64話 いくじなし
焦りながらも歩調を落として保健室に向かう。
少女が握っていない方の手で素早くドアをノックし、部屋に入る。
「失礼します!保健室の先生はいらっしゃいますか!」
消毒液の匂いに包まれた部屋の奥から、ずいぶんと若い男の先生が出てきた。
あれ、保健室の先生って男だっけ……
「怪我をしたんですか?ちょっとだけ待っていてくださいね、片付けてくるので。」
先生は両手に持った包帯をこちらに見せると、また奥に引っ込んだ。
少し経ってから、今度は手に何も持たずに戻ってきた。
「はい、お待たせしました。何かありましたか?」
「あ、彼女が膝を擦りむいてしまって、」
先生は少女を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「上に報告しておきますか?」
「いえ、結構です。先生の手をわずらわせるわけにはいきませんから。」
上?
少女の担任の先生に報告ってこと?
先生は少女の言葉に頷くと、少女を椅子に座らせた。
「少しだけ待っていてください。ちょうど消毒液を切らしてしまっていて。すぐ探してくるので!」
先生は駆け足で保健室から出ていき、部屋に沈黙が流れる。
「……えっと、膝、痛くないですか?」
俺の言葉に少女は微笑んだ。
「大丈夫ですよ。生まれて初めて転んだので、ちょっとびっくりしちゃっただけですから。」
生まれて初めて転んだ?!
今までどれだけおしとやかに生きてきたんだ……。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとうございます。私、ラベン・ロペス、一年生です。」
「あ、マシュー・ペリーです!一年です!」
「同い年だったんだ!大人びて見えたから、先輩かと思っちゃった。」
ラベンさんは手で口を隠した。
多分笑っているんだろうけど、口元を隠すなんて上品なんだな……。
どこかの貴族とかなのかな?
俺の視線に、ラベンさんは気まずそうに微笑み、ドアを見た。
すると合図でもしたのかのように先生が入ってきた。
「すいません、遅くなってしまって。まだここに慣れていないんでしょうね。」
そこで俺は、ずっと疑問に思っていたことを言うことにした。
「保健室の先生って、女性でしたよね?」
保健室は一度だけお世話になったことがあるが、そのときはおばあさんだった気がする。
なのに今は、下手すると俺と同じくらい若い見た目の男が保健室の先生を名乗っている。
俺の言葉に先生は目を丸くして、それから片手に持った消毒液をガーゼに浸し始めた。
「以前の先生はお孫さんが生まれたらしく、育休をとったんです。僕は育休の間の臨時教師なんですよ。」
なるほど、と納得している間にも、先生はラベンさんの処置を進め、もう絆創膏を貼っていた。
「この程度の擦り傷なら数日で治りますよ。でも、あんまり激しい運動はしてはだめですからね!」
「ありがとうございます!えっと、」
先生はラベンさんが言葉に詰まった意味を理解したのか、近くの机に置かれたストラップをこちらに見せてきた。
「ヴァンス・キャンベルですよ。ヴァンス先生でもキャンベル先生でも、どちらで呼んでもらっても構いません。」
ずいぶんとおっとりとした先生だ。
イリオス先生やキャロル先生とは大違い。
「じゃあ、ヴァンス先生!ありがとうございました!」
「いいえ、お大事になさってくださいね。」
俺もお辞儀をして、ラベンさんといっしょに保健室を出る。
「えっと、本当にお大事にしてください、ラベンさん。」
「ラベンでいいよ、同い年なんだし。それに敬語じゃなくていいよ。」
この学園に来てから女性を呼び捨てで呼んだことがないので、かなり厳しい試練だ。
いや、大丈夫。
色んな女性と話したし、難しいことではないはず。
心にネモさんを宿すんだ。
「ラ……ラベン……ちゃん……」
こんなところで自分の弱さを痛感したくなかった。
そもそも心にネモさんを宿せていなかったのかもしれない。
ラベンちゃんは面白そうに笑い、流れた髪を耳にかけた。
「いくじなし。」
「え、」
「じゃあね、マシューくん!」
ラベンちゃんはそのまま駆け足で去っていき、あっという間に姿が見えなくなった。
俺はというと、あまりの突然の衝撃の事態に、その場に立ち尽くしていた。
「……ということがあってだな?!」
次の日。
俺は教室で同級生のサッチと話していた。
「マシューには刺激が強すぎたな。」
「否定はしないけどさ。」
視界の端で、ヤーリュカさんたちが楽しそうに話しているのが目に入る。
予鈴がなり、キャロル先生が教室に入ってくる。
「起立!と言いたいところだが、まだ着席していていいぞ!」
どっちだよと内心つっこみ、中途半端に浮いた腰を下ろす。
「朝から問題だ!今学園には誰が来ているかわかるか?」
とりあえず頭をひねって考えてみるが、特に思い当たる節もない。
実は国王がお忍びで来てるとか?
「はい!」
「お、アルア!」
アルアさんは挙げていた手をおろし、自慢げに口を開いた。
「交換留学生が来ています!」
「大正解だ!」
交換留学生?
そういえばエリアルさんも交換留学生だったって言ってたな。
「なあ、どこからの交換留学生だと思う?」
サッチに小声で話しかけられ、首をひねる。
「地理弱いから、あんまりわかんない。」
「俺は隣の島国からだと思うなー!近いし!」
「馬鹿の考え方だろ。」
サッチと軽口を叩き合っていると、キャロル先生も話し始めた。
「オリエンス王国の隣国でもある、ポーロアン国からの交換留学生だ!入っていいぞー!」
キャロル先生が教室の外に声をかけている間にも、俺たちは喋っていた。
「ほら、俺があってたじゃん。」
「あってたからなんだよ。」
「なんか奢ってくれ。」
「無理。」
教室のドアが動き、入ってきたのは、
「それでは自己紹介を!」
「はい。ラベン・ロペスです。二週間ですが、仲良くしてくれると嬉しいです!」
昨日、初めて出会ったラベンちゃんが、黒板の前に立っていた。
「うちは他のクラスに比べて生徒数が少ないから、問答無用で配置された!みんな、仲良くするように!」
ラベンちゃんは俺に気づくと、小さく手を振ってきた。
俺は恥ずかしくて、思わず目をそらしてしまった。




