61話 辛い思い
時間はあっという間に過ぎていき、俺たちは王宮の客室で謁見の時間を待っていた。
「て、手汗が!」
「大丈夫、私も脇汗がとんでもない。」
俺とネモさんがお互いの背中を擦り合っているのを、アルヴィン先輩は呆れた顔で見ていた。
「マシューはまだしも、ネモは二回目だろ。」
「国王様に会って緊張するのに、回数は関係ないでしょ!」
「大丈夫よ、ネモ。アルヴィンも足が震えているもの。」
「グレッタ様、一旦口を閉じてください。」
そんな様子を、お手洗いから戻ってきたエリアルさんは微笑ましく見ていた。
「若いっていいね。素晴らしい。」
いや、エリアルさんもまだおじさんと呼ばれるには若そうだけど……。
ようやく緊張もほぐれてきた時に、客室のドアがノックされた。
こっちが返事をする前に、もうドアは開いていた。
立っていたのは鋭い目つきの男性で、どこか見たことがあるような顔をしていた。
「ロンラット・コーネリアスだ。貴殿たちを呼びに来た。」
コーネリアス?
コーネリアスって……
「お久しぶりですね、おじさま。」
「グレッタか。久しいな。ロルフとはどうだ?」
あ、思い出した!!
コーネリアスって、ロルフ先輩の苗字だ!
どうりで見たことがある顔だと思ったんだ。
「おじさま、紹介しますね。私の学友です。」
ロンラットさんはグレッタさんから視線をうつし、まじまじと俺たちを見た。
そして視線は俺に止まった。
「……君、学術戦でロルフと組んでいなかったか?」
「あ、はい!組んでました!」
懐かしい……
一ヶ月前のことだけど、もう懐かしい。
「今度ぜひ私にロルフの話をしてくれ。彼はあまり自分のことを話したがらないんだ。」
ロンラットさんは苦々しそうに微笑んだ。
世の中のお父さんは大変なんだな、と俺もしみじみと感じた。
「さて、話はここまでだ。ついてきてくれ。」
ロンラットさんは軍人のようにまっすぐとした姿勢で歩き出した。
先頭にグレッタさんが歩き、後ろに俺とアルヴィン先輩とネモさんが続く。
エリアルさんは一番うしろに、隠れるように歩いていた。
王宮の謁見の間は、思っていたよりも静かで、思っていた何倍も広かった。
広い空間に響くのは、俺たちの靴音と、奥で控える近衛兵の鎧がわずかに擦れる音だけ。
玉座には国王が座り、俺たちの前を歩いていたロンラットさんはいつの間にか国王の横に立っていた。
そして、少し距離を置いた場所に、デブンソーさんと女性の姿があった。
女性は豪華な首飾りに、装飾がふんだんに使われたきれいなドレスを着ており、多分あれがヒーナさんなんだろうと一瞬でわかった。
「……では、話を聞こう。」
国王陛下の低い声が、謁見の間に響く。
入学式で見たときとはまた違う威厳があった。
最初に口を開いたのは、グレッタさんだった。
「謁見の機会をいただき、誠に感謝申し上げます、国王陛下。本日お伝えしたいのは、ブライアント侯爵であるデブンソー・ブライアントによる裏金の件、並びにヒーナ様による王家資金の横領についてです。」
その瞬間、ヒーナ様が強く首を振った。
「そ、そのような事実はございません!私はただ、必要な支出を管理していただけです!」
「管理、ですか?」
ロンラットさんが、静かに口を開く。
片手には、書類のようなものを持っていた。
「ではなぜ、その管理された金の一部がブライアント侯爵家へと流れているのですか。帳簿も、送金の記録も、すべて揃っています。」
なにそれ、初耳なんだけど。
秘密で調査をするとは聞いていたけど、まさか王家のお金まで裏金に使っていたなんて。
「そ、それは……!侯爵家への支援は、王家にとっても必要な、」
「嘘をつくな。」
低く、鋭い声で遮ったのはアルヴィン先輩だった。
「支援であれば、正式な手続きがある。だがそれは、どれも非公式のものだ。王家の名を借りた横流しだろう。」
ルーカス君が調べてくれた内容だ。
デブンソー侯爵が一歩前に出て、必死な様子で声を張り上げた。
「国王陛下!これは誤解です!私はただ国を思って!」
「言い訳は後にしてください。」
ロンラットさんの言葉に、デブンソー侯爵は言葉を詰まらせた。
ネモさんが、珍しく真剣な顔で口を開く。
「デブンソー侯爵。あなたはアーロン王太子殿下について、『努力が足りない、王に相応しくない』と、繰り返し周囲に吹聴していましたよね。」
「それは忠告だ!私はアーロン王太子を思って、」
「違う。」
今度はエリアルさんだった。
俺たちの後ろに隠れるように立っていたので、いることを知らなかったデブンソーさんは驚いたように目を見開いた。
それはヒーナさんも同じだった。
「君は、私を利用しようとした。私を精神病と偽ったのも、その一環だ。」
「ち、違う……!違います!それはエリアル王弟殿下のためで!」
「私のため?」
エリアルさんは、ほんの少しだけ笑った。
「なら、なぜ私の言葉は一度も国王に届かなかった?」
その場に、重い沈黙が落ちた。
ヒーナ様が震える声で叫ぶ。
「私は……私は、王家のために尽くしてきました!それなのに、今さら……!」
「尽くす、か」
国王陛下が、ゆっくりと口を開いた。
「王家の金を使い、私利私欲のために散財し、その一部を侯爵家に流すことが、尽くすと言えるのか」
ヒーナさんは、泣き崩れるように膝をついた。
「ち、違います……私は、私は……」
国王陛下は、深く息を吸い、そして吐いた。
しばらくの沈黙の後、玉座から立ち上がる。
「……判断を下す。」
その声に、全員が背筋を伸ばした。
「デブンソー・ブライアント。お前は王太子への誹謗中傷、領民の金を裏金として扱った罪により、爵位を剥奪する。」
デブンソー侯爵が青ざめる。
「た、助けてください……!」
「なお、」
国王陛下は視線をアルヴィン先輩に向ける。
アルヴィン先輩、国王にルーカス君が手伝ってくれたことを言ってたんだ。
「今回、ルーカス・ブライアントが王家に協力したことを考慮し、ブライアント家そのものは存続を許す。侯爵位は剥奪し、男爵位へ降格とする。」
次に、ヒーナ様へと視線が移る。
「ヒーナ・ブライアント。お前とエリアルの婚約は、ここに正式に解消する。」
エリアルさんは、何も言わず、ただ静かに頷いた。
ヒーナさんは放心状態で、溢れ出る涙を拭いすらしなかった。
「お前は修道院へ送られる。そこで己の行いを省みよ。」
動かない二人をロンラットさんが指差し、立っていた近衛兵が二人を連れて行く。
俺はただ眺めることしかできなかった。
国王は小さくため息をつくと、玉座に座り直した。
「……弟よ。辛い思いをさせた。」
「いいえ、」
エリアルさんは、穏やかに答えた。
「逆に兄さんに迷惑をかけたね、ごめん。」
いつもの大人な対応のエリアルさんが、初めて子供っぽく見えた気がした。
その言葉を聞いて、俺はようやく息を吐いた。
長く、重たかったものが、やっと終わったのだと実感した。




