73話 友達だから
俺が閉じ込められている部屋は窓がなく、体感で時間を考えるしかなかった。
ずばり、今は夜。
多分。
なんて考えていてもここから出ることはできないし、お腹だって膨れることはない。
不思議なことにトイレに行きたくなることはないので、これは助かっている。
周りを見回しても、辺りは真っ暗で何も見えない。
ラベンちゃんがつけてくれた火も、もう消えてしまった。
「元気?晩ご飯のお時間だよ」
噂をすればなんとやら。
暗闇の向こう側から現れたラベンちゃんは、物が入った巾着を俺に手渡してきた。
中を覗くと、そこにはパンが二つ入っていた。
巾着の中に手を伸ばしてパンを掴み、そのまま口に放り込む。
その様子を見て、ラベンちゃんはなぜか微笑んでいた。
「パンに毒が塗ってあるとは思わなかった?」
その言葉を聞いて、ついさっき飲み込んでしまったパンに思いを馳せ、一人で顔面蒼白になる。
「冗談だよ。ね、そのパン、どこかで食べたことない?」
俺とは違い、ラベンちゃんはまるでお菓子を待つ子供のように目を輝かせていた。
どこか?
俺の母さんが作ったパンってこと?
いや、それをラベンちゃんがどうやって入手するんだよ。
「……あ」
「わかった?」
毎日のように食べているこの味を、どうして気づかなかったんだろう。
「食堂のパンでしょ!」
「お、大正解!わざわざ取ってきたかいがあったなー!」
ラベンちゃんは嬉しそうに笑い、そのあと小さくため息をつく。
まるで、今から話す内容が重く感じないように、俺にパンを渡してきたような。
「……二日後、何の日かわかる?」
最後のパンの欠片を口に放り込み、わざとらしく首をひねる。
「全然わかんない」
ひょうきんな俺の回答に、ラベンちゃんはまた笑った。
でも俺からしたら、無理に笑っているようにしか見えなかった。
「二日後はね、私が国に帰る日なんだよ。それから、」
まるで今まで溜まった洗濯物を一気に吐き出すみたいに、ラベンちゃんは大きく息を吐いた。
それからゆっくりと息を吸って、ポケットからマッチを取り出す。
「マシューくんたちが、ポーロアンに運ばれる日」
小気味良い音が響いて、マッチに火が灯る。
ろうそくに点いたその光は辺りを照らすはずなのに、俺の心は照らしてはくれなかった。
「……嫌だ」
思わず口から言葉が溢れる。
言うつもりはなかったのに。
「……ごめんね……ごめん……」
ラベンちゃんが小さく呟いたそれは、煙と一緒に消えていった。
わかっている。
ラベンちゃんが命令されてやっていることも。
ラベンちゃんが謝ってもどうにもならないのに。
でも今の俺が感情をぶつける相手は、ラベンちゃんしかいないんだ。
「……ラベンちゃん、ここから俺を、みんなを出してほしい」
無理なお願いなのはわかっている。
俺がラベンちゃんの立場なら、きっと断っている。
でも、それでも今頼れるのは、ラベンちゃんしか、
「じゃあマシューくんは、私がここから君を出したら何をしてくれるの?」
「え?」
思ってもいない回答だった。
てっきり、「ごめん」と言われるかと。
「何を、何をって?」
「そうだなー」
ラベンちゃんはわざとらしく首をひねり、まるでからかうような笑顔を見せた。
「私をオリエンスで保護してくれるとかさ。あ、責任とって結婚とかは?」
「け、結婚?!」
「冗談だよ」
けらけらと笑うラベンちゃんだが、俺は内心バクバクだった。
「マシューくんをここから出しても、私がヴァンスお兄ちゃんに半殺しにされるだけだし。私にとってはいいことがないんだよね」
……ヴァンスお兄ちゃん……?!
「ら、ラベンちゃんって、ヴァンス先生と兄妹だったの……?」
今年二番目くらいの衝撃の事実かもしれない。
ちなみに一番はアーロン君が王子って知ったとき。
というかさっき半殺しって言ってなかった……?
「あー、まあ兄妹かな?」
妙に歯切れの悪い回答をして、ラベンちゃんは気まずそうに頬をかいた。
それからろうそくに息を吹きかけ、火を消す。
煙の匂いが鼻の奥を突き刺した。
「ここにいる全員を助けることはできないよ。マシューくんの他に三人いるけど、マシューくんしか助けられないってなったら、君はその三人を見捨てるの?」
「それは、」
「人間は、結局は自分が一番大事なんだよ。国民のために祈っている神父だって、結局は自分を選ぶ」
火が消えたせいで、ラベンちゃんの顔が見えない。
格子戸しか俺たちを隔てるものはないのに、なぜかラベンちゃんはもっと遠くにいるように感じた。
「どうするの?マシューくん一人だけなら助けられるよ」
まるで天使の言葉とも、悪魔の言葉ともとれるその言葉に、俺は何も言えなくなった。
もちろん俺だって逃げれるなら今すぐにでも逃げたい。
でも、他の三人を捨てるなんてしたら、俺の人間としての何かが無くなってしまうように感じた。
それはそれで嫌だった。
沈黙が落ちた。
俺は何も言えなかった。
正しい答えなんて、分からない。
暗闇の向こうで、ラベンちゃんが動かない。
そのとき、金属がかすかに鳴った。
顔を上げると、彼女はどこから出したかもわからない鍵を握ったまま立ち尽くしていた。
「……答えられない、よね」
その声はいつもより低い。
ラベンちゃんは俺を見ない。
鍵を握る手に、力が入っているのが分かる。
白いきれいな指先が、わずかに震えていた。
「これやったら、私どうなると思う?」
笑っている。
けれど目が笑っていない。
なぜか俺の喉がひりついた。
「ほんと、バカだよね」
ラベンちゃんが小さく吐き捨てる。
鍵が、鍵口に触れる。
けれど回らない。
ラベンちゃんは手を止め、目を閉じた。
深く、長く息を吐く。
「……ほんと、最悪」
震える声だった。
次の瞬間、ガチャン、と乱暴に鍵が回る。
「じゃあマシューくん、出よっか」
ラベンちゃんはため息をつき、一生開くことがないと思っていた格子戸を開けた。
「……え?」
「ほら、出なよ。こんな機会、一生ないよ」
ラベンちゃんに急かされて俺はわけもわからず立ち上がり、ついに牢屋から出た。
「この道をまっすぐ行って、突き当りを右。そしたら階段があるから、そこを上がったら地上に出れるよ」
「え、なんで、」
「なんでって、それはもちろん、」
海に行ったときに見せてくれた顔のように、ラベンちゃんは恥ずかしそうに微笑んだ。
「友達だからだよ」
それから俺の背中を遠慮がちに押してきた。
「ほら、早く行って。振り返らないで。約束だよ」
今度は勢いよく背中を押してきたので、今度こそ俺は歩き出した。
早く学園に戻って、ここに人が閉じ込められていることを教えなきゃ。
そのことしか、俺は考えていなかった。
「……私の首一個で許してくれるかな、お兄ちゃん」
ラベンちゃんの呟きにも気付かないまま。




