35話 鐘が鳴る
コテージの扉が閉まった瞬間、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ気がした。
「……外の方が気楽だな。」
ロルフさんがぽつりと呟く。
それに関しては俺も同感だった。
あの空間は、静かすぎてどうにも落ち着かない。
イリオス先生の視線が背中に刺さっているような気がして、話し合いどころじゃなかった。
コテージの裏手は、ちょうどよく開けた空間になっていた。
地面は平らで、周囲を囲む木々が自然と視線を遮ってくれる。
祝福を使っても、多少なら目立たないだろう。
「ここでやりましょう。」
「ああ。時間も限られている。」
ロルフさんはそう言うと、地面に視線を落とした。
「国旗は、正面から見る前提だ。観覧席の位置を想定して作る必要がある。」
「観覧席って、第一訓練場の……」
「そうだ。斜めや真上から見ても意味がない。」
言われて、はっとする。
確かに、祝福で何かを作ることばかり考えていて、どう見られるかという視点が完全に抜けていた。
「……じゃあ、まずは位置取りですね。」
俺は歩きながら、頭の中で観覧席の配置を思い浮かべる。
第一訓練場の観覧席は高く、全体を見下ろす形になっている。
そこから見た時に、はっきりと国旗だと分かる必要がある。
「よし……じゃあ、ここを中心にします。」
俺は地面に立ち、足元を見下ろした。
国旗は、太陽をモチーフにした紋様。
中央に円、その周囲に放射状の意匠が広がる形だ。
……頭では分かっている。
でも、それを祝福で再現するとなると、話は別だ。
「まず、俺が土を盛り上げます。」
深呼吸して、祝福を使う。
地面に意識を集中させ、土を持ち上げるイメージを作る。
いつもより、少し多めに。
ぐぐっと地面が盛り上がり、小さな山ができた。
「……よし」
思ったよりは、うまくいった。
それを基準に、少しずつ位置をずらしながら、同じような盛り上がりを作っていく。
中央、右、左、斜め……。
だが、数を重ねるごとに、だんだんと苦しくなってきた。
「……っ」
土を持ち上げる感覚が、重い。
一つ一つは小さくても、それを何箇所も同時に維持するのは、想像以上に負担がかかる。
「くそ……」
集中が乱れ、一つの盛り上がりが少し崩れた。
「無理をするな。」
ロルフさんの声が飛ぶ。
「だが、形は悪くない。」
俺は息を整えながら、地面を見つめる。
歪ではあるが、点が並び、なんとなく円を描き始めている。
「一度に、こんな量の土を動かしたことなくて……」
「だろうな。」
責めるでもなく、淡々とした声だった。
「だから、完璧を目指すな。印で十分だ。」
「印、ですか?」
「大体の位置さえ分かればいい。あとは俺が補う。」
そう言って、ロルフさんは手を前に出した。
手のひらから、黒い影が零れ落ちる。
それは地面に触れた瞬間、形を変え、小さな犬の姿になった。
一匹、また一匹。
どれも子犬ほどの大きさで、静かに地面に座っている。
「こいつらを配置する。歪みは影で誤魔化せる。」
「……そんなことできるんですか?」
ロルフさんが指を動かすと、犬たちはそれぞれの盛り上がりの上へと乗っていく。
影が地面に落ち、線となって繋がっていく。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
俺が作った、歪で不揃いな点が、ロルフさんによって一つの図形に変わっていく。
線が生まれ、輪郭がはっきりしていく。
「もう少し左を高く、」
そう言われて、土を少しだけ持ち上げる。
「……それでいい。」
また一匹、犬が配置される。
そうして、何度も微調整を繰り返し、
「……完成だな」
ロルフさんの声に、俺は一歩引いて全体を見た。
歪ではある。
決して完璧じゃない。
それでも観覧席から見れば、きっと分かる。
太陽を象った、国旗の形。
「……できましたね。」
「ああ。十分だ」
その時だった。
「そろそろ鐘が鳴るぞ。」
背後から、低い声がかかる。
振り返ると、コテージの扉の前にイリオス先生が立っていた。
腕を組み、相変わらず不機嫌そうな顔だ。
イリオス先生は俺たちが作ったものを横目で見て、口を開いた。
「やりすぎるなと言ったはずだが。」
「すいません……!」
反射的に謝ると、イリオス先生は小さく鼻を鳴らした。
「まあいい。さっさと片付けて、行け。」
その言葉に、俺とロルフさんは顔を見合わせる。
「急ぎましょう!」
犬たちは闇に溶けるように消え、盛り上げた土も元に戻す。
急いで身支度を整え、二人で第一訓練場へと走った。
訓練場に着くと、すでに生徒たちは観覧席へ案内され始めていた。
「こちらへどうぞ。」
誘導に従い、席に座る。
高い位置から見下ろす訓練場。
さっき自分たちが立っていた場所を、自然と探してしまう。
そして、奥の来賓席には豪奢な椅子に腰掛けた人物がいた。
重厚な衣装。
堂々とした佇まい。
「……あれが、」
「間違いない。」
ロルフさんが静かに言う。
「サイラス国王陛下だ。」
胸の奥が、どくりと鳴った。
本当に、来ている。
入学式の時に一度だけ姿を見たが、そのときとは全く違う緊張感があった。
「……やるしかないですね。」
「ああ。」
ロルフさんは、いつもと変わらない表情で前を見据えていた。
鐘が鳴る。
第二競技が、もうすぐ始まろうとしている。




