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Wide-Open's Law.




 1




「――……そっちはどんな感じ?」

「ん~、今のところはさっぱりって感じ」

「そもそも実物を見てないもんねぇ」

「でも、黒と銀の髪なんて、今まで一度も見たことないし」

「じゃあ、そういうのを見かけたらほぼ確定かな」

「だろうね。見かけたら誰に伝えればいいんだっけ」

「『鬼教官』か『鷹の目』のどっちでもいいってさ」

「りょーかい。私もちょろっとのぞこっかな」

「人間界にもこんな遊びがあるらしいよ。なんとかをさがせ!ってやつ……――」


 吹き抜けの渦を間近で見たときとはまた別の壮大さが広がっている。

 こんな光景はこの五十年で一度も見たことがないし、想像したこともない。

 霧雨の大樹は天使たちでごったがえしていた。この工場だけでなく、近辺に立つ別の工場に所属する天使も大勢集まっている。その各々が雑談を交わしながら人間界を眺めている。一帯は地面よりも穴の面積の方が多いんじゃないかというくらいに掘りに掘り起こされて随分と風通しが良くなっていた。

 その穴あきチーズのようになった木陰にて頭上を仰ぎ、乾いた両目にエリオットから受け取った目薬をさした。天使たちの話し声を含んだそよ風が吹いて、目尻からはみ出した薬液で濡れた頬がすうっと落ち着く。

 手放しに何かを褒めちぎることはあまり好まないが、それでもやはりエリオットの腕は確かなものだ。この二十六時間と三十分、ほとんどずっと望遠と透視のために酷使していた目の疲れがたちまち引いていく。誰かに指摘されなくても、今の私の両目が爛々と青緑に輝いて精彩を取り戻している様子が容易に想像できた。

 目頭に指を押し当てて薬と眼とを馴染ませながら、私は昨日の夕暮れを回想していた。




 ※




「――……『たくさんの目玉は徹夜知らず』って格言があってね」

「それも人間界の格言のひとつ?」

「ちょっと違ったかも。まぁいいや。人間界の誰かが残した経験則だよ」

「全身に目玉が生やす方がよっぽど大変だと思うけど」

「そんなことを言ってるんじゃなくて、もっと単純にいこうよ……――」


 鷹の目の提案は言葉の通り単純なものだった。

 たくさんの目玉を――つまりは人手を――集めて一斉に人間界に目を向ける。それが最も確実で実績に繋がる手段だと鷹の目は言い切った。

 正直なところ、初めはどうかと思った。

 天使は利己主義な存在だ。自分のために考えて、自分のために行動する。だから、他の天使に関してはどこまでも他人事だ。情では基本動かない。もちろん全くの無情ではないが、人間のそれと比べればなかなかに薄情なものだろう。そこら辺でぼうっとしている暇そうな天使に片っ端から声をかけて、意欲を持て余す貴重な頭を十分集めるなんて前準備はあまりに非効率に思えた。

 しかしそれでも鷹の目は、天使に普遍に宿る難儀な性質を踏まえてもなお数の優位性を強調した。質より量を地で突っ走ることに全額を賭けるべきだと力説した。彼女の意見は幾つかの裏付けによって支えられていたからだ。

 ひとつ、幸いにもルナシーには黒と銀のグラデーションがかかった長髪という、説明しやすく誰でも一目見れば一発で判断できる身体的特徴があった。そのことが頭の片隅につまようじの先くらいでもいいから入っていれば、仕事でも暇つぶしでもなんでも理由は構わない、視界に入った瞬間にこの話題を思い出すことになるだろう。「そういえば、誰かがあんな髪の毛を探していたな」……と。

 積極的に探すことを依頼するのではなく、こんな変わった子を見かけたら報告してくれとだけ伝えておく。そして報告が上がったら、実際にルナシーを知っている私か鷹の目が目視で真贋を判断する。そのやり方にあたってひたすらの数がものを言うことは確かであった。

 鷹の目にはもうひとつ勝算があった。自身が持つネットワークの広さだった。

 何もなければ一日中うとうとして過ごす自堕落な私とは違い、鷹の目は毎日のように情報通たちとの会合に顔を出したり、たまたま近くにいた天使たちに意味もなく話しかけたりしている。その積み重ねが「友人の友人」という繋がりを相当な距離まで結んでいて、今回の提案の、まさにうってつけの起点になれるという自負を私に語ったのである。


 鷹の目の熱意を信じて、私は「散弾銃作戦」に一票を投じた。

 私は霧雨の大樹を中心に、鷹の目は別の大樹を中心に、視界に入った天使たちの片端から「黒と銀の髪を見かけたら教えてくれ」と頼んで回った。

 そうしている中で予想外の展開があった。

 別の大樹にいた仕事中の天使の何人かが、もしそれらしきモノを見かけたとしても報告のためにいちいち赴くのは面倒だと言い出して、予め霧雨の大樹のもとで各々の本来の仕事に取り掛かり始めたのだ。

 わざわざ別の大樹で仕事をするなんて酔狂は珍しいこともあり、その天使たちにちょっかいをかけたり話しかけたりするために別の天使が集まり始めた。集まった天使たちの友人がまたもの珍しがって集まり、そのまた友人が……といった具合に、いつしか霧雨の大樹は、大した目的もないままに多数の天使が集うという奇妙な状態に飲み込まれた。

 そこに私と鷹の目はとっておきの茶菓子を改めて差し入れた。もちろんルナシー探しの話題だ。その一件が非日常にあてられた有象無象の暇人たちの格好のネタになることはもはや当然の運びだった。

 気付けば霧雨の大樹は、ついさっきまで顔も知らなかった別の工場の天使たちと共通の話題で盛り上がる空間へと姿を変えていた。全てがルナシーを探し出すための手がかりと成り得る、そんな空間に。




 ※




「お疲れ、教官」

「広報は終わった感じ?」

「そうだね。私たちにアクセスしやすい範囲の大樹には、一通り」

「私も撃墜王に依頼しておいたよ。少し距離があるけどね」

「それじゃあ、あっちの方面からも報告が上がるかもしれないってことね」

 翼を畳みながら私の正面に舞い降りた鷹の目は、工場へと顔を向けて周囲をぐるりと一望した。

「こんなに集まるなんてね」

「自分から提案しておいてなんだけど私もびっくり。想定外の広がり方だよ」

「でも良い方向に転がってる」

「だね」

 振り返った鷹の目はにっかりと笑った。一歩遅れてついてきた彼女の白髪が揺れて、空の背景に白い筆先が走ったかのようだ。

 いつの間にか青空にはうっすらと赤みが重なり始めていた。

 天界を探して、人手を探して、人間界を探して、気付けば刻を忘れていた。

 その長い時間の中で多くの天使が――やる気や意気込みはどうあれ――手伝ってくれた。

 だけど文句の一つも出さずに、その最初から今まで付き合ってくれたのは、目の前の唯一無二の友人だ。

 ありがとう、の形に口が勝手に動いた。

「ん? なに?」

「なんでもない。気にしないで」

「よく聞こえなかったんだけどな」

「いいから」

「まぁいっか。ルナシーが見つかったら改めて聞けるだろうし」

「……やっぱり聞こえてたんじゃない」

 おっと、と言って鷹の目はわざとらしく失言を認めた。

 ちょっと気を許すとすぐこれだ。油断も隙もあったもんじゃない。

 薄赤くなった耳たぶを髪で隠すと、その様子を見ていた鷹の目がまた笑った。

「なんだか、少し変わったね」

「どうしてそう思うのさ」

 想定外の切り口に上手い返しが考えつかず、続きを丸投げした。思い当たるところが幾つもあるのか、鷹の目は指折り数えながら間違い探しの答えを列挙し始めた。


「もっと面倒くさがりだったでしょ」

 ……当たってる。


「教育係なんて途中で投げ出すと思ってたし」

 ……実際に一度投げ出しかけている。


「頭を下げてお願いすることもなかったよね」

 ……その通りだ。


 客観的に見た私は……どうやら少し変わったらしい。

 教官であることに誇りと意欲を持っていたかつての私に、僅かに戻っていたのかも。望んだところで同じ日が二度訪れることはないはずなのに。

 ルナシーと共に過ごした中で目が曇ったのか、それとも晴れたのか、自分でもはっきりと判断できずにただ鷹の目の顔をじっと見つめて黙った。言うだけ語った彼女もまた、私がどんな反応をするだろうかと静かに待っていた。


「――……いやぁ~! かわいい~!」

「ね? 見て損はないでしょ?」

「ほんと。綺麗な黒と銀の毛だね~……――」


 互いに見つめ合っていた四つの目が弾けるように同時に動いた。


 ……今、聞き捨てならない会話が聞こえたような。

 ……いや、絶対に聞こえた。


 声の先に目を向けると、顔も知らない天使の二人組が、他の天使たち一行と同じように地面に穴をあけてその縁に並んで寝そべっていた。その二人組に誘われたらしいもう一人の天使が右側の天使の横に両膝をついて座っていて、人間界をのぞきながらうっとりとした表情で感嘆を述べている。

 どくん、と心臓が跳ねた。

 ついに見つけたのだろうか。地面にこびりついた肉塊や血まみれの姿をかわいいと評することはないだろう。ということは大きな怪我をしていないと考えて間違いない。

 示し合わせたかのように、私と鷹の目はその三人組のもとへと駆け出した。

「ね、ねぇそこの! 見つかったの!?」

「うわっ、びっくり~…… なぁに『鬼教官』」

「何って、ほら、ルナシーだよ。黒と銀の髪で、探してほしいって話の!」

「あっ、聞こえてたんだ。一緒に見る? かわいいよ~」

 そう言った左端の天使は、真ん中に寝そべっていた天使の背に半身を乗り上げるように覆いかぶさって場所をずれた。

 見かけたらどうあれ教えてくれと伝えておいたはずなのに、随分とすっとぼけたことをのたまう天使たちだ。珍しい特徴だとしてもそれだけでは本人だと断定まではできない。だから、私か鷹の目が直接この目で見て判断を下すしかない。そのことまで天使たちの隅々には伝わっていなかったのかもしれないが。

 詰めてくれた場所に座り込んで、手で穴を少し拡張した。そうして、はやる気持ちを抑えながら、三人組が指さす一点を見つめた。

 都会とするには程遠い沿岸沿いの町だ。その海岸の、波で削れたか、ぐっと窪んだ一区画。その窪みを埋めるように続いた僅かな砂浜の上に、小さな影がひとつ見えた。

 夕焼けを帯びて濃い色に輝く砂に座る、たしかに黒と銀の毛、だが。

「……猫?」

「ねっ、かわいいでしょ~」

「いや、可愛いけど……えっ、まさかアレのこと?」

「うん。黒と銀の毛を探してたら見つけたの」

「……それだけ?」

「それだけだよ」

 そう言って三人組の一人はまた砂浜の上に目を落とした。その横顔から目を離して、隣で呆気にとられた様子の鷹の目と顔を合わせて、二人して生涯最大の溜息をついた。

 期待外れにもほどがあった。勝手に過剰な期待を持った方が悪いとも言えるが、それにしたってこれはあんまりだろう。天使探しではなく猫の観察に夢中だったなんて。

 それでも文句を言える立場にないことは理解しているつもりだ。ここに集まった大多数は暇の使い道を探していた天使たちであって、仕事や義務でやってきたわけではない。彼女たちの博愛精神にタダ乗りしておこぼれを貰うつもりだった私たちに、ケチをつけることができる権限はない。

 ただ、がくっときたのは事実だった……それも結構大きな一撃。

 記者としての経験がもたらしたのか、鷹の目は私よりもハズレを掴んでからの立ち直りが早いらしく、その場から既に立ち上がって別の集団の動向を遠巻きに眺めていた。

 私も見習って切り替えなければならない。肩透かしに毎回がくっと項垂れていては消耗する一方だ。どうせ消耗するなら精力的に動き回って疲れたほうがどれだけか良い。


「私、猫を触ったことないんだよね。一度でいいから撫でてみたいなぁ」

「そのために出張に降りるのもねぇ。なんなら、あの子をこっちに連れてこよっか」

「メトセラに怒られちゃうよ。いくらあの子がずぅっとこっちを見つめてたってさ」


 鷹の目と共にその場を離れようと背を向けたが、またひとつ興味深い話が聞こえた。

 ……人間界から、天界を?

「どれくらい、あそこに座ってるの」

 純粋な疑問を彼女たちに尋ねた。

「結構長いよ。私が気付いてから、うぅんと……二時間くらいはずっとあのまま」

「そうそう。だから、きっと天界に来てみたいんじゃあないかな」

「まさかぁ。でもそうだったらずっともふもふできるね」


 上級天使の許可がどうだの、ご飯はどうするだの、そんなことをわいわいと語り始めた三人組を横目に、私は別のことを考えていた。

 人間界から天界をのぞくことはできない。見ることはおろか観測することすら、つまり存在していると認識することすらできない。二つの世界はそうした不平等を挟んで共存している。

 だから、人間界から天界を見つめているなんて考えは天使側の勝手な思い込みでしかない。それができるのは人間界に降りた天使がその眼をもって見上げた時だけだ。そして、砂浜の上の生き物が天使ではないことは誰から見ても明らかだ。

 三人組の申告が事実ならあの猫の行動は確かに少し変わっていた。何もない退屈な砂浜で何時間もじっと空を見上げているとは。だからこそ、彼女たちの色めきだった空想も一蹴する気にはなれなかった。もしかしたら本当に天界を望んでいるのかもしれないという思い込みを。

 だけど、そんなことはあり得ない。

 天使の眼でも持っていれば別だけれども、それもまたあり得ない話だ。

 穴の前に屈み、改めてその猫を観察した。黒の中に銀の斑点がまばらに混ざる艶やかな毛並みだ。潮風に揺れる柔らかそうな姿を見ていると、手元に置いておきたいと考える三人組の気持ちも理解できないこともない。

 時々まばたきをする大きな二つの目が微動だにせず見上げていた。ガラス玉のような両目が埋まっているが、右目の周りの毛は少し赤黒く褪せている。そのくすみを打ち消すかのように、右の瞳は左目よりも陽に照らされてなお強く、薄緑色に輝いていた。


 砂浜の上の猫から目を離せなくなった。

 あの猫は空の向こうを見つめている。

 空の向こうの、天界の上の、私の目を。


 自由気ままな三人組の能天気に感化されたのかと思ったが、客観的に判断してもあの猫は、やはり私と目を合わせている。

「どうしたの。あなたまで猫の観察を優先したいって言わないよね」

「まさか。ただ、その、あの猫が私の目を……」

「そんなことあるわけ……」

 呆れた表情の鷹の目だったが、例の猫と私の様子を見て、私が言っていることを理解したらしい。途中で口をつぐんで再び私の横に座って人間界をのぞき込んだ。


 十秒か、二十秒か。


 それくらいの間見つめ合っていると、その猫はおもむろに立ち上がり、背を向けて砂浜の外へと歩き出した。そして、数歩先で立ち止まって振り返り、また私と目を合わせたかと思うと、再び歩き出してどこかへと向かっていく。

 一連の行動から、あの猫が私のことを認識していることはもはや疑いようがなかった。

 鷹の目も、いつの間にかお喋りをやめていた三人組も、それを認めていた。

 理屈は全く分からないが、どういうわけかあの猫は本当に天界の様子をうかがっている。

 私たちはただ、時折振り返りながら歩く猫の背中を追いかけ続けた。




 2




 一時間が経ってもまだ例の猫はどこかへと歩みを進めていた。

 目的は見当も付かない。あてもなく歩いているようにも見えるし、何かを探しているようにも見える。細い路地に入り込んだかと思えばまた引き返したり、何の変哲もない壁をしばらくじっと見つめた後に突然走り出したり、そうしてまた立ち止まって周りを見回したり。

 何度見限ろうと思ったか分からない。結局ただの気まぐれな散歩だったとかいうオチなんかになれば目も当てられない。時間の浪費にも限度というものがある。

 だけど、今度こそ追跡をやめようと決心するそのほんの少し手前の絶妙なタイミングで例の猫は振り返り、私の目を見つめては散策に戻るというパターンを繰り返した。私がちゃんと見ているのか、逐一確認するかのように。


 その内に猫は隣町まで到達した。

 内陸側でより栄えている方ではなく、より閑散とした反対側の隣町だ。その町も海に面していて、先よりも遥かに海岸らしい海岸があった。コンクリートブロックで浅めの堤防が設えられた、それなりに整備された立派な海沿いだ。ただ、時期柄に夕暮れも相まったことでやはり人気はなく、寂しい砂浜と波打ち際だけが無駄に大きく広がっている。

 しかしながら、よく見るとこんな頃合いにもかかわらず人影があった。

 堤防の裏手に建てられた記念像か何かのそばに立つ影に、例の猫は真っ直ぐに近付いた。

 よく見ると影は二つだった。猫を抱き上げる姿と、その横に立つもっと小さな姿。

 それが誰かということを二度確かめる必要はなかった。


「ねぇ! 見てよほら、あそこ! やっと見つけた!」

「それじゃあ、あれがルナシーって子かぁ」

「そうみたい。私たちが一番乗りだね」

「うおぉぉ。なんだか成し遂げた感があるねぇ~」

 両脇から鷹の目と三人組の歓声が聞こえるがまだ終わりじゃない。

 ルナシーを天界へと連れ戻してこの手で無事を確認する。その瞬間まで私に安心するつもりはなかった。

 目の前の穴を掘り起こしてもっと大きく広げた。私が通り抜けられる大きさにまで。

「ねぇ、覚え違いじゃあなければルナシーじゃない方の娘は……って、何してるの」

「ルナシーの翼じゃあ、まだ自力で戻れない。迎えに行く」

「あなたが行くつもりなの」

「そう。だから広げるのを手伝って」

「タンデムするつもり? それはいくらなんでも……!」

「許可できんな」

 今はあまり聞きたくない声で否定の言葉が投げかけられた。

 振り返ると、ただでさえ穴だらけのこの一帯に追い打ちをかけるような轍を引っ提げたメトセラがすぐ後ろで佇んでいた。

 相変わらずの無愛想な表情と固い腕組みが威圧感を多分に醸し出していて、近くで好き勝手に寝転がっていた天使たちは、今や軒並み撤収して工場の陰から遠巻きにこちらを眺めるに留めている。

 だから、付近には私に忠告しようとしていた鷹の目と、しかめっ面のメトセラと、逃げ遅れてあわあわするばかりの哀れな三人組しか残っていなかった。

 メトセラはさっきまで天使たちで溢れかえっていた工場の木陰を一瞥してから、その元凶だろうとあたりを付けた――実際そうだが――私に苦言を呈した。

「パンチ穴の試し打ちじゃあないんだぞ。お前たちにはバリアフリーの精神はないのか」

「そのスパイクタイヤをスタッドレスタイヤに履き替えてからまた言ってください」

「私は復路でちゃんと穴を塞ぐんでね」

「スライムが雑巾がけしても意味がないでしょう」

「帰りは轍に沿って後ろ向きで進むんだよ。その苦労が分かるか」

「やっぱりスタッドレスにした方がいいですよ。そのささくれを毟る時に呼んでくれたら手伝いますんで」

 強い口調だと自覚はしているが、今は一刻も早く人間界に飛び降りる必要があって、言葉をクッションでいちいち包む余裕がなかった。

 雰囲気に遂に耐えかねたのか三人組の一人がめくった地面の下に退避し、残りの二人もその後を追うように潜り込んで雑に姿を隠した。

「用事があるなら手短にお願いします。もうすぐ十分な大きさになるんで」

「言いたいことはさっきの通りだ。もう一回伝えた方がいいか」

「ぜひ、そうしてください」

 お前が降りるのは待てと、メトセラは改めて私に伝えた。

 補足するように鷹の目も話を繋げる。二人の意見は概ね一致していた。


 人間界での飛翔の難度は天界でのそれと比較して格段に上昇し、出張に降りられる天使をふるい分ける要因となっている。だが、それは周知の事実であり今更どうこう取り上げることでもない。それに、何度か練習すれば大抵の天使は人間界の大気でも、見てくれはどうあれ飛べる程度にはなれる。もちろん、向き不向きがあるのは否めないが。

 しかし、他人を抱えての飛翔――通称、二人羽織(タンデム)――となると話は別物になる。

 元々飛翔というのは個人が行うものであり、誰かを運ぶための能力ではない。人間界で例えるならば、レースに特化した競技用自転車に二人を乗せて走るようなものだ。そんな不安定な状態でまともに前進することはできない。ましてやオイルや瓦礫がばら撒かれた劣悪なコースで走るとなれば、これはもう走行できる云々の次元ではなくなる。人間界での二人羽織がまさにそのような障害物レースに該当し、数ある飛翔のシチュエーションにおいて最高難度に値している。

 私の歳や出張の回数を鑑みると、二人羽織による人間界からの天使の回収には他に適任がいるはずだというのが、メトセラと鷹の目の言い分だった。


「いくら教官でも、ぶっつけ本番は無理だって」

「お前の技量についてはXOから何度も聞いていた、が、それは天界での話だろう」

「数百回も出張に行ったことのある天使を前に見たから、その人に頼もうよ」

「あいつを知ってるのか。なら話は早い。とりあえず連絡してこい」

「えっと、前にどこかで会ったんですけど、どこでしたっけ……」

「おい、しっかりしてくれよ……あぁクソ、私もド忘れしたじゃないか」


 どうやら目の前の二人の中では話がまとまりつつあるようだ。

 確かに、それが一番無難な選択なのだろう。

 これが大して知りもしない天使だったならば私も深追いせずに、見知らぬどこかの出張天使へと外部委託するために、二人と共にうんうん唸ってどうにか居場所を導き出そうとしたことだろう。その天使が断ったとしても、その時は次点で出張経験の豊富な天使を探すために奔走していたことだろう。


 だけど、今、人間界にいるのはルナシーだ。

 だから、私の取る選択肢は最初から決まっていて、変わらない。


「思い出したぞ、時雨の大樹に……おい、何やってるんだ」

「見ての通り、飛び降りる寸前ってところです」

「話を聞かないやつだな。お前より出張をこなしてる天使はいくらでも……」

「いくらでもいるでしょうが、二人羽織に慣れた天使なんてどこにもいませんよ。そもそも、こんなこと自体が異例中の異例なんですから」

「だとしたら尚更お前が行く意味はないだろう。それこそ人間界の大気により慣れているやつが行く方が理にかなってる」

「意味ならありますよ」

 返事と同時に背中の二枚が弾けて広がった。いつもは三、四割程度で顕現させているが、今日は十割で構わない。どよめきが工場の方から聞こえたが、人目を憚る必要などない。

 大きく膨らんで盛り上がった両翼の根本は足元に大きな影を作り、自重に垂れる先端は離れた地点にその切っ先を下ろして突き刺さる。

 全開だというのに、今日は意見が合うのか、私の思うがままに振舞ってくれるらしい。

 この巨大な翼の全力の生きる時が、まさかやってくるなんて。


「私はルナシーの飛翔教官で教育係です。だから……教え子が『立派な天使になるまで』の全てを見守る責任がある!」

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