2話 息災である
入学式が始まった。
俺が母さんに連れられてたまに行く協会の十倍、いや、それ以上の広さを誇る講堂には大量の学生で溢れており、二階席には正装を着た大人たちがいた。
壁はステンドグラスで飾られており、差し込む光が講堂内を彩っていた。
舞台上にいる数十人の先生がそれぞれ順番に自己紹介を始めた。
正直さっきネモさんが俺に言った言葉の事でいっぱいいっぱいで、何も聞いてはいなかった。
「…皆様、ご起立ください。」
舞台上で式を執り行っていた学園長が口を開き、全員が立ち上がる。
すこし反応が遅れたが、俺も立ち上がる。
室内のはずなのに急に吹いた風が、優しく頬を撫でた。
それを合図に、講堂内が眩しい光で包まれる。
思わず目を瞑ったが、恐る恐る目を開くと、俺の周りは森になっていた。
さえずる小鳥、木々のざわめき。
近くに川があるのか、水の流れる音もした。
花の匂いが鼻の奥をくすぐる。
え、幻覚?幻聴?
俺今まで講堂で入学式に出てたよね?
勢いよく頬を叩いても、夢は覚めない。
これは現実なんだ、となんとなく考え始めたが、やはり夢だった。
小鳥のさえずりは人々のざわめきに変わり、木々は人に変わっていった。
周りは森から講堂に戻っていた。
「息災である。」
その言葉に、一気に現実に引き戻される。
その場にいた生徒は九十度にお辞儀をし、先生たちもいつの間にか舞台上から降りており、同じく最敬礼をしていた。
「よい。顔を上げよ。」
恐る恐る顔を上げる。
ステンドグラスから差し込むまばゆい光と舞台上の人が目に飛び込む。
金色の髪には色とりどりの宝石が埋め込まれた王冠を被り、目の色と同じ藍色を基調とした豪華絢爛という言葉が相応しい服装をしていた。
白いマントはただの布なはずなのに発光して見えた。
あの人、いや、あの方がこの国の王。
直感なんて無くてもすぐに理解できた。
まさに厳格。
この国の頂上に立つ者の圧を遠くからでも感じた。
「少しばかりの余興だ。楽しめたか?」
王は右手を上げると従者に椅子を持ってこさせた。
従者に向かって少しだけ微笑むと椅子に座り、俺たちに向かって手を上から下へ下げた。
それを合図に、周りが席に座っていく。
全員が席に座ると学園長が立ち上がり、うやうやしく口を開いた。
「先ほどの我々への祝福、誠にありがたく思存じます。これからの太陽の更なる輝きを祈り、この場を代表してお礼を申し上げます。」
学園長がお辞儀をすると、王は頷いた。
「ではこれより、我が王より妖精の祝福をいただきます。」
「よい、祝福は既に渡している。式は以上で終了とする。」
激しい光と共に風が巻き起こり、思わず目を腕で覆う。
風が止んだ時には、舞台上には椅子だけが残されていた。
学園長は呆れた表情で、顔に似合わぬ大きな眼鏡の位置を直し、また口を開いた。
「では、入学式を終了します。新入生は先ほど紹介した担任の先生の元へ向かってください。」
学園長が去り、静寂に包まれていた講堂内が再び喧騒を取り戻す。
「永遠に自分の影追いかけてたや。」
「私海の中に立ってた!」
「魚食べてたんだけど、どゆこと?」
「魚の骨を一気に抜くことが出来る祝福じゃない?」
「火山の中に落ちていったんだけど。死ぬと思った。」
俺の周りにいた生徒たちは喋り合いながら先生たちの元へ歩いていた。
紹介した担任の先生って何?!
全然話を聞いていなかったから、全くわからん。
というか祝福って何?!
俺森の中にいたんだけど、どういうこと?!
とりあえず周りの生徒について行き、先生たちの元へ向かう。
「はーい。自然系の幻覚見た人ここー。」
「燃え上がれ!!共に燃えよう、少年少女たちよ!!」
「水とか海とかそこら辺はここ。」
「とりあえず竜巻に飛び込んだ子猫ちゃんたちはここね。」
「未だにさっきの光で目がチカチカしてるやつー。こーい。」
「それ以外はこっち来い。」
講堂を出てすぐある大きな広場には、六人の大人たちがそれぞれ声を出して新入生を呼んでいた。
燃えすぎて腹筋を始めた先生が俺の担任では無いことを祈るばかりだ。
俺が見た幻覚、結構自然だったから、あそこにいる先生かも?
歩いて近づき、すいません、と声をかける。
「お、一番乗りだよ。少年、君の名前は?」
遠くから見ていたから気付かなかったが、ずいぶんと背の高い女性だった。
無造作に結んである赤い癖のある髪によく似合う丸縁の黒眼鏡をくいっとしながら、俺に聞いてくる。
「マシュー・ペリーです!よろしくお願いします!」
軽くお辞儀をすると、女性は満足したようににんまりと笑った。
「アタシはキャロル・ローゼン。是非キャロル先生って呼んでくれ!」
勢いよく背中を叩かれ、思わず朝の母さんを思い出してしまった。
「ペリーということは、梨農家の子か?しかし、全然新入生が来ないな。そういえば今日の朝食はなんだったんだ?」
止まらない問いかけに若干焦りながらも、一つ一つ返答していく。
キャロル先生と話してる内に、周りにちらほらと生徒が増えていった。
「全生徒が居場所につきました。各自移動を開始してください。」
いつの間にか広場にいた学園長が、先生たちに喋りかける。
その言葉を合図に、他の先生たちは移動を始め、広場には俺たちキャロル先生組しか残されていなかった。
「いやなんか生徒少なくない?他の組二十人ほどいたよね?」
キャロル先生が指を折りながらその場にいる生徒を数え始める。
俺も数えてみたが、五人しかいなかった。
「ローゼン先生も移動を始めてください。」
「いや学園長?!五人しかいないんですけど?!」
しかも女子が三人で男子が二人。
思春期男子にとっては由々しき事態だ。
「まあ、いっか。荷物は学園長に預けちゃって大丈夫。預けたなら早速出発だ!」
「ローゼン先生。受け取るとは言ってませんよ。」
キャロル先生は学園長の言葉を無視して、俺たちから渡された荷物を全て学園長に押し付けていた。
これも社会勉強の一環、ありがとうございます、学園長。
「まずはアタシの第一回の授業でも開くとでもしようか。マシュー、アルア、サッチ、ミューン、ヤーリュカ。これからよろしくな!」
あれ、俺以外の生徒って、キャロル先生に自己紹介してたっけ?
「…自分、先生に名前言いましたっけ?」
あ、同じこと考えてる人がいた。
恐らく彼がサッチ君なのだろう。
キャロル先生におずおずと聞いていた。
キャロル先生は立ち止まり、振り返って俺たちを見た。
「学生名簿で顔と名前は見たからな。今年の新入生は全員分かるようにしている。」
そしてまた歩き出した。
少し思考しなくても分かった。
キャロル先生は頭が良いということが。