Hawk Eye.
1
迂闊だった。完全に注意散漫だった。
吹き抜けの渦の縁を振り子のように往復しながら一時間前の自分を責めた。だが、現実は都合良く移ろうなどとせず、変わらぬ風景と後悔の念だけが押し寄せてくる。
この一帯は探し尽くしたはずだ。
視力を尖らせて全方位を確認した。
視界を塞ぐ起伏は可能な限り透視して出来るだけ遠くの方まで目を凝らした。
エリオットが評したように私の視力強度はそうまで悪くはない。透視強度もずば抜けて優れているとは言わないが、それでも最後に計ったときは250を超えていた。
だけど、ルナシーは見つからなかった。
黒い影が頭上を横切った。反射的に空を見上げると、そこには上空からの散策に勤しんでいた撃墜王の姿があった。ばさりと大きな音と共に見事な着地を決める彼女の姿と成長に改めて感心もしたが、今はその満足に肩まで浸れるほどの心の容量が確保できなかった。
「ダメでした。この辺りにはいないようです」
「そう、みたいだね」
「すれ違った子たちにも聞いてみたんですけど、誰もそんな天使は見てないって」
「そっか……」
「となると、やっぱり……」
ちらりと、撃墜王が吹き抜けの渦を一瞥する。彼女の視線の動きに合わせて、私も背後の大穴に意識を向けざるを得なかった。
撃墜王が散策している間にカミサマにルナシーの所在を尋ねた。
カミサマは天使の頂点に立つ存在で、天界そのものと言っていい。実体はなく、概念と呼んだ方が適切か。空を見上げてもカミサマの形が目に映るわけではないが、意思疎通はできる。天使を生み出し、天界を維持することがカミサマの役割である。
そのカミサマの返答が「しらなーい」とのことだから、私の目視と撃墜王の報告と合わせて、疑惑の雲は確信の雨となって身体の動脈を流れて全身を冷やした。
ルナシーは人間界へと落ちた。おそらく吹き抜けの渦から。
それは最悪の事態だった。
天使は人間よりも丈夫だがそれでも怪我はする。飛翔訓練の最中に高所から墜落して足首を挫いた天使も何人か見てきた。だけど、それは柔らかなクッション状の延々の大地が衝撃を保護してくれる上での挑戦や失敗の結果だ。
人間界の地面にそんな気の利いたものが都合よく敷かれているとは思えない。1号が昔言っていた分には空気抵抗やら終端速度といったものが自然のブレーキとして働くらしいが、どうあれこの天界から人間界へと真っ逆さまに墜落すれば、大抵のものは木っ端微塵に四散してしまうだろう。たとえそれが天使だとしても。
そんな話は今まで聞いたことがない。人間界へ飛び込むような仕事は、飛翔に長けた天使が受け持つからだ。
だが、今回は事情が違う。確かにルナシーは飛翔に長けている。あらゆるセオリーを後回しにして飛翔訓練に費やした結果が幸いにもここで生きた。しかし、それはあくまで天界における飛翔の腕前であって、人間界の粘りの濃い大気中での飛翔とはかけ離れている。実際、天界では余裕をもって飛べても人間界ではからっきしという天使は多い。
人間界の大気を知らない天使が不用意に飛び込むとどうなるか。想像力を大して働かせなくても結果は見えている。
卓越した技量があればふらつきながらも着陸はできるだろう。あるいは着陸前に上空で練習に励んで身体を慣らすなんてこともできるかもしれない。
だが、そうでなければ大怪我を負うか、あるいは硬い大地の染みになるか。
「そのルナシーって子は、人間界に降りたことはあるんですか?」
「ないよ。その練習の前段階のつもりでここまで来たんだけど……」
「ごめんなさい。私が声をかけたりしたから……」
「いや、私のせいだよ。ちゃんと見てればこうはならなかったんだから」
「……私、もう一度周囲を探してみます。もしかしたら見落としただけ、かも」
「ありがとう。私は工場に戻ってみるよ。もし見つかったら翼で伝えて」
再び飛び立った撃墜王を背にして、私も翼を広げた。
念のためもう一度周囲に発信してみたがやはり誰からも反応はなかった。
天使の翼は他の天使の翼へ信号を送ることができる。それを最も単純なエネルギーの形である熱として相手に伝えることで、ごく単純な呼びかけ程度であれば相当な距離が離れていても意思疎通ができる。
ルナシーとは四六時中一緒にいたので今日まで一度も使ったことがなかったが、捜索中に試した限りでは反応がなかった。これも彼女の翼の小ささが影響しているためか、それとも既にそんなことができない状態に……
かぶりを振って、赤黒い予感を無理やり散らせた。
そんな事を考えても仕方がない。
ルナシーをこの目で確認すること、まずはそれだけを考える場面だろう。
背中の翼はいつもより重く感じた。
工場に戻った理由は三つある。
ひとつは、ルナシーが既に工場に戻っているかもしれないため。
もうひとつは、そうしようとしているルナシーが帰路で見つかるかもしれないため。
だが、そのどちらも空振りに終わり、私にできることはいよいよ人間界をのぞき込んでルナシーを目視で探す段階にまで差し掛かった。
しかし、人間界で人間を探すことよりも、人間界に降りた天使を探す方が遥かに難しい。
人間には工場から伸びた寿命供給ラインが――当然、その人間には見えないが――突き刺さっている。この寿命を供給するためのチューブは、その人間を担当する天使であれば途中までは後を追える。だから、天使は担当している人間がいつの間にかどこか遠くに、それこそ旅行や遠征などで離れたとしてもその後を追える。さすがに正確な位置まではわからないが、この国の、この地域の、この一帯といった程度であれば寿命供給ラインをたどるだけでざっくりと特定できる。
だが、天使にはその捜索の取っ掛かりとなる寿命供給ラインが刺さっていない。だから適当なあたりを付けて目当ての天使の翼へと熱を送り、相手からの反応を待つことになるのだが、ルナシーはどうやらその機能を使えないということは既に分かっている。
となると、本格的に足取りの検討がつかない。
地球全土を目視で片っ端から調べたところで、その間にルナシーが動かない保証はない。
一切動かないとすればそれこそ、そうできない身体に……
まただ、それは考えるな。
とにかく打開案が欲しかった。この閉塞した状態に穴をあける、そんな案が。
だから私は工場まで引き返し、その打開案を生み出す手助けをしてくれそうな天使を探しにきたのだ。それが三つ目の理由だ。
だが、タイミングが悪かった。夕暮れも終わりにまで差し掛かったこの時間にわざわざ人間界をのぞいて暇潰しに興じるような天使はまずいない。多くの天使は工場から自分たちのお気に入りの場所まで戻って寝床に潜り込む頃合いで、霧雨の大樹の周りにも数人の天使が就寝前のうたた寝に沈んでいる程度しか確認できなかった。
起きていて尚且つ人間界をのぞき込む意欲がある天使というのは、それこそもう間もなく担当している人間の寿命が尽きるという段階の「忙しい」天使だけであり、私が声をかけても、後にしてくれといった不愛想しか戻ってこなかった。
気ばかりが急いて行動ができず、無価値な焦りが喉奥までこみ上げては息を詰まらせていた。
とにかく、何か意味のあることをしなければならない。
だけど、真っ白で自由に描けるはずの脳内を眼前にして、筆を手にする前の段階で既に彷徨って身動きが取れない。
自らの呼吸で潰れてしまいそうな胸を押さえながら、私は工場から離れた。
取り込み中だということは分かりきっているが、彼女に声をかけるために。
「ねぇ。起きて、1号」
「んっ……んん……なに……?」
「大事な話があるの。それも急用」
「……もう夕暮れ、ってか夜じゃない……」
「早い方がいい、いや、今すぐじゃあないといけない話なの」
「もう二、三日ほど寝かせてくれたら聞くよ……おやすみ……」
飛行場では朝方と寸分違わない場所で1号が熟睡していた。
その背中を揺すって状況を説明しようとしたが、充電期間真っ只中の彼女には取り付く島がなく、何を話しかけても生返事しか得られなかった。
逼迫した状況を伝えようと躍起になったものの、その内に生返事すらも返ってこなくなり、私の独り言だけが飛行場の更地に吸い込まれていった。
「聞いて。ルナシーがいなくなったの。何時間も前に消えて、それからずっと」
「…………うん…………」
「移動可能な範囲は調べ尽くしたつもり。だからもう人間界に落ちたとしか考えられない」
「……ん…………」
「私一人じゃ到底探し出せないよ。力を貸して」
「……………………」
「ルナシーは、私に自分と向き合うきっかけをくれたの。だから……」
「……………………」
「お願い……ミリアム・ホークアイ」
「…………」
「……ごめんね。気が向いたらまた声をかけて」
私が揺すったことでずれてしまった毛布を彼女に掛けなおした。
ただでさえ無愛想な私だ。それも「鬼教官」という肩書が付けられるほどの。
思い返せば誰かのために手伝うなんてことも、いつからかしなくなっていた。
それなのに、いざ自分が困ったからと言って助けを求めたところで、誰が快く引き受けてくれるのだろうか。
撃墜王は手を貸してくれているが、それはつまらない性格になる前の私を知っているからであって、今の私そのものを知って手を差し伸べてくれているわけではないだろう。
だから、彼女に断られた時点で、誰からもこれ以上の協力を得られることはない。
なら、一人で探す他に道はない。
そう決意して立ち上がった。
「……名前」
さっきまでの消えかけの生返事とは異なる、はっきりとした呟きに引き留められた。
振り返ると、うつ伏せの姿勢はそのままに、眠気と驚きの混ざったような表情が私の方を見上げていた。
「覚えててくれたの……? 私の名前」
「当たり前、だよ」
覚えていないわけがない。彼女は私が一番初めに知り合った、一番の友人だ。
その後に知り合った他の天使の名前だって本当は全部覚えている。
記憶力が悪いなんていうのは適当な出鱈目だ。
それは、名前で呼び合うほどの親密な関係に気恥ずかしさがあって、いつか関係が壊れてしまった時の衝撃から身を守るための、ただの殻だ。
「本気で覚えていないんだと思ってたよ」
「まさか。ただ、なんていうか、本音で話すのが……」
「怖かった?」
「……まぁ、そんな感じ」
「そっかぁ。ふふん、またひとつ、ニュースだね」
「これは広めなくていいから」
「またまた。まぁ、自分の口でその内広めることになるんじゃない」
「1号」は、「ミリアム・ホークアイ」は、半端ににやけた口元を隠そうともせずに私の方を向いて上体を起こした。そうして腕を組んで高々と伸びをしてから、解けてそばに落ちていた髪留めでいつものポニーテールを結びなおした。
糸のように細かった彼女の目は充電を終えたのか、いつもの大きさと活発さを取り戻していた。
「協力するよ、シェル・スターリング。解決した暁には独占インタビューでも受けてもらおうかな」
「ありがとう。でも……正直言って今は全く検討がついてない」
「とりあえず現状を教えてよ。さっきまでの相槌は条件反射みたいなものだったしさ」
私は状況を説明した。
ルナシーがいなくなったこと。
翼による呼び出しが利かないこと。
そして、ほぼ間違いなく人間界に落ちたということ。
「――……だから、誰に相談すればいいのかも分からなくて」
「ねぇ。『鷹の目』って通り名のこと、知ってる?」
「人探しが上手い流浪の天使のことでしょ。いろんな工場を渡り歩いてるって」
「それでお節介を発揮しては探し物を手伝ってるの」
「そういう噂は聞いたことがあるけど、そう都合よく捕まるかどうか……」
「幸運だねぇ」
「……まさか、本名から取られてたの?」
「その通りだよ、『教官』」
勢いよく立ち上がった彼女は自信に満ちた表情で私を見つめなおした。
そんな都合の良い通り名が付いていたのなら最初からそう呼んでいればよかった。
とは言え、カミングアウトした胸中を今更どうこうできるわけでもない。
なんだか正直を晒して損したような気が……
いや、ひとつ軽くなったと前向きに捉えることにしよう。
「任せてよ。通り名にかけてルナシー探し、必ず成功させてみせるよ!」
「……よろしく頼むよ、『鷹の目』」




