第4話 "理想の"公爵令嬢
貴族の娘として生まれた以上、きちんとした振る舞いは当たり前とされる。 立ち居振る舞いも、言葉遣いも、仕草の一つひとつまで。 公爵令嬢として恥じぬようにと、小さな頃から丁寧に教えられてきた。
自分で未来を掴めるように、と言われながら、 私はいつも"ちゃんと"していようとした。 それが私を形づくるものだと、どこかで思い込んでいたのかもしれない。
* * *
グラスが軽く触れ合う音、舞踏のための優雅な旋律がホールを満たす。
各所では煌びやかな衣装に身を包んだ貴族たちが輪をつくり、微笑み合い、軽やかに言葉を交わしていた。
「まあ……そのドレス、月の光を織り込んだようですわね。澪奈様によくお似合いですわ」
「お初お目にかかります。お噂はかねがね。まるで今宵、女神が舞い降りたかのようですね」
「まあ、ありがとうございます」
「ふふっ。ご冗談を。お褒めいただき光栄ですわ」
夜会とは、ただの社交の場ではない。貴族としての価値を示す場であり、理想を演じる舞台だ。
笑顔を作り、公爵令嬢らしく言葉を返す。
今日も言葉は滑らかに出てくる。 身体はよどみなく動く。 私は今夜もいつもどおり振る舞っていた。
けれど、どこかで。
(何かが、足りない)
その違和感は、ふとした瞬間に心の奥を掠める。 けれど、それが何なのか、言葉にはできなかった。
いや――分からないのではなく、分からなくなっているのかもしれない。
「……。」
喉元まで出かかった言葉をのみ込む。 今まで通り、何も気にせずちゃんとしていれば、きっと大丈夫。
「澪奈様、よろしければ一曲ご一緒に。」
「ええ、喜んで」
差し出された手を取り、舞踏の輪へと入る。
―トン、トン……
音楽に合わせ、軽やかにステップを踏む。
ドレスの裾が揺れ、夜会の光を受けてやわらかく煌めく。
相手の動きに合わせて、過不足なく、美しく。
ただ、それだけ。
「お美しい……」 「踊る姿まで素敵よね」
「息を呑んじゃう……あの人、昔からずっと変わらないのよ」
澪奈の踊る姿に、輪の外からささやき声が漏れる。
称賛、憧れ、そして、ほんの少しの――距離。
「人形姫、って呼ばれてるの、ご存知?」
「ええ。人形の様に美しいからそう言われているのよね?」
「ええ。でも……綺麗すぎて、ちょっと怖いって言う人もいるみたいよ。いつも笑顔で、理想的な返しすぎて……本心が読めないって」
「あぁ。でも、貴族令嬢としては理想的だと思うわ。欠点がないっていうか……」
* * *
(……人形姫、ね)
知っている。自分がそう呼ばれていることぐらい。
でも皆が求めている私はこう、でしょう?
……あれ?
そういえばその言葉に何も感じなくなったのは
いつからだっただろう。
昔はもっと――。
* * *
周囲では、華やかなドレスが揺れ、貴族たちが優雅にステップを踏んでいる。
音楽もゆるやかに流れていた。
だが、今日は特に人形姫の話題が耳につく。
いつもはこんなに気にならないのに――
「誰にでも平等で優しすぎて……どこか掴めないのよね。まるで感情というものをどこかに置き忘れてきたような……」
「……そうね。人形みたいに整ってるって、そういう意味でもあるのかも」
(感情がない? いいえ――そんなはず、ない。
今日だって笑って、楽しく。……本当に?)
澪奈は自分の胸に問いかける。
けれど、その声に返るものはなく。
ただ、その言葉だけが胸の奥に残って離れない。
――パキッ。
「……?」
まるで、見えない何かが、心の内側から砕けたような音がした。けれど、その後すぐスッと少しだけ冷たい何かが抜けていった。
(……今、なにかが……)
胸の奥に、わずかなざわめきのような感覚。
次の瞬間――
ドサッ…!
「――きゃあぁぁ!!」
誰かが、倒れた。
「え、誰か……!」
「伯爵令息が――!」
ドサッ…!!
「こっちでは令嬢が----!」
「……なに?なぜ突然……?」
突然、人々が崩れ落ちていく。
踊っていた人だけでなく、歓談の場でも倒れた人がいるようだ。
場が騒然とする。
「ちょっと!水を!」「医者を呼んで!」
「おいっ!……手足が異常に冷たくなってる…!毛布も持ってきてくれ!!、早くっ!」
舞踏の輪が崩れ、人々が倒れた人達の元へ駆け寄る。
けれど、私は――
混乱と恐怖が広がる中、何かの視線を感じた。
(……っ。)
――そこに、いる。
周囲は、誰も気づいて、いない。
けれど、確実に気の所為ではない。
何かが、こちらを見ている。
――パキッ。――キンッ。
その瞬間、頭の奥でまた音が響いた、気がした。
「……っ!……ぅ……」
視界が揺らぐ。
立っていられない。
(……あれ……?)
足元が崩れる感覚。
力が抜けていく。
ドサッ……
音が遠のいていく。
意識が――
……沈んでいく。
――闇の中へ。
* * *
……。
……。
『感情なんて、煩わしいだけだろう?』
昔、ダレカ に言われた気がする。
記憶の奥に埋もれた、冷たい、けれど懐かしい囁き。
だが、私はその声の主を思い出せない。
けれど、その言葉だけが、胸の奥深くに刺さっていた。
* * *
――世界は、静かに歪んでいる。