第22話 赤の予感
——夜、静まり返った公爵邸。
窓の外では風がそっと庭木を揺らしていた。 深い闇に包まれた世界で、ただ蝋燭の灯りだけが淡く廊下を照らしている。
(……眠れない)
澪奈は薄手の羽織を纏い、寝室を抜け出していた。
静かな夜の空気に包まれた邸内は、どこか夢の中のようにも思える。足音を忍ばせて歩いていると、ふと廊下の奥に"それ"が現れた。
——ぽっ。
朱の灯り。 まるで小さな命のように揺れる光が、廊下の先にふわりと浮かんでいた。
最初は蝋燭の灯りかと思った。だが、違う。
(……狐火?)
まさか、と思うより早く、その灯りの傍に人影が現れる。
「やぁ、お嬢さん。夜のお散歩かい?」
そこにいたのは、どこか懐かしい笑みを浮かべた琥珀色の瞳の男だった。
「っ……紅哉、さん……?」
「お?いい顔してるじゃねえか。……なんつーか、ちょっとだけ"人間"くさくなった?」
名を呼ぶと、彼は軽く手を上げて笑った。
「久しぶり、ってほどでもねぇか? でもさ。そろそろ、こっちの世界も覗いてみたくなったんじゃねえの?」
「……こっち?」
「"ほんとのこと"が転がってるとこ」
紅哉は軽くウィンクしながら、廊下を指差した。
「寄り道すんなら今だけだぜ。夜市の扉は、気まぐれにしか開かねぇからさ。……閉じたら、二度と行けないこともあるし、な。どぉ?いく?」
紅哉の指差す先には、ただの見慣れた廊下が広がっているように見えた。
……なのに、そこにふと、どこか現実とは異なる"気配"を感じた気がして——
澪奈は、ほんの一瞬だけ迷った。
けれど、
その胸の奥で、また小さな"音"が鳴った気がして——
「……いきます。連れて行ってください」
思わず、その言葉が口から出ていた。
紅哉は目を細め、軽やかに背を向けた、が
「ん。」
すぐに立ち止まると、気まぐれに手を差し出した。
澪奈が思わず首を傾げると、
「ん?今日は手つながなくていーのかなって」
紅哉がにやりと笑って言う。
「……っ。大丈夫です!」
思わず言い返すと、
(ふはっ。耳真っ赤。)
紅哉が目を細めた後、今度は真面目な声で言う。
「うそうそ。ただ、夜市につくまではちょっとはぐれやすいからさ。手でも腕でもいいから捕まっててくんねぇ?ちゃんと連れて行くからさ」
「……………。はい。」
そっと腕を掴む。
そうして彼の赤い背が、灯りの向こうへと歩き出す。
澪奈はその背に並ぶように歩き出した。
胸の奥の"穴"が、ほんの少しだけ温もりを帯びた気がした。




