第十話 式前夜は眠れない
昭和のいつか。どこかの次元にある大陸。季節は乾季。
「お前、工藤とここで結婚式を挙げてくれ」
突如飛ばされた異界で黒瀬が俺にこう言った。
「はあっ?!」
「…………」
翠、顔が真っ赤だぞ。
「と言っても、形だけ、芝居だけどな」
「ちゃんと説明しろ!」
翠、お前ニヤけてるぞ、おい。
「日本へ戻るには、瑛子の力と転移術式が可能な場所、それを知る神職者が必要なんだ」
「なるほど。さっぱりわからんが」
要はエネルギーと装置とオペレーター?
「その為には、あの黒い大神殿に入る必要がある。その為に山下、お前は工藤と結婚することにして潜り込むんだ、俺たちと」
「なな」
変な返ししか出来なくなる俺。
翠はそっと俺に腕を絡めてくる。
「隆晴、お芝居だよ。やろう?」
「翠……お前なんで嬉しそうなんだよ」
「お芝居でも嬉しいもん……」
黒瀬の妹、瑛子もうっすら笑ってるじゃねぇか!
「黒瀬、それしか方法はないんだな?」
「そうだ」
「面白がってるわけじゃないんだな?」
「当たり前だ……くくっ」
黒瀬は俯いて肩を震わせているんだが。
「真面目な話、ここじゃ結婚式というのは神に認めてもらう儀式なんだ。だからこの大陸に住む人間は必ずここを訪れて式をあげる」
「全員か」
「その通り。あの神殿は唯一にして絶対だそうだ」
大した宗教だな、おい。地球みたいに枝分かれせず、単一宗教が成り立ってるのか。
「昨日と今日、瑛子と調べたんだ。式には必ずあの神が干渉する」
「干渉?」
「ああ。新郎新婦の遺伝子に、な」
「遺伝子?」
選択科目で生物を選んだ俺は授業で習った内容を思い出す。
「やつが是とするのはカオス、混沌。生まれてくる子どもは、高確率で両親とは違う特徴を持って生まれる」
俺はここで見かけたありとあらゆる異形の人々を思い浮かべる。
ジャバの従業員、ケンタウロスのレミとマキ。
額からツノが生えてるやつ。
耳が尖ってるやつ。
直立歩行のウサギみたいなの。
蔦で体が覆われてる植物っぽいの。
カニやエビみたいな甲羅のあるやつ。
やたらデカい雪男みたいなの。
宿の洗い場で出会った背中からまるで牛のツノみたいなのが二本生えてて、目は猫っぽい二人。
逆になんの特徴もないのは俺たちとジャバぐらいなもんだ。
そうか。
あの神はそういうことするんだ。
「ここで見た色んな人たち、皆その神とやらに弄られたってわけか」
「私からすると許せません」
瑛子が無表情で言う。けど怒ってるのはわかる。
「瑛子、抑えろ」
「……うん」
「山下、工藤、式について説明しとく」
黒瀬から結婚式の流れについて解説され、その後俺と翠の設定も教えられた。
「敵対する家同士の二人ねぇ。ロミオとジュリエットかよ」
「それをネタにしたんだ」
俺と翠が挙げる式の参列者が黒瀬たちしかいないことの理由付け。
「誓いのキスとかなくて助かったわ」
「……隆晴、いやなの?」
「ばっ、違う違う! 芝居なのもあるけどな、黒瀬や他の人間がいる前でってのは抵抗あるだろ」
ファーストキスを人に見られながらなんて死んでもごめんだ。やるなら……。
「二人きりならいいんだ……」
「ま、まて翠!」
想像してしまったじゃねぇか!
「くくくっ。席を外そうか?」
「やめろ黒瀬。瑛子もニヤニヤするな」
「してませんよ?」
どうにも調子が狂うよな。
「それはそうと黒瀬、危険はあるのか?」
「ないさ。俺と瑛子がお前たちの安全は保証する」
そう言ったかと思うと、黒瀬が手を動かす。
おい。
黒瀬は何もない空間から木刀を取り出して構える。
「そ、それ」
「見てろ」
黒瀬が手のひらでなぞっていくと、木刀が光を帯び始める。
「瑛子の力を内包するんだ、これは」
「なんか凄そうだな……」
「いざという時にはこれを使うさ。だから安心しろ」
「あ、ああ。その辺は頼む。俺だけ至って普通の人間だからな」
「私も守るから」
翠が俺を抱きしめてきた。
「ちょ、おい翠」
柔らかいものが当たってる!
「ほんとだよ。隆晴は私が絶対守るよ」
「……」
本当は俺がと言いたけどな。虚勢を張っても仕方ないか。
「イチャイチャするのは日本に帰ってからにしてくれ」
慌てて翠を引き剥がす。
「してねぇよ!」
「くくくっ。お前たちお似合いだよ。これは本心だ」
「ほっとけ」
「お兄ちゃん、山下さんをからかい過ぎ」
「からかってるんじゃない。嬉しいのさ」
「そうなの?」
「瑛子、俺は工藤を受け入れた山下と友人で良かったと心底思う」
なんだ黒瀬。気色悪いぞ。
「だからさ、工藤を大事にしろよ?」
「言われなくても……ごにょごにょ」
その夜。
掛布の中で翠が俺に抱きつくように寝るのには困った。
心の中で日本史の年号を必死でなぞり、理性を保っていた俺。なかなか眠れなかった。
こんなに早く日本へ戻れるなんて思っても見なかったから、その嬉しさもあったと思う。
翌日、十七年の人生で一番と言えるほど怖い経験をするとは知らずに、俺は安らかな眠りについた。




