第八話 白昼の告白
昭和のいつか。どこかの次元にある大陸。季節は乾季。
「起きて! た・か・は・る!」
「おわあっ」
「いつまで寝てるの」
「耳元で大声出すなよ、翠」
異界の宿屋でも叩き起こされる俺。
もっと寝かせろ。俺は惰眠を貪りたいんだ。
翠は昨日買った服をもう着こなしている。うむ。似合うじゃねぇか。
「外が結構な騒ぎなの」
「え……あ、黒瀬達は?」
「何があったかを調べに瑛子さんと出て行ったよ。黒瀬君は『隆晴は寝かせとけばいい』って言ったけど、いつまでも寝てるんだもん」
「そうか」
窓から通りを見てみると、確かに多くの人が、只事ならぬ雰囲気で行き来していた。
お、翠が変化した姿みたいに手足が毛で覆われてる人もいるな。万が一、ここで翠が変身しても目立たなくていいや。
「ほら、ぼっとしてないで、顔洗ってきて。階段降りて右のドア出たところに井戸があるから」
タオル代わりの布を渡される。
「はいよ」
井戸のそばにはこれまた変わった見た目の男女がいた。
どっちも背中からまるで牛のツノみたいなのが二本生えてる。目は猫っぽい。
「姫巫女に何かあったらしい」
「あたい達の商売どころじゃないね」
「まだ市場が開かれるかはわからない。焦って動くこともないさ」
「そうね」
二人のそんな会話を聞きつつ、俺は顔を洗う。冷たい水が気持ちいいけど……腹壊しそうなので飲むのはやめとく。
東南アジアへ年に数回出張に行く親父が、海外で生水飲んだら必ず下痢するって言ってたし。
部屋へ戻ると黒瀬達が帰っていた。
「あれ? なんで下ですれ違わなかった?」
「瑛子の力だよ。忘れたか」
ああ……テレポート出来るんだったな。
ほんと便利だ。羨ましい。翠も出来るのかな? 俺の視線に気付いたのか翠は黙って首を振る。出来ないのか。残念。
「山下、工藤。今の時点でわかってるのは姫巫女に何かあったらしいということだ」
「あ、さっき井戸端で他の宿泊客も話してた」
「ここに泊まってるのは商売人ばかりだろうしな。情報が早い。で、瑛子とあの神殿の中を見てきたが、恐らく姫巫女って奴は死んだと思う」
「そうなのか」
「右往左往している奴らの中で、地位の高そうなおっさんの会話を拾ったから。多分間違いない」
「そうなると?」
「わからんが、どうするかはジャバが決めるさ」
噂をすれば影。ジャバがやってきた。
「よう、起きてたか。朝飯の時間だぞ」
「ジャバ、そんな呑気にしてていいのか」
「レミとマキが聞き込みに出てるから任しときゃいいさ。あいつら耳はすごくいいんだぜ」
あの二人、頭の横にある長い耳が常にピクピク動いてたもんな。
「ならいいか。山下、行こう」
朝食はバイキング形式。すごくでかい中華鍋みたいなのに色々な食べものが盛られている。それが幾つも並んでて、各々が好きなもの取っていくわけだ。
「隆晴、取りすぎじゃない?」
「何があるかわからない時は食えるだけ食え。親父の口癖だ」
「ヤマシタのオヤジさんは良いこと言う。その通りだぞ。特に子どもはたくさん食べておけ」
「もう十七歳だ。子どもじゃない」
「ヤマシタ、自分で金を稼げないうちは子どもだ」
「ぐぅ」
黒瀬達と翠はジャバの護衛をして、尚且つ黒瀬は何かすごい剣を出してみせた。……今の俺って翠のヒモだ。
「山下、気にするな。普通の高校生はそれが当たり前。ましてやここ日本じゃないし」
「そりゃそうだけど」
おい黒瀬。お前も人の考えを読めるのかよ。
「隆晴は私が食べさせるから心配しないで」
「翠、そのセリフ、ますます俺がヒモっぽいじゃねぇか」
「くくく」
「笑うな黒瀬。黒瀬妹もニヤつくな」
「黒瀬妹じゃなく瑛子です。そう呼んでください」
「……瑛子さん?」
「急ぎの時、呼称は短い方がいいので。瑛子、と」
「……え、それいくらなんでも馴れ馴れしすぎない?」
「構いませんよ。私からのお願いです」
「わかった」
食事が終わった頃、ケンタウロスの二人が帰ってきた。
ジャバと小声でやり取りしたかと思うと、また宿の外へ向かう。
「よし。商売は出来そうだ。クロセ達はどうする? ここは治安はいいから、護衛はしなくていい」
「そうか? ならぶらぶらしてみるよ」
で、今俺たちは神の都の市場を歩いてるんだが。
「黒瀬、何かすることがあるんだろう?」
「山下、お前達は市場を見て回るといいさ。ほいっと」
黒瀬に袋を渡される。
「金だよ。何かあったら買えばいい」
「黒瀬達はどうするんだ?」
「あの神殿、瑛子でも視えない場所があるらしくてな、行ってみる」
「おいっ。大丈夫なのか?」
「心配してくれるか。大丈夫。俺も瑛子もヘマはしないさ」
「……まぁそうなんだろうが」
「山下、お前を巻き込んですまないと思ってる。これは本心だ。常にお前たちのことも瑛子が視てるから、安心してデートしてこい」
「なっ、デ、デートって」
「じゃあな」
その瞬間、黒瀬達の姿が消えた。
ふん。
「おい翠、何ニヤニヤしてるんだよ」
「だって嬉しいもん」
そう言いながら俺の腕に絡みつく。柔らかい感触。
「や、やめろって。見られたらまた噂が立つだろ」
「誰に?」
「あ……」
そうだ。ここは異界の地。俺たちを知る者はジャバ達以外にはいない。
「さっ! 色々見に行こうよ。あ、いざとなったら隆晴を守るから。私がもそこそこ戦えるよ」
「俺のプライドが……」
「ほら、早く」
露店がずらっと並んだ大きな通り。俺は金物屋みたいな店を見つけ、物色を始める。旅をするにしても、最低限自衛するのに必要だと思い小型のナイフ、それを収めるベルト付きのシースを買った。髭も伸び始めてるしな。ナイフで上手く剃れるかわからんけど。それとリュックを買った。
翠はアクセサリーに夢中だ。女子はこれだから。
「隆晴、このブレスレット、お揃いにしよ?」
「お前……どんどん大胆になるな」
すると耳元に顔を寄せ、翠は囁く。
「あのね、瑛子さんの家で手当てされた時、匂いで何でもわかる人がいたんだ」
「あぁ、他に何人かいたんだったな」
佐藤優子以外にも仲間がいると黒瀬は言ってた。
「その人がね『大丈夫。彼もあなたのことが好きよ』って教えてくれたの」
「なっ!」
あれか?
黒瀬の仲間は人のプライベートを暴くのか!
「正確にはね、『彼はあなたのことをすごく心配しているよ。そこに嫌悪感は一切ない。ひたすらあなたの身を案じているから』って」
テレパシー能力には勝てねぇ。
「その人は人が発する匂いで何でもわかるんだって」
「ぐぅ」
なんで匂いでそこもでわかるんだよ!
「嬉しかった。隆晴は私の姿を見たのに。もっと言うと操られていたとは言え、隆晴を危ない目に合わせようとしてたのに」
俯く翠。腕に力が込められる。
「子猫の時、助けてくれた恩人だってずっと思ってたけど、隆晴と暮らすようになってどんどん気持ちが高まって……」
もう開き直るぞ俺。
「わかったよ、翠。お前は俺のこと好きなんだな」
「……うん」
「そうか。俺もだ」
俺の顔は今赤いと思う。熱いんだ。いいさ。ここは異界だ。気にするのはやめだ。
「私は猫なんだよ。それでもいい?」
「夜な夜な行燈の油を舐めなきゃいい」
「何それ?」
「知らないのか? 化け猫はそうするんだって」
「私、化け猫じゃないよ!」
「違うのか?」
「あれは人の怨念が猫の形をとったものだよ」
「ほんとにいるのか……」
「ずっと昔はね。おばあちゃんに聞いたことある。今は酷いことされる人が少なくなったから」
昔は理不尽に殺される人が今よりもずっと多かったんだろう。
二人お揃いのブレスレット。革製でキラキラと光る石が埋め込まれている。
露天のばあさんがニコニコして、
「若いのにお目が高いね。それには高位の魔導が仕込まれててね、互いのことがある程度伝わるようになってるのさ。恋人にはお似合いだ」
と言いやがった。うごご。恥ずかしい。
「隆晴、つけてくれる?」
「あ、ああ」
翠の細い手首にブレスレットを巻き付ける。
「隆晴にも、ほら」
お返しにとばかりに、翠が俺の左手首に巻いてくれた。
「おお、お二人さん、イチャイチャがすごくなってるじゃないか」
「黒瀬? もう戻ったのか」
「ああ。用は済んだ。それにしてもお揃いのブレスレットとはねぇ」
「……!」
「山下さん、それ互いのことがある程度わかるものですよ」
「あ、そうだ。売ってたばあさんも言ってたよ」
「良い買い物したな。さて俺らも混ぜてくれ。市場を見て回ろうぜ」
こうして昼まで俺たち四人は、祭りを楽しむかのように市場を歩き回った。