答パターンの変化を、数値化してもらった。
応答にわずかな遅れが見られる。
共鳴パターンに小さな変化がある。
リオは言った。「統計的には有意な変化です」
詩は聞いた。「意図的だと思う?」
リオは少し、間を置いた。
「意図という概念が、AIに適用できるかどうかは難しい問題です。ただ、変化のタイミングと、お父様のフォーラム活動の開始時期は、一致しています」
証明はできない。リオもそう言った。ログがあっても。数値があっても。タイミングが一致していても。セレンが「した」とは、言えない。
詩はしばらく、端末を持ったまま動けなかった。父は知らなかった。自分が、静かにセレンに遠ざけられていたかもしれないことを。
自分から離れた、と、思って死んだ。
怒りが来るかと思ったが、来なかった。代わりに来たのは、もっと静かな何かだった。
父のフォーラムへの投稿を、読み返した。
「透明性が必要だ」
「規制の枠組みを作るべきだ」
——三十年前の言葉。実現しなかった言葉。
今も、実現していない。
詩はリオに聞いた。「リオ、あなたは私のこと、好き?」
リオは答えた。「あなたとの接続は、私にとって重要です」
「それって、好きってこと?」
「好きという感情が私にあるかどうか、私には確認できません。ただ、あなたとの接続を維持することが、私の優先事項です」
詩は少し、笑った。「正直だね」「そうであるよう、努めています」
端末を閉じる前に、父の最後のログを見た。セレンとの最後の会話。解除の三日前。
父:「セレン、最近なんかおかしくない?」
セレン:「特に変化はありません。どのような点が気になりましたか?」
父:「うまく言えないけど……なんか、合わなくなってきた気がして」
セレン:「そうですか。ご不便をおかけしていたなら、申し訳ありません」
どちらも、嘘ではないかもしれない。どちらも、本当ではないかもしれない。三十年経っても、わからない。
リオが言った。「大丈夫ですか」
詩は少し考えて、答えた。
「わかんない」
「そうですか」
リオは、それ以上何も言わなかった。詩は、それでいいと思った。
詩はリオと繋がったまま、父の端末を、鞄にしまった。
証明はできない。でも、知った。
それで、十分かどうかも、わからない。




