第三話 もう平凡じゃない高校生活へ
昭和のいつか。どこかの街にある公園。季節は春。
「お兄ちゃん、ここで話すの? この人たちの介抱もしなきゃいけないから……」
「そうだな。家がいいな。山下、来てもらうぞ」
「黒瀬の家か」
言うが早いか、俺はいつの間にか広い和室にいた。
「おい黒瀬、さっきもだが、この瞬間移動は何だ?」
「瑛子の権能さ。便利だろう?」
黒瀬は笑いながら答える。
「権能って?」
「超能力みたいなもんだと思えばいい。まぁ座れ」
気がつくとさっきまで何もなかった場所に、座卓と座布団、おまけにお茶に和菓子までがそこにあった。
「お前の妹は魔女か……」
黒瀬の妹を見る。
「山下さん、それも説明しますから座ってください」
妹の方も笑顔だ。
俺はどうでもよくなり、とりあえず座る。
「じゃお兄ちゃん、私は佐藤さんと一緒にあの人たちを診てくるね」
「工藤は?」
「由香里に拘束してもらってる」
「翠もいるのか?」
「ええ。それも含めてお兄ちゃんから聞いてください」
そう言いながら黒瀬の妹は部屋を出て行った。
それを見送り、さっきの質問に答えることにした。
「五年前の事件って言ったな? あれだろ? 地盤沈下で高校が埋もれたやつ」
「そうだ。あれがきっかけで色々あって俺は巻き込まれて今ここにいる」
「巻き込まれた?」
「五年前、俺はその高校に通ってたから」
おい待て。
「五年前だよな? 黒瀬、お前今いくつだ?」
「俺の身体は十七歳のままで止まってるんだ。だから十七歳だと言えるぞ。それをこれから説明する」
じっと俺を見つめる黒瀬。
「山下、俺はお前を友達だと思ってる」
「いきなり何だよ……あらたまって……」
「お前はな、俺をこの世に繋ぎ止めてくれる大切な存在なんだ」
真剣な黒瀬に俺は気圧されるも、俺は頭が次第に冷静になっていくのがわかった。
「じゃ説明してくれ」
「ああ。その為にここへ来てもらったんだしな」
黒瀬の語った内容はまるで小説か映画みたいなものだった。異界で悪魔のような神に仕えていた女、そいつがこの現代日本に生まれ変わった。
その女が生徒や街の人の命を捧げて、地球どころか太陽系、銀河系まで支配するという神を召喚しようとしたが、黒瀬兄妹や佐藤、他の協力者と一緒に辛うじて阻止した、と。
「だが完全じゃなかった。奴、異界の神エレボスはその一部をこっち側に放ったのさ。大半は始末したけど取りこぼしがいた。工藤に取り憑いたのもそのひとつ」
「翠に?」
「言っておくが、お前に工藤翠という幼馴染はいない」
「はっ? 何言ってる?」
黒瀬が言ったこと、言葉はわかるが理解が出来ない。
「お前や周囲の人間の記憶を弄って“工藤翠”を名乗って入り込んでいたんだ」
「そ、そんな」
──待てよ。
不意に疑問が浮かぶ。
俺はあいつと出会ったのはいつだ?
幼稚園に入る前からずっと一緒だった……はずなのに、今思い出そうとしても昔の記憶のどこにも翠がいない。
「もうあいつの術は解けてるからな。お前は工藤のことを覚えてないはずだ」
「そんな……」
「あいつがお前に仕掛けたのは二ヶ月前」
「……翠は何者なんだ」
「あれは猫だ。人の社会に紛れて暮らしてるのもいるが、本来は野山にいるし、今の時代は人間にちょっかいもかけない」
黒瀬によると俺たちが住むこの日本には、猫や狐、イタチなど様々な存在が人と同じように暮らしてるという。
「あとは本人に聞くしかないが、工藤はお前に目をつけた。先にクラスメイトの何人かを傀儡にして、異界の神・エレボスの召喚に繋げようとしてた」
立ち上がる黒瀬。
「彼女に直接聞こう」
黒瀬が襖を開けると、翠が佐藤優子と黒瀬の妹に付き添われ入って来た。
さっきのような怪物じみた姿じゃなく、いつもの翠だ。
「瑛子ちゃんが取り除いたからもう大丈夫よ」
「佐藤さんもお疲れ様」
「後でお願いね?」
「もちろんだ」
黒瀬と佐藤優子。仲間だったんだな。
俺は翠に近寄る。
ビクッと肩を振るわせる彼女。
「なあ翠、お前は人間じゃないんだな。お前の口から聞きたい」
「……うん。黒瀬君が言った通り。私は猫なんだ」
「何を、何がしたかったんだよ」
「あ、あのね。覚えてないんだろうけど、私は子猫の頃に救われたんだよ、隆晴に」
「俺が?」
そんなこと言われてもさっぱりわからない。
「隆晴がまだ幼稚園に通ってた頃だよ。子猫だった私は野良犬に襲われてた。その時『あっち行けー』って隆晴が棒を振り回して来てくれた」
そんなことしたのか、俺。
「隆晴が必死になって野良犬を追い払ってくれて。私は助けられたの、君に」
野山に暮らす猫達も人間と一切関わらずにはいられないので、人間社会のことを学ぶ為に姿を人に変えて街に暮らすのだと言う。
「人の街に入るちょっと前、私の中に何かが入って来たの」
それから翠は『神エレボスをこの世に招く』ことで頭がいっぱいになったそうだ。
「わ、私、隆晴に恩を返さなきゃいけないのに、ううん、隆晴のこと好きなのに。隆晴を召喚の生贄にしようとずっとそればかり考えるようになって」
俯く翠
両の目からは涙が溢れている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「山下、俺がさっき言ったエレボスの一部ってのは、人を操るんだ。この世に来る為、その儀式を行うよう誘導される。工藤は操られていたわけだ」
「黒瀬……」
「俺は五年前、工藤のように操られた猫によって殺された」
「えっ?!」
「けどな、瑛子に助けられた。とは言っても生き返ったわけじゃなく、どうにかこの世にとどまれる、あやふやな存在としてだけど。だから歳はとらない」
「……」
黒瀬の話が突然すぎて頭に入らない。
「俺は政府に雇われてる身でな、こうやってエレボスの残した残滓を始末して回るのが仕事」
「……そうだったんだ」
「工藤に取り憑いてたものは瑛子が取り除いた。あとはお前たちで何とかしてくれ。俺たちが手を出す範囲のことじゃないから」
「な、なにを」
黒瀬……。
「またこの街に来ることもあるかもしれん。その時にはまた会ってくれよ?さっきも言ったが、お前のことは友人だと思ってるから」
今思い出したよ、
お前と佐藤優子は二年の時に転校してきたんだったな。
「楽しかったぜ? お前との高校生活は」
初めて見る表情の黒瀬は、嬉しそうなんだがどこか寂しげだったのをよく覚えている。
「瑛子は実の妹じゃない。黒瀬家の養子だ。山下には教えておくぞ、俺の本当の名前。◯◯って言うんだ」
聞こえているが頭に入らないその名前。
「いいんだ。俺の名前は消えたらしい。けどお前が俺のことを覚えていてくれるだけで、俺はこの世にとどまれる。今後も頼むよ、山下」
気がつくと夕陽が差し込む教室に、翠と二人きりになっていた。
「隆晴……」
「翠、お前の気持ちはさっき聞いたけど、俺は正直まだわけがわからない」
「そうだよね……」
正体が猫だって聞かされて、はいそうですかってならない。
「佐藤も黒瀬の妹も何者なんだ」
「……佐藤さんは吸血鬼だよ。それと瑛子さんは神様なんだ」
「えっ?」
翠が猫だってだけでも驚きなのに。
「たくさんのね、あちこちに色んな神様がいるけど瑛子さんはあの街を守護しているの」
「そうなのか……だから瞬間移動とか、黒瀬を死なせなかったり出来たんだな」
「あの家には他にも女の子がいたよ。自己紹介もされてね、私と同じ猫の人、イタチの子、狐の人、それからよくわかんない宇宙から来たって子や、鬼の人もいたんだ」
「おいおい、百鬼夜行じゃないかよ」
人間じゃない女子だらけ。
「人が知らないだけで、たくさんいるんだよ」
「そう……だな。翠だって猫だし」
「……うん。本当にごめんなさい。私、隆晴に」
「それはもういいよ。お前が望んでやったわけじゃないんだろう?」
「そうだよ! でも隆晴は優しいね。黒瀬君が言ってたんだ。『あいつは俺と同じでお前が猫だろうと拒絶はしないだろう』って」
黒瀬、そんなこと言ったのかよ。
くそっ。お見通しか。
「それはまあいい。とりあえずさ、帰ろう」
「う、うん」
翠が実は人間じゃなく猫だったなんて些細なことに思えるぐらい、色んなことに驚き過ぎた。
そっと俺の手を握る翠。
昨日までの俺なら『人に見られたらどうすんだ。離せ』と言っただろう。
でも今はそんな気分じゃないんだ。