第34話 交錯する影
木の隊の診察室。前回と同じ場所。
けれど、澪奈の心には微かなざわめきがあった。
白楼と過ごした夜の余韻。夢で見た"誰か"の記憶。
そして、少年と白い男の穏やかな時間。
それが紡生と白楼の過去なのか、確信は持てない。 けれど、どこか——どうしようもなく、胸がざわついた。
「……お待たせしました」
扉が開き、白衣の青年が姿を現す。白に近い薄灰色の髪、静かな瞳。
「澪奈さん、体調の変化はありませんか?」
診察の合間、ふと紡生が声を落とすように尋ねた。
「……特には。あ、でも最近よく夢を見るようになりましたね」
「夢……ですか」
紡生の目がわずかに細められる。
「……器に負荷がかかっている場合、まれに夢という形で"記憶の残滓"が浮かび上がることがあります。……その夢の中で、何か見ました?覚えていることはありますか?」
少し間を置いて、紡生は澪奈を見つめる。
「……はい。たぶん、私がこうなる前の記憶みたいな。何だか懐かしい夢なんです。その中で、私はきっと、自分から渡したんじゃないかなって」
「自分から……?感情を、……?」
「はい。しっかりと覚えているわけじゃないんですけど……、いらないって強く思ったのが残っていて」
「……なるほど」
(やはり、"渡した"器か)
「あと、この前は、知らない場所でしたけどひとりの男の子と……白い髪の、美しい男の人がいました」
その一言に、紡生の動きが一瞬、止まる。
「それに……どうしてか分からないけど、"あの男の子"、紡生さんに似てる気がして」
「その、もしかして、紡生さん、しろ…じゃない、朧牙と一緒にいたことがあります?」
その瞬間——紡生の気配が、変わった。
瞳の奥に宿った微かな熱。空気が、ひりつくように張りつめる。
「……君、今……なんて?」
「……え?」
「朧牙と一緒にいるのか?」
「……はい」
「なぜだ!?あいつは、感情を喰うんだぞ!?」
「何で一緒にいる!?渡した?いや、君のその器も、喰われたんじゃないのか!?」
その言葉に、澪奈の胸がズキリと痛む。
「……いいえ。……私は、自分で差し出したんだと思います。多分……あのとき、わたしは"いらない"と思ったから」
「……ッ、何を……!その記憶すら喰われてなにか混じっているんじゃないのか!?」
紡生の声音に、怒りと戸惑いが入り混じる。
「なぜ、あんな奴と——朧牙と、一緒にいる!? お前っ……君まで……!」
「でも、朧牙は、優しいですよ?少なくとも、今の私はそう思ってます」
「"今の"……?」
「……あ、そういえば……いまは"白楼"って呼んでるんです。名前、自然と口に出てて……気づいたらそう呼んでて。ずっと隣にいてくれて、名前を呼ぶのが当たり前になったっていうか……」
紡生は少しだけ深呼吸をしたあと、目を伏せながら低く呟く。
「……名を与えるってことは、縁を結ぶってことだ。妖と人との"契約"のひとつだよ。——無自覚だろうと、ね」
「……だから、か?」
紡生がぽつりと呟いた。
「穴があいた状態で、保っていられる理由。紡ぐ治療が干渉できなかったのも……保護されていたから。……いや、でも……あいつは——」
「紡生さんだって、白楼と一緒にいたのでしょう? 夢の中にいた男の子はきっと、紡生さんだった。 すごく、温かな時間が流れていたのは……気の所為ですか?」
澪奈の瞳が揺れていた。恐れではなく、まっすぐな問い。
「あなたにとって、白楼は"全部奪った存在"ですか?」
沈黙。診察室の静寂が、鋭く突き刺さる。
「……私は……今の私を、ちゃんと見たいと思ってます。過去じゃなくて。昔は差し出したかもしれないけど、今は、それを取り戻したいんです。白楼は今の私が決めればいいって、見守ってくれてます。紡生さんの時もそうだったんじゃないですか?」
紡生は何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。 その背で、糸の揺れる気配がした。
——"繋がってしまった"ものがある。それは、切り離した何かを揺らし、失ったものを繋ぎ直す"縁"なのかもしれなかった。
「……もう一度、診てみようか。今の君の器を」
その声は、静かで、少しだけ戸惑いが含まれていた感じがした。
(——今ならまだ、間に合うかもしれない。まだ、切り離せるなら……そうじゃなければ、あの時と同じになってしまうから)




