36話 悪くなかった
午後の鐘が鳴り、第一訓練場の空気が一変した。
ざわついていた観覧席が静まり、中央に視線が集まる。
名前を呼ばれた人たちから、順に前へ出ていった。
派手な演出も多い。
炎が舞い、光が弾け、音楽に合わせて踊る者もいる。
「……すごいな。」
思わず呟くと、ロルフさんは小さく息を吐いた。
「比較するな。やることは決まっている」
そう言われても、緊張は増すばかりだ。
なんとか緊張をほぐそうとして、ロルフさんに話しかける。
「そういえば、ロルフさんの祝福って犬が出てくるんですけど、あれは何か意味とかあるんですか?」
「……昔、犬を飼っていた。」
「え?!犬飼ってたんですか?!」
「その犬はもういない。今は子犬が代わりに家にいる。」
なるほど、大きい犬も小さい犬も出せたのはそういうことか。
「今度見せてくださいよ。」
「時間があったらな。」
俺たちが犬話に花を咲かせていると、係員がこちらを見た。
「次、番号103。前へ」
心臓が跳ねる。
俺とロルフさんは並んで歩き、演技場の中央へ向かった。
視線が一斉に突き刺さる。
見られている。
観客席。
審査員席。
来賓席の奥には、カーテンで閉じられた個室があった。
きっとそこに国王がいるのだろう。
考えただけで背筋が伸びた。
「……落ち着け」
ロルフさんが、俺にだけ聞こえる声で言う。
「合図は俺が出す。君は、印を作れ。」
「はい。」
深呼吸する。
さっきイリオス先生のコテージの裏で練習したときとは、大きさが段違いだ。
足元の地面に、意識を向けた。
盛り上げろ。
一箇所ずつ、丁寧に。
最初の一つ。
地面が、ぼこりと盛り上がる。
「お……?」
客席から、わずかなざわめきが起きた。
構わず、二つ目、三つ目。
練習したときの場所よりも、心なしか地面が硬い気がする。
「……っ」
額に汗が浮かぶ。
一度に大量は無理だ。
分かっている。だから、
「そこまででいい。」
ロルフさんの声。
次の瞬間、彼の手から闇が溢れ、小さな犬が現れ始める。
一匹、二匹、三匹…。
どんどん増える犬たちは、俺が盛り上げた土の上へ、次々と乗っていく。
黒い影が落ち、線になる。
「……何だ、あれは」
「動いてる……?」
客席の声が、はっきり聞こえた。
俺は歯を食いしばり、残りの位置を作る。
歪でもいい。ずれてもいい。
繋がれ。
犬が動き、影が広がる。
線が、円を描き始めた。
「あ……」
誰かが、息を呑む声。
最後の一箇所。
全力で土を盛り上げる。
体がぐらりと揺れ、倒れそうになる。
「――今だ」
ロルフさんが、手を振る。
最後の犬が現れ、影が一気に広がった。
歪だった形が、影によって補われ、整えられていく。
演技場の上に浮かび上がるのは、太陽を象った国旗。
一瞬、音が消えた。
次の瞬間。
「……おお……」
どこからともなく、感嘆の声が上がった。
客席全体が、ざわりと揺れる。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「……終わりだ。」
ロルフさんが静かに言い、手を下ろす。
犬たちは闇に溶け、俺も急いで土も元に戻る。
演技場には、何も残らない。
俺たちは観覧席に一礼し、舞台を後にした。
観覧席に戻る途中、ロルフさんがぽつりと言った。
「悪くなかった。」
「……それ、最高の褒め言葉ですよね?」
「好きに受け取れ。」
その言葉だけで、全部報われた気がした。
「じゃあ、頑張った俺には、何かご褒美が欲しいんですけど。」
「それなら俺も貰わないと割に合わないだろう。君は何をくれるんだ?」
ご褒美にロルフさんが生み出す子犬でも撫でさせてもらおうと思ったが、こっちにも求められるとは予想外だった。
「……梨とかどうですか?」
「梨?」
「俺の家、梨農家なんですよ。」
ロルフさんは「なるほど」と頷くと、手のひらから闇を出して子犬を作った。
「触りたかったんだろ。好きに触れ。」
ロルフさんの前にお行儀よく座る真っ黒な子犬は、小さな愛らしい瞳で俺を見ていた。
「ほ、本当に触っていんですか?後からお金とか請求されませんか?」
「君は俺を馬鹿にしているのか?」
「ありがたく触らせていただきます!!!」
おそるおそる頭を撫でると、ツルツルとした、どこか硬質な感触が手に残る。
「……陶器?」
俺がそう言うと、ロルフさんはパチンと指を鳴らして子犬を闇に溶かしてしまった。
「え、え!!なんで!!!」
「この犬の良さが分からない人間に触らせる気はない。」
ロルフさんは早足になり、俺は急いで後を追いかける。
「陶器みたいにすべすべって意味ですって!本当に良いと思ったんですよ!」
「うるさい。」
必死に弁解しているうちに、いつの間にか観覧席に戻っていた。
ロルフさんが無言で席に座ったので俺も隣に続く。
どうやら全員分が終了したらしく、今は審査中とのこと。
優秀者は名前が呼ばれるらしい。
呼ばれるかは分からないが、とりあえず楽しみに待つことにした。
「928のところ、めっちゃすごくなかったですか?!」
「見ていなかった。」
「じゃ、じゃあ、辺り一面を花畑にしたところは…?」
「それをやったところがいたのか?」
審査を待つ間、今回の競技の話で花を咲かせようと思ったがロルフさんは全く興味がないのか、知らない、見ていないの一点張りだった。
話す内容もないので気まずい状況が続くと、審査席にいたキャロル先生が立ち上がった。
審査が終わったのだろう。
「えー、急だが名前を読み上げる!名前を呼ばれたのは光栄なことだと思うんだな!」
それからキャロル先生は番号と一緒に名前を読み上げていく。
数組ほど呼ばれたあと、キャロル先生は「以上だ!」と言って席に座った。
心のどこかで呼ばれるかもと期待してはいたが、案の定呼ばれなく、競技ってこういうものだよなと虚しくなった。
「俺たちが努力したのは事実だ。それをここにいる誰もが知らなくても、俺たちがそれを分かっていればいい。」
結果発表も終わり、騒がしくなった観覧席でロルフさんはまっすぐと審査員席を見つめていた。
「……悔しいんですか?」
「違う。悔しいとは思っていない。」
仏頂面なロルフさんを見て、思わず笑いが込み上げる。
朝は全然この人のことがわからなかったのに、今は何を考えているのかもすぐに分かる。
それがなんだか嬉しかった。
ロルフさんは急に笑い出した俺を怪訝な顔で見つめ、それから立ち上がった。
「帰るぞ。もうここに用はない。」
「そうですね。」
俺も立ち上がり、出口に向かう。
「あ、そうだ。」
頭の中に浮かんだこと。
朝なら却下されていただろうが、今なら受け止めてくれる気がした。
「今度から、ロルフ先輩って呼んでもいいですか?」
ロルフさんは俺の言葉に目を丸くして立ち止まり、それから少し考えてから言った。
「構わない。」
「じゃあ、ロルフ先輩!今日はありがとうございます!色々とお世話になりました!」
ロルフ先輩は何も言わず、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
「……梨は忘れるな。」
「ちゃんと持ってきますって!」
そう答えると、ロルフ先輩は今度こそ何も言わずに歩き出した。
学術戦はまだ続く。
だが少なくとも今日は、思っていたより悪くない日になった。




