第32話 戻せぬもの、繋がったもの
月明かりのない森の中。
誰もいない廃寺の片隅で、紡生は一人、膝を抱えて座っていた。
「……俺の、器。これを埋められたら、きっと。」
目を閉じる。こころの中に浮かぶのは、自分自身の"器"。
そこには、自分で紡いだいびつな線のあとと、塞がらない穴が空いていた。
糸を通して、欠片を拾って、繋ごうとした。
けれど——
「……やっぱり、駄目か」
糸は、途中で切れた。繋がらない。
拾った欠片は、器に馴染まなかった。
そのとき——
「うーん、だいぶ惜しいね、それ」
気配もなかった。
声とともに、廃寺の柱の影から、ひとりの男が顔を出した。
歳の読めない柔らかな笑顔。
外套を羽織り、片手には折れた傘。どこか旅の人のような風体だった。
「……誰だ」
紡生は即座に身を固くする。
けれど、男は気にした様子もなく、近づいてきた。
「君の力、悪くない。感覚も鋭いし、線も綺麗。……ちょっと惜しいだけ」
「……なに、知ってるみたいな言い方してるんだよ」
「まあね。ちょっとだけ"先に"紡いでただけさ」
男は笑った。けれど、その目は、ふざけた色をしていなかった。
「……自分の器、直したかったんだろう?」
紡生は、視線を伏せる。
「あぁ。……直せると思ったんだ。器を。俺の、これを」
紡生は、器のイメージを指先に浮かべる。
その中心には、ぽっかりと空いた穴がある。
「だけど……何度やっても、繋がらない。拾った欠片も……俺には、偽物にしか見えなかった」
「それが自然さ」
男は静かに言う。
「人は、自分の痛みには最も鈍い。だから、自分の器を紡ぐのは、いちばん難しい」
「……知ってるよ」
声に力がなくなる。
その言葉が、妙に優しかったから——余計に、悔しかった。
男はしばらく紡生を見ていた。
そして、ぽん、と片手を鳴らした。
「じゃあ、見せてあげようか? 力の使い方」
「……は?」
「ほら、せっかく芽生えた力だ。ほったらかしはもったいない」
そう言って、男はふっと立ち上がると、手を差し出した。
「一緒に来るかい? 力の使い方、教えてあげるよ」
紡生は、しばらくその手を見つめていた。
迷いがなかったわけじゃない。
けれど、その声には——怒りも憐れみもなかった。
ただ、受け止めてくれる温度があった。
「……俺は、俺の器を、紡げるようになるのか?」
「さあね。でも、"誰かの痛みを紡げるようになる"かもしれない。
それが、やがて——君自身を救うことにもなるかもね」
そうして彼は、慈邑に導かれるように歩き出した。
"紡ぐ"という、生き方を選ぶために。
* * *
そうして、彼は五行部隊・木の隊へと加わった。 心を紡ぎ、器を修復するために。 それが、彼の"償い"であり、"願い"だった。
「俺は、俺自身を救えなかった」
だからこそ、救いたいと願った。 同じように欠けた者たちを。 自分のように、彷徨う者たちを。
彼が、誰かの痛みに手を伸ばすとき—— それは、かつて自分が欲しかったものを、誰かに渡す行為なのかもしれなかった。
* * *
「……ふぅ。」
紡生は頭を振って、過去の記憶を振り払う。
今は、まず目の前の事からだ。
改めて、会議資料をみる。
「……柊 澪奈」
彼女の心の器は、なぜ安定しているのか。何が影響しているのか。
いくつかの症例と突き合わせながら治療を検討する。
(……俺はまだ過去に囚われたまま、か。彼女の器を完全に戻すことができたら。何か、変わるだろうか。)
木の隊の診察室。
机の灯だけが何時までも辺りを照らしていた。




