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第37話 祠の少女 前編

柔らかな朝の光が、カーテン越しに部屋を照らしていた。

白を基調とした室内に、金の縁取りの装飾が控えめに施された椅子や机が並ぶ。

澪奈は窓辺で刺繍をしながら、ふと思考を巡らしていた。


(私は、失ったものを見つけるために何ができるかしら)


(……だめね。まずは目の前のことに集中しないと)



――コンコン。


静かに扉が開き、侍女が入室する。


「おはようございます、澪奈さま。今日は孤児院へ行かれるんでしたよね?」


「ええ。寄付の品も、昨日のうちに準備しておいたから」


「そちらは?」


侍女が澪奈の手元に視線を落としながら尋ねる。

澪奈の手元には瑠璃色の花が刺繍されたハンカチと針が握られていた。


「これは……まだ途中なの。なんだかしっくりこなくて。次回分かしらね」


「左様でしたか。……そろそろ、ご準備のお時間かと。お手伝いします」


「ありがとう」


そこへ、ぱたぱたと小さな足音が近づいてきた。


「お姉さまっ!

 あの、今日、孤児院へ行かれるのですよね?」


澪奈が頷くと、妹は少し恥ずかしそうに布を差し出した。

「わたくしも、刺繍してみました。……お姉さまみたいに上手くはないけれど、」


布の端には、不揃いながら丁寧に縫い取られた花の模様。

愛らしく、幼い手で懸命に縫われた跡があった。


「孤児院には、私と同じくらいの子たちがいるのでしょう? なにかできないかなって思って――」



澪奈はその刺繍をそっと手に取り、少しだけ目を見開いた。


胸の奥で、かすかな音が鳴った気がした。


――チリ、と、鈴のような音。けれど、それは幻のようにすぐ消えた。


「素敵ね。きっと喜んでくれるわ」


そう言って微笑み返しながら、澪奈は胸元に刺繍を抱えた。



* * *



馬車が石畳の通りを進むたび、窓の外にはゆったりとした町並みが流れていく。


喧騒の多い貴族街を抜け、やがて見えてくるのは、街外れの緑が揺れる並木道。

木洩れ日が車内に差し込み、澪奈はそっと目を閉じた。


やがて馬車は緩やかに止まり、扉が開かれる。


「お嬢さま、到着いたしました」


御者の声を受けて澪奈が降り立つと、目の前にはこぢんまりとした煉瓦造りの建物があった。

その外壁には時折ツタが絡まり、どこか懐かしい空気が漂っている。


「お姉さまだ!」


「来てくれた!」


小さな歓声が上がる。

駆け寄ってきた子どもたちが、手を伸ばして澪奈のスカートの裾に触れる。


「こんにちは。皆、元気にしていた?」


澪奈はしゃがみ込み、子どもたち一人ひとりの目を見て、柔らかく笑った。

その姿に、後方から現れた年配の婦人が深く頭を下げる。


「いつもありがとうございます、澪奈さま。子どもたちも、本当に楽しみにしておりました」


「院長先生。いえいえ。私のほうこそ、いつも元気をもらってます。……それと、今日は妹が刺繍をしてくれて。よかったら、お渡ししても?」


「まあ、まぁ!嬉しいこと!」


そうして差し出された刺繍入りの小物たちは、さっそく小さな手に抱えられていった。

笑顔が咲き、子どもたちの声が院内に広がる。


その中で、澪奈はふと、一歩だけ離れた場所に視線を向けた。


そこには、院の裏手へ続く小道がある。


人の気配が途切れた一瞬、――音が聴こえた。


チリ、チリ……

鈴のようでいて、どこか泣き声にも似た、遠い音。


(……行かなくちゃ)


理由は分からなかった。ただ、胸の奥に波紋が広がった。

澪奈は、そっと子どもたちの手を離し、音のする方へと歩き出した。



小道を抜けた先には、少しだけ開けた空間に小さな祠がぽつりと佇んでいた。

苔むした石の鳥居、ひび割れた灯籠。



――チリン。



澪奈はふと足を止めた。

風が止み、空気が変わった気がした。まるで、何かに呼ばれたような――そんな感覚。


「……お姉ちゃん」


背後から、か細い声が届いた。


振り返ると、いつの間にかそこに、小さな少女が立っていた。


年の頃は、妹と同じくらい。

くすんだ色のワンピースに、風に揺れる長い髪。

瞳の色が淡くて、どこか夢の中のようにぼんやりとしていた。


「……こんにちは」


自然に声が出ていた。

少女は少しだけ驚いたように目を見開き、すぐににこっと笑った。


「こんにちは!」


「ここで何をしていたの?」


「遊んでたの。ひとりで」


少女はそう言って、地面にしゃがみこんだ。

拾った小石を並べながら、くすくすと笑う。


「ここね、お花が咲いてたの。ちっちゃいの。だから、まねっこ」


澪奈も、自然と隣に腰を下ろしていた。

少女の手の中で、小石の花が広がっていく。


「ね、こっち来て? 一緒にお花つくろう?」


誘われるようにして、澪奈も地面に腰を下ろす。

小石を花びらに見立てて、中心に木の実を置く。少女が笑う。

それは、誰よりも無邪気で、子どもらしい笑顔だった。


「とても上手ね」


「えへへ、お姉ちゃんのお花もかわいい!」


「ふふ、ありがとう」


こんなふうに誰かと遊んだのは、いつぶりだろう。


時間が緩やかに流れていた。

空気も、光も、どこかやさしくて――心が、少しだけほどけていくようだった。


「ねぇ、あなたのお名前は?」


「んとねぇ……るり、だよ!」


その名前を聞いたとき、ふと今朝の途中の刺繍を思い出した。


「るりちゃん、ね。次に来るとき貴方のために刺繍したハンカチを持ってくるわ。受け取ってくれるかしら」


「いいの!?ありがとうっ!」


少女がぱんっと手を叩きながら喜ぶ。

そのしぐさが、どうしようもなく愛らしかった。


(どうしてこんな――)


問いかけかけたとき、子どもたちの声が遠くから響いてきた。


「また、来てくれる?」


少女がぽつりと問う。


「ええ、もちろん。またね」


「……うんっ!」


少女は手をぎゅっと握りながら笑った。

それがとても自然で、やわらかくて、澪奈の胸に何かが灯る気がした。



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