47話 最低な叔父
そこからの毎日は、驚くほどあっという間に過ぎていった。
授業が終わると、俺とテディー君、それにカロリーナちゃんで大四教室に向かい、ジュード叔父さんに絵を教わるのが日課になった。
最初はキャンバスの前で固まってしまい、何を描けばいいのかも分からなかったが、叔父さんはそんな俺たちを見て大笑いする。
「上手く描こうとするな。まずは線を引け。失敗した線のほうが、あとで役に立つ。多分。」
そう言われて描いてみても、出来上がるのはどう見ても人には見えない何かで、俺が首をかしげていると、テディー君が吹き出し、カロリーナちゃんが腹を抱えて笑う。
もちろん次の瞬間には、俺もテディー君の絵を見て笑い返すことになるのだが。
「鹿?」
「鳥だよ!」
「鳥?!頭に生えてる角は?!」
「背中に生えてる羽ね?!」
「これが芸術か…」
「カロリーナちゃんは変に納得しないで?!」
そんなくだらないやり取りを繰り返しながら、絵の具で手や服を汚し、笑って、また描いて。
気づけば、大四教室は俺たちにとって、授業よりもずっと大切な場所になっていた。
そして、ついにその日が来た。
ジュード叔父さんが学園を去る日。
「絵はもう描き終わった。学園のどこかに飾ってもらえることになったんだ!妖精が見てくれるかもなー」
そう言って叔父さんは、いつもの軽い調子で笑った。
どんな絵なのかは、結局最後まで見せてくれなかった。
「あ、そういえば、」
ふと思い出したように、叔父さんがテディー君を見る。
「お前の名前、ちゃんと聞いてなかったな。」
「え? あ、テディです。テディ・クラークです!」
「クラーク?!お前、クラークって言うのか?!」
叔父さんの言葉に、テディー君が困惑しながらも頷く。
「そうか、クラークか。いい名前だ、忘れない。」
ジュード叔父さんは懐から一枚の名刺を取り出し、ペンで何かを書いた。
それからテディー君に差し出す。
「今度、俺の展示会に招待してやる。ちゃんと見に来いよ。」
「……え?」
テディー君は名刺を受け取ったまま固まっていたが、数秒後には目にいっぱい涙を溜めた。
「……ありがとうございます!家宝にします!」
「泣くな泣くな。絵描きは目が商売なんだぞ。」
そう言いながらも、叔父さんはどこか嬉しそうだった。
次はカロリーナちゃんの頭を撫で回し、うざがられていた。
その様子を見て、俺はずっと胸の奥に引っかかっていたことを、思い切って口にした。
「……ジュード叔父さん、」
「ん?」
「どうして、俺が生まれた日に家を出ていったの?」
一瞬、叔父さんは少し驚いたような顔をしたあと、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうだな。そろそろ話してもいいか。」
叔父さんは遠くを見るような目で、語り始めた。
「俺は元々、兄さん、お前の父さんと母さんと、同じ家に住んでたんだ。狭い家でな。毎日が騒がしくて、でも悪くなかった。」
「そこに、俺が生まれた、と」
「ああ」
叔父さんは小さく頷く。
「生まれたばかりのお前を見たとき、正直言って、怖くなったんだよ」
「……怖い?」
「幸せすぎて、だ」
俺は黙って続きを待った。
「母さんと父さんは、本当に幸せそうだった。眠れない夜も、泣き止まない朝も、全部含めてな。その幸せの真ん中に、お前がいた。」
「……」
「この時間は、きっと一瞬で終わる。どんなに大事にしても、同じ形では二度と戻らない。そう思った」
叔父さんは、少しだけ声を落とした。
「お前は、生まれてからずっと、両親に愛されて育ってきたと思う。それは間違いない。でもな、人は成長するにつれて、幸せだったことほど忘れていくんだ。」
「……」
「だから俺は、将来大人になったお前に、この一瞬を見せたかった。言葉じゃなく、記憶でもなく、形として残したかったんだ。」
「それで、絵を?」
「ああ」
叔父さんは苦笑する。
「でも、あの頃の俺には描けなかった。技術も覚悟も足りなかったからな。だから家を飛び出した。」
「……」
「そしたら、まあ、才能があったらしくてさ。仕事が増えて、忙しくなりすぎて……帰るタイミングを、完全に失った。」
叔父さんは困ったように、けれどどこか優しく微笑んだ。
「最低な叔父だろ?」
「……ううん」
俺は首を振った。
「ありがとう、ジュード叔父さん」
叔父さんは一瞬だけ目を丸くして、それからいつものように笑った。
「そう言ってもらえるなら、まあ、悪くなかったな。」
なんだか恥ずかしくなって、話を変える。
「じゃあさ、今度家に帰ってあげてよ。父さんたちも、きっと叔父さんに会いたがってると思うから。」
「……善処するさ。なあ、マシュー。」
叔父さんの目は、楽しそうに話すテディー君とカロリーナちゃんを見ていた。
「見えないものに価値がないと思うほど、俺は傲慢じゃなかったみたいだ。」
そうして、ジュード叔父さんは学園を去っていった。
嵐のように現れて、嵐のように去っていったくせに、俺たちの毎日には、確かな色を残して。
そして、学園に一枚の絵が飾られた。
一人の少女が、ベンチに座って楽しそうに誰かと話している絵。
でも、隣には誰も座っていない。
多分カロリーナちゃんをモデルにしたんだろうな、と思うほど、絵にいる少女とそっくりだった。
「ジュード先生に描いてもらうなんて…羨ましい!!!」
テディー君は血涙を流していたけど。
そして、俺の家にも一枚の絵が名無しで送られてきたと、母さんが手紙で教えてくれた。
二人の男女が、幸せそうに赤ん坊を抱いている絵。
母さんは困惑していたらしいけど、父さんは嬉しそうに絵をリビングに飾ったらしい。




