78話 あと一日だけ
「……それで、全員ここまで走ってきたってわけ?馬車にも乗らず?」
腕組をして仁王立ちで俺たちを見下ろすヤーリュカさん。
地面に倒れ込むアルアさんとミューンさんに、肩で息をするサッチと過呼吸の俺。
余裕そうに立ち、俺たちを見て微笑むラベンちゃん。
息が……
もう何を吸い込んでいるのかもわからない……
「あなたたち、馬鹿なの?」
門の前に立つヤーリュカさんは呆れたように頭を抱えた。
そのすぐ向こうにある屋敷から、顔を出してこちらを見ている人がいた。
「……あ、リュカのお友達?!やだ〜!久しぶり!」
ヤーリュカさんによく似た女性は、俺たちを見て嬉しそうに駆け寄ってきた。
どこかで見たことがあるような顔なんだけど……
「ちょ、お姉ちゃん!?出てこないでって言ったじゃない!」
「でもリュカのお友達なら私も話したいし……」
「もういいから!戻って!」
二人の会話を見て、サッチは「あー!」と大声を出した。
「ラーシェルさんですよね?!ほら、俺たちがヤーリュカさんの家に突撃したときにさ、話したじゃん!」
サッチの言葉に、いつの間にか復活していたアルアさんも「あー!」と言う。
「ラーシェルさん!ヤーリュカちゃんのお姉ちゃん!」
あ、ラーシェルさんか!
そういえば結構前に話した記憶があるな。
ミューンさんも思い出したのか、倒れ込んだまま小さく頷いていた。
「ヤーリュカさんって、お姉さんがいたんだ。てっきり長女かと思ってたよ」
姉妹を見て、ラベンちゃんは呟く。
俺もヤーリュカさんは長女だと思っていた時期があったなーと思い出し、なんだか懐かしい気分になった。
「そもそもここに来た理由は何?ただ走りに来たわけじゃないでしょ?」
ラーシェルさんを無理矢理家にしまい、ヤーリュカさんは疲れたようにため息をついた。
そんなヤーリュカさんを労るように、アルアさんはヤーリュカさんの肩をもんでいた。
「ラベンさんのお別れ会をしに来たんだよ」
あ、俺の帰還祝いが消えた。
サッチもわざとらしくヤーリュカさんの肩をももうとしていたが、拒まれていた。
「そういえば、明日帰るんだったわね」
ヤーリュカさんの問いに、ラベンちゃんは気まずそうに頷いた。
「なら早速やりましょう。時間は待ってくれないわ」
「え、いいの?!」
アルアさんは驚いていたが、ヤーリュカさんは「当たり前じゃない」と言って門を開けた。
一度来たことはあるが、やはり貴族の家は何度見ても迫力がある。
噴水や石像、アルヴィン先輩の家の庭にも似たようなものがあったなんて思い出して、なんだか懐かしくなる。
「お菓子はないから、紅茶で我慢してちょうだい。あと、今日はお母様もお父様も家にいるから、あまり騒がないでね」
「大丈夫だって!俺らを信じて!」
サッチはノリノリで屋敷へ進んでいき、アルアさんもスキップで進んでいく。
その様子をヤーリュカさんは頭を抱えながら見ていた。
「……人様のお家に行くのであれば、手土産が必要でしたね……今から買ってきたほうがいいですよね?!」
「別に大丈夫よ」
「人様のお家に遊びに行くときって手土産が必要なんだ……」
今にも走り出しそうなミューンさんに、勝手に納得しているラベンちゃん。
ヤーリュカさんはまだ頭を抱えていた。
ちゃんと礼儀を保っているのは俺だけかよ……なんて考えながらも、俺も興奮を抑えきれない足取りでサッチたちの後を追いかける。
「でもさ、ヤーリュカさんの家で何する?ラベンさんのお別れ会って言っても……」
「それはもちろんパーティーでしょ!簡易パーティー!お菓子とか飲み物とか、」
「お菓子ないって言ってなかったか?」
「たしかに」
サッチたちの中身空っぽの会話を聞いて、俺は一つの案を思いつく。
「鬼ごっこはどう?」
こんな広い庭、有効活用しないわけにはいかないだろう。
それに、鬼ごっこといえば俺たちの原点にして頂点の遊びだから。
俺の言葉に、サッチとアルアさんの瞳はどんどん輝いていく。
「いい!賛成!マシューくん頭いい!」
「やっぱ鬼ごっこだよなー!俺たちの原点にして頂点!」
サッチは俺と同じこと考えてるし。
アルアさんは後ろについてきている三人のもとへ走っていっていた。
「ね、鬼ごっこしようよ!」
アルアさんの声に、三人はそれぞれ全く別々の反応をした。
「鬼ごっこですか?!さっき走ったばっかじゃないですか!」
「普通お別れ会で鬼ごっこはやらないでしょ……」
「鬼ごっこ!いいね、やろうやろう!」
まだ肩で息をしているミューンさんは断固拒否。
依然頭を抱えるヤーリュカさん。
乗り気のラベンちゃん。
「俺、マシュー、アルアさん、ラベンさんで賛成が四票だから、決まりな!」
サッチの言葉に、肩をすくめるヤーリュカさん。
ミューンさんは絶望しながらもなんとか受け止めようと悶えていた。
「普通の鬼ごっこもあれだし、妖精の祝福ありの鬼ごっこにしよ!私、祝福見てみたいんだよねー」
ラベンちゃんは、まだ妖精の祝福を見たことがないのか。
それもそうか、ポーロアンからの留学生だし……
「いいじゃん、賛成!じゃあ今度は、ラベンちゃん以外全員鬼になる?」
「それはラベンさんが大変なんじゃないんですか……?」
ラベンちゃんは首を横に振り、俺たちに親指を突き出した。
大丈夫という意味なのだろう。
「じゃあさっそくやるか!ラベンさんは十数えてるあいだは逃げてなー!」
ラベンちゃんは庭を軽い足取りで走り出し、そのあいだにもサッチのカウントは進んでいく。
アルアさんもカウントに参加し、俺も「三!」のタイミングで参加する。
でも、あることが脳裏をよぎり、急に口が止まる。
ヤーリュカさんって妖精の祝福使えたっけ……?
「始めー!」
サッチとアルアさんが走り出した。
ヤーリュカさんも案外乗り気で走り出したので、俺もとりあえずあとに続く。
最初に祝福を使ったのは、
「とりゃ!」
思いのほか可愛い声を出したヤーリュカさんは、ラベンちゃんに向かって手を伸ばした。
何か来ると思ったラベンちゃんが身をかがめた瞬間、地面が揺れる。
「何も祝福が使えないからって、努力してなかったわけじゃないのよ?」
ヤーリュカさんの言葉とともに、ラベンちゃんの足が沈んでいく。
「わっ、なに?!」
ラベンちゃんは急いで動くが、足元がぬかるんでいて上手く走れなさそうだった。
それどころか、走る速度もどんどん遅くなっている。
「……地面を泥にしてるのか?」
「部分的に泥沼にしている感じね。わかったなら早く捕まえてきなさい」
「へいへい」
サッチはまた走り出したが、それよりも前にラベンちゃんが泥沼から抜け出して走り出していた。
ヤーリュカさんはラベンちゃんの行く先に泥沼を作っていたが、それを軽々と飛び越えてラベンちゃんは逃げ続ける。
その様子を見て、ついにミューンさんも動き出した。
「転ばないでくださいね、ラベンさん……!」
足元で何かが動いたかと思うと、ラベンちゃんの足元へそれが伸びていく。
そして見事足に絡みつき、ラベンちゃんの動きを止める。
「なにこれ……ツタ?!」
思いのほかしっかりとしたツタは、勢いでちぎろうとしているラベンちゃんを拒んでいた。
そのあいだにも、サッチはラベンちゃんとの距離を縮めていた。
「つかまえ……た!」
「待って待って!ストップ!一旦ストップ!」
ラベンちゃんの声で、目と鼻の先まで伸びていたサッチの手が止まる。
まるで犬が待てを言われたように。
「私がいつまで逃げ切ればいいか決まってない!と思います!」
「たしかに……」
サッチの手が離れたのを、ラベンちゃんは見逃さなかった。
次の瞬間、ラベンちゃんは足に絡みついていたツタを手でぐっと引き上げた。
「えっ、ちょ」
ぶちっ、と鈍い音がする。
ミューンさんのツタが、強引に引きちぎられた。
「うそ?!」
ツタを引きちぎった反動で、ラベンちゃんの体がふわりと宙に浮く。
そのまま近くの石像の台座に軽々と飛び乗った。
「待て待て待て!」
サッチが慌てて追いかけるが、ラベンちゃんは振り返りもしない。
台座を蹴ったラベンちゃんは、そのまま噴水の縁へ。
まるで三段跳びのような軽やかな動きで、ひらりと着地する。
「軽やかね……」
ヤーリュカさんの呟きに、ラベンちゃんは楽しそうに笑った。
「えへへ、ありがと」
サッチが再び走り出し、ヤーリュカさんも泥沼を作りながら追い込もうとする。
ミューンさんのツタも何度か伸びるが、ラベンちゃんはそのすべてを軽やかにかわしていく。
飛ぶ。
しゃがむ。
方向を変える。
その動きには、無駄が一つもなかった。
「くっそ、速ぇ!」
「待ってください、ラベンさん!」
「逃げないでよー!」
俺も何とか追いかけるが、距離はまったく縮まらない。
むしろ、どんどん引き離されている気さえする。
それからしばらく。
庭のあちこちを走り回った結果。
「……むり……」
最初に倒れ込んだのはサッチだった。
その隣でアルアさんも大の字になっている。
「もう一歩も動けない……」
「鬼ごっこってこんなに体力使うんでしたっけ……」
ミューンさんはその場にしゃがみ込み、ヤーリュカさんは額を押さえて呼吸を整えていた。
そして俺も、膝に手をつきながら肩で息をする。
……息が……
全然、整わない……
そんな俺たちの前で。
「え、もう終わり?」
ラベンちゃんは、元気ぴんぴんで立っていた。
息一つ乱れていない。
ラベンちゃんは俺たちとそもそもの体の作り方が違うんだ……
ポーロアン出身とオリエンス出身だと骨の作り方から違うのかもしれない……
俺もその場に倒れ込むと、ラベンちゃんがこちらへ歩いてくる。
そして俺の前で立ち止まり、すっと手を差し出した。
「ほら」
あの日。
海に行ったときのように。
差し出された手を見上げると、ラベンちゃんは楽しそうに笑っていた。
「ほら、手。出して?」
この気持ちには、あと一日だけ気付かないでおこう。
あと一日経ったら、この気持ちの正体は遠くに行ってしまうから。
だから、もう少しだけ、このぬるま湯につかっていたい。
「……ありがと、ラベンちゃん」
「どういたしまして」
ラベンちゃんの手を掴んだ瞬間、俺はにんまりと笑った。
「タッチ!!!!」
すっかり鬼ごっこのことを忘れていたのか、ラベンちゃんは目を丸くした。
「マシュー、よくやった!!!」
倒れていたはずのサッチは俺に勢いよく飛びついてきた。
アルアさんもいつの間にか復活しており、俺にハイタッチを求めてくる。
ミューンさんは虚ろな目で乾いた笑い声を出し、ヤーリュカさんも枯れた声で「おめでとう……」と言ってきた。
「うわー!今のなし!善意で手を差し伸べたら捕まるなんてなしでしょ!」
「ありあり」
「なしだよー!」
ラベンちゃんは俺から手を離すと頬を膨らませた。
そしてその頬をアルアさんが触り、しぼんでいく。
「……鬼ごっこはもう十分でしょ。今度はちゃんとお別れ会をやるわよ」
ヤーリュカさんは倒れているミューンさんを起き上がらせ、屋敷へ進んでいった。
「お姉ちゃんにお菓子を買ってきてほしいと頼んでおいたの。今頃大量のお菓子が私の部屋を埋め尽くしてるわ」
「ヤーリュカちゃん……!」
アルアさんはヤーリュカさんに勢いよく飛びつき、耐えきれなかったヤーリュカさんはアルアさんを抱きとめながら倒れてしまった。
「ほら、お菓子食べにいこうぜ!」
倒れ込んだ二人を助けもせずにどんどん進むサッチ。
生まれたての子鹿のように足が震えているミューンさんが助けようにも無理だったので、ラベンちゃんが助けに入っていた。
楽しそうにしている女子組に混ざらないほうがいいだろうと判断し、俺はサッチを追いかけた。
「俺、パイ生地にクリームが挟まれてるやつ食べたい。マシューは?」
「とりあえず飲み物がほしい……」
「それはそう」
こうして鬼ごっこは終わり、俺たちはこのあとラーシェルさんが買ってきてくれた大量のお菓子を食べ、美味しい紅茶を飲み、夕方まで語り続けたのだった。




