第21話 彼女の素顔(切り離されたその先に)
「"綺麗に整えられた世界"って、いいと思わない?」
それは、笑顔の仮面を被った――確かな"狂気"だった。
「……けれど、あなたはまだそれに触れようとしている。……不思議な人ね」
その声は、どこか優しくて——それでも、冷たかった。
言いながら、くるりと踵を返す。
「さて、澪奈様は帰るところ、でしたよね?
先程妖怪もでたばかりで、いつもの一般通路もまだ封鎖されていますし、出口までお送りしますわ。」
ふわりと笑う彼女に、澪奈はどこか言葉を失った。
(印象が、変わる……)
少しラフでほんのり狂気を感じさせる先程までの彼女と、最初に出会った時のように丁寧な彼女。まるで"仮面"をつけたかのよう。
「本日は何をしていたんですか?木の隊で診察でしょうか?」
歩きながら、戒音が話し出す。
「……今日は、資料を見させて頂いていて――」
「"喰われた者"たちの記録、ですよね?」
「……!」
「紡生が申請していたのを、聞いていました。あなたが読んでみたいと、強く望んだって」
くす、と微笑んで、戒音は言葉を続ける。
「どうでした? あの記録は、美しかったかしら?」
「……美しい、というより……苦しくて、怖くて……」
澪奈の言葉に、戒音はふぅんと目を細めた。
「……ねぇ、澪奈様。あなたは、壊れたものを戻したいって思う?」
「……戻せるものなら。私、自分の中に空白があると知ってから、ずっとそれを……」
そう言葉にする澪奈を戒音はじっと見つめる。
「……そう。……でも、私はね、戻すことが必ずしも正しいとは思ってないのよ」
彼女の口調は穏やかだった。 けれど、その瞳の奥にはどこか凍るような光が宿っていた。
「壊れた器は、元には戻らない。繋いでも、穴は残る。……それなら、"新しく作り直した方が美しい"と思わない?」
「……え?」
彼女の表情は笑顔、なのに、目が、笑ってない。
「たとえば感情でも、記憶でも。"もう要らない"と思うなら、切り離せばいい。いらない痛みを抱え続ける必要なんて、どこにもないんだから」
ふっと、風が吹いた。 銀髪がなびき、戒音の紅の瞳が澪奈をまっすぐ射抜く。
「私ね、昔……どうしても切れなかった"痛み"があったの。でも、それを切り落としたら、すっごく楽になったのよ」
「楽に……?」
「ええ。"それでよかった"って、思ったわ。……その記憶が、思い出せないことも含めてね」
微笑むその顔が、どこか寂しげに見えた。
(思い出せない……? 記憶を、自分で……?)
「でもね、澪奈様。あなたは取り戻したいんでしょう? ……失ったものを、もう一度、抱きしめたいと思ってる。だから、たぶん――私とは違うのね」
その言葉に、澪奈の胸が僅かに疼く。
「……それは、間違いでしょうか?」
「さぁ? でもね、私、今はまだ"その姿"のあなたが嫌いじゃないわ。とっても、綺麗だし。壊れかけの硝子みたいで」
くすりと笑い、戒音は一歩近づいた。
「でも。もし、澪奈様の中でその"空白"が膨らんで、あなた自身を壊し始めたら――」
その手が、すっと澪奈の頬を撫でる。
「そのときは、私が整えてあげる。綺麗に、整った形にしてあげるわ」
そう囁く声は、柔らかくて優しいのに、底知れぬ狂気を孕んでいた。
「着きましたね。……それじゃ、またどこかで。お話できて、嬉しかったですわ。お気をつけて」
そう言って戒音は一礼すると、軽やかに背を向けて歩き出した。
その背を見送る澪奈は、心の奥に生まれた微かな震えを、ただ黙って受け止めていた。
(あの人の言葉は、どこか危うい。けれど……)
——美しく整えてあげる。
その響きは、どこかで"救い"のようにも聞こえてしまった。
けれど同時に、確かに感じた。 あの笑顔の奥に、何か大切なものを切り捨ててしまった人間の、静かな哀しみを。
それが何だったのか、今はまだ澪奈には分からなかった。
そして今日、また一つ目の当たりにした事実。
切るという処置。
空白を切り捨てるという救い。
本当にそれで"助けた"と言えるのだろうか。
……私にとっての"救い"とは、なんなのだろうか。
澪奈の胸に、またひとつ、問いが芽吹いていた。




