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第2話 小さな違和感

身支度を終えた澪奈は、妹の手を引いて寝室を出た。

廊下には朝の清掃を終えた使用人たちが控えており、姉妹が姿を見せると一斉に頭を下げる。


「おはようございます、お嬢様」


執事の慶が恭しく挨拶し、他の使用人たちもそれに倣った。


「おはよう、皆。いつもご苦労さま」


澪奈は一人ひとりに目を配りながら、落ち着いた声で返す。

その言葉に、使用人たちの表情がふっと緩み、柔らかい空気が広がっていった。


窓から差し込む朝日が廊下を満たし、大理石の床に光が踊る。

執事が今日の予定を簡潔に伝え、澪奈は的確に頷きながら、穏やかにいくつかの指示を返した。


澪奈と妹は並んで歩きながら、大きな窓の外に見える中庭を眺める。

噴水の水しぶきが朝陽を受けてきらめき、柔らかな風が木々を揺らしている。


「今日もいいお天気ね、お姉さま」


妹が目を細め、無邪気に笑った。


「ええ。とても清々しい朝だわ。」


澪奈は優しく頷き、妹の肩に手を添える。

まるで絵画の一場面のように、二人の姿は朝の光に溶けていた。


やがて、妹がふと澪奈を見上げ、小さな声で尋ねた。


「先にお父様たちにおはようを言ってきてもいいかしら? 魔法も見せてくるわ!」


「ええ、行ってらっしゃい。私は後から行くわね」


にこやかに頷くと、妹はぱっと嬉しそうに笑い、スカートを揺らして廊下の角へと駆けて行った。


妹の姿が見えなくなった瞬間、廊下には再び静寂が戻る。

遠くで聞こえる時計の針の音だけが、空間の静けさを刻んでいた。


澪奈はふと足を止め、胸元に手を当てた。

理由もなく、胸の奥に微かなざらつきを感じたからだ。


……その時、なぜか部屋にいたしろの気配を思い出した。けれど、ここにはいないはずで——


澪奈は小さく首を傾げ、耳を澄ませる。


けれど、ついさっきまで妹と歩いていた廊下には、何も変わった様子はない。

人の気配も消え、光だけが静かに床を照らしていた。


(……気のせいかしら)


そう思って歩き出そうとした、そのときだった。


――パキッ。


乾いた音が、どこからともなく響いた。

まるで薄い氷にひびが入るような、鋭く冷たい音。


澪奈は思わず立ち止まり、周囲を見回す。

……割れたガラスもなければ、扉の揺れもない。

すべては朝の光の中で、いつも通りに静かに存在していた。


胸の奥で、心臓が一拍、強く脈打つ。

だが――不思議なことに、恐怖も戸惑いも湧いてこない。

澪奈の心は湖面のように静かで、何も波立たなかった。


(……なんだったのかしら)


小さく眉を寄せながらも、澪奈はすぐに表情を整える。

何事もなかったように微笑みを浮かべ、再び歩き出した。


足音が静かな廊下に規則正しく響き出す。

その背後で、あの音の残響だけが――ほんの一瞬、空気に滲み、そして消えていった。


澪奈は気づかなかった。

完璧な笑顔を浮かべる前、その刹那だけふいに無表情になっていたことに。


暖かな光に包まれた廊下には、誰にも気づかれないほど小さな違和感だけが、静かに取り残されていた。



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