第19話 器の記録
あの事件のあと、
澪奈の中には一つの疑問が残り続けていた。
(本当に、助ける方法はなかったの……?
"喰われた者"は、みんなああして焼かれてしまうの……?)
火の隊が掲げる"暴走=焼却"という正義。
それが"正しさ"だと分かっていても、どこかで割り切れなかった。
——なぜ彼は、あんなふうに壊れたのか。
——彼に何があったのか。
確かめなければならない気がした。
翌日。 澪奈は再び、木の隊を訪れていた。
「……澪奈、さん?今日は診察日ではなかったですよね。どうされました?」
応対してくれた紡生に、静かに問いかける。
「……"喰われた者"に関する記録を、見せていただくことは……できますか?」
紡生は少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「……昨日の件を見て、ですね?」
「……はい。あの人が、"なぜああなってしまったのか"、それと"器の処置について"知りたいんです」
「本来は、関係者や担当隊員以外には閲覧許可が下りにくい資料です。ただ、あなたの状態と、今回の一件を鑑みて——"関係者の立場"として認めるよう、私から申請をかけてみましょう。次の診察予定日に閲覧出来るように動いてみますね」
「っ。ありがとうございます!」
* * *
診察日を翌日に控えた夜。
澪奈は寝室で横になったものの、なかなか寝付けなかった。
火の隊による"焼却"の処置を目の当たりにしたあの日のことを思い出す。
——"喰われたら、終わり"。
その言葉が頭から離れない。
処置を受けていた男の、あの虚ろな瞳。燃やされた器。最後に響いた声。
(……助けて)
たとえ記録上「処置」と呼ばれても、澪奈の中には、確かに"死"のような感触が残っていた。
そして——あの時、焔烈に向けられた言葉。
「お前も……あの器と似てるよな。喰われた痕がある。なら、そっちも——」
——私も、いずれ。
そんな不安が心の奥で芽を出していた。
* * *
診察日。
「先日ご依頼いただいた件についてですが、無事許可が降りましたよ。」
器の穴は今日も変わらず。
経過観察の診察を終えたあと、紡生がそう報告してくれた。
「ですが……重い内容になります。無理に全部を見る必要はありません。途中でやめたくなったら、すぐ言ってください」
「……分かりました」
澪奈が案内されたのは、五行部隊の記録保管庫の一角。通称"静室"。
厳重な鍵のついた扉を抜けた先にあるその部屋には、整然と並んだ木製の棚が並んでいた。
部屋の隅には、閲覧用の机と椅子がひとつ。 淡い灯りの魔法灯が、静かに澪奈の姿を照らす。
差し出された数冊の資料。
表紙には簡素なタイトル。
『精神崩壊 事例 第六-暁』『器異常報告:S区南・紅影事件』『焼却処置記録 抜粋・年月日』
澪奈は、そのうちの一冊をゆっくりと開いた。
そこに綴られていたのは、感情を喰われた者たちの"末路"だった。
——「対象者、記憶喪失を伴う人格崩壊あり。対話による回復試行に失敗。封印試行(土の隊)」 ——「心の器、完全損傷。器に黒染現象。再構築不可と判断。金の隊にて切断対応。」 ——「暴走前兆確認。火の隊により処置(焼却)済」
ひとつ、またひとつと事例を追ううちに、澪奈の指が震えていく。
その中に、"紡ぐ治療"を施された幼い少女の記録もあった。
"兄を喰われた"ことがきっかけで自ら感情を差し出し、数日後に器が崩壊した少女。 「微笑んだまま、声を発さなくなった」という記述と、絵のように描かれた器の"空白"。
それを見た瞬間、澪奈の指がぴたりと止まった。
描かれているその器の形と、澪奈自身が"視た"自分の器。
それが、あまりにも酷似していた。
——まるで、同じ図面をなぞったような。
(……これ、私……?いや、でもそんな、はずは)
"紡ぐ治療"により器の損傷は回復。「少女は声を発せられるように。日常生活に支障なし。」但し、心の器の形はもとに戻ったが"空白"だけが戻らなかった。
自ら差し出した影響によるものと思われる。
本人の意志が関係するのではないか。
(……返ってきたように見えても、戻ってきたわけじゃない)
形は似ていても、空白はそのまま。
(私の"中"も、同じように……このまま、戻らないままになるの……?)
その時ふと、ページの端に整った字で添えられた言葉が目に入った。
——『空白が確認できたため封印する』
——『例外は、ない』
ぞくり、と背筋が冷えた。
(私も、いずれ……)
意識せずに、心がそう囁いてくる。
それでも澪奈は、最後まで読み進めた。
記録の巻末には、執筆者と隊の記載がある。
何冊か読んでみると、覚えのある名前と、共通した名前が記憶に残る。
『記録主:紡生(木の隊)』 『監修:律貴(土の隊)』
『記録主:炎嗣(火の隊)』 『監修:巌道(土の隊)』
………
監修は全て、土の隊……?
冷徹な記述に共通していたのは
——「管理と排除」
それは、彼らの"正義"なのだろうか。
そのまま机に項垂れていると、扉の外から小さな気配が近づいてきた。
「……ご気分、大丈夫ですか?」
振り向くと、資料室の管理者らしき隊員が心配そうに声をかけていた。
「……ええ、大丈夫です。……少し、考えていただけです」
立ち上がると、足が少しだけ震えていた。 でも、澪奈は深く息を吸った。
静室を出るとき、澪奈は静かに鞄を持ち上げた。
その中には、自室から持ってきた一冊の日記が入っていた。
読むつもりはなかったけれど、なんとなく手放せなかった。
まるで、記録と記憶をつなぐ、細い糸のように。
先程読んだ記録は、確かに"事実"だった。 そして、いつか自分にも起こりうることなのだと。
胸の中に、"終わり"という文字が、ゆっくりと刻まれていく。
でも同時に、心のどこかで——
(本当に、すべてがこうなるのだろうか)
そんな小さな反発のような気持ちが、微かに灯っていた。
(……みんな、苦しんでた)
ただ壊れていったのではない。
皆、最後まで何かに抗い、縋ろうとしていたことが、文字の隙間から伝わってくる。
(……器を"喰われた"ら、本当にそれだけで終わりなの……?)
(……あの日、男の人は、その器は、助けてって言ってた。燃やしたあとは、聞こえなくなった。あれは、助かったの?本当に、他に方法は無い、の?)
静かな廊下を出ると、冬の風が吹き抜けた。
胸の奥で、小さく音が鳴った気がした。
——それは、裂ける音か。 それとも、始まりの音か。
澪奈には、まだ分からなかった。




