煙草の自販機
小さい頃、近所にたばこ屋があった。
じいちゃんが煙草を買いに行くときには、よく一緒にくっついて行った。
店に並んだ、色とりどりの煙草の小箱を見てるのが好きだったんだと思う。
じいちゃんにプレゼントしたくて、お小遣いを握りしめて、ひとりでたばこ屋へ買いに行ったこともある。
たばこ屋のばあちゃんは、にこにこしながら売ってくれた。
もちろん年齢確認なんてしない。
なんてったって僕は誰がどう見ても、煙草なんて絶対に吸うわけがない、れっきとした小学生だったから。
酒は飲んでたけど煙草は吸わなかった。
だから後ろめたさなんか全然ない。
堂々と煙草を手に持って、堂々と家に帰っていた。えっへん。どうだ。すごいだろ。
じいちゃんが吸ってたのは、オレンジの小さい箱のやつだった。
僕はもっとかっこよくておしゃれな箱のやつを吸って欲しかったけど、これがいいんだと言って、じいちゃんはずっと同じ煙草を吸っていた。最後まで浮気せず、いつだって同じ煙草を吸い続けていた。
その点僕は浮気性で、煙草の銘柄は取っ替え引っ替えしてたし、いろんなやつからもらい煙草をしてばっかりいた。
吸えれば何でもよかった。
そんなんだから結局、最後までお気に入りの銘柄は見つからなくて、じいちゃんみたいな『俺のいつもの煙草』ってやつは決められなかった。
僕が初めて煙草を吸ったのは高校生のときだった。
どうして吸おうとしたのかは覚えてない。
でも、むしゃくしゃしてたのは覚えている。たぶん、すごく嫌なことがあったんだと思う。
意を決して、パジャマの上ににパーカーを羽織って外に出た。
いちいち着替えて外出してるのを家族に見つかるわけにはいかない。
どうかご近所さんに会いませんように。
そう願いながら、人生で一番緊張する夜の散歩へ出かけた。散歩とは名ばかりで、気分は完全に泥棒だったけど。
目的地は数百メートル先の十字路角の自販機ゾーン。
まずは隠蔽工作用のジュースを物色するふりをしながら周囲の様子をうかがう。
人が近くにいないことを確認しつつ、隣の自販機で煙草を買った。
メンソールの入った軽いやつだったと思う。無難な初心者チョイスだった。
速攻で手に入れたヤバいブツをパーカーのポケットにしまい、囮のジュースはあえて目立つように手に持った。
誰にも見つかることなく無事帰還成功。
そのまま足音をなるべく立てないようにしつつ、家の仏壇からマッチを拝借。
ついでにじいちゃんの写真に手を合わせてから、自分の部屋に戻って火をつけた。
ミッションクリアだ。
隠密作戦のスリル。
無事に任務をクリアした達成感。
部屋で静かに煙草の封を開けながら、少しだけ自分が大人になったような気がしたのを覚えている。
ひとり部屋で吸った初めての煙草は、おいしくなかったけどおいしかった。
達成感をかみしめながら、ゆっくり煙を味わった。
もちろん自室の扉はすぐに開かないようにトラップも仕込み済み。その点は抜かりない。
ずっと感じていた不愉快な気持ちは、いつの間にかすっかり消失していた。
きっと煙草を買おうと決心して部屋を出たときから、僕の機嫌は直っていたんだと思う。
未成年者に喫煙をさせたくないからなのだろうけど、金さえ突っ込めば誰でも自販機で煙草を買える時代は終わった。
僕は煙草のお陰で、10代後半の多感な時期をやり過ごせたと思っている。
そしてめでたく二十歳で煙草から卒業した。ありがとう、煙草。君のことは忘れないよ。
それでも最初は、悪い仲間が僕の禁煙を阻止しようと、しつこく煙草を勧めてきた。
もらい煙草をたかる僕に小言ばかり言ってたやつが、頼んでもいないのに『吸えよ』って誘惑してくるんだ。
ずるいよなあ、って思う。
たまに酒が入ると、うっかりもらい煙草をしちゃうこともあった。
油断してる隙を狙って煙草を勧めてくるんだもんな。本当にいやんなっちゃうよ。
悔しいことにまたうまいんだよね、そういう煙草ってさ。
でも今はもう完全に禁煙できている。
離脱症状もなければ禁断症状もない。
ありがとう煙草。さよなら煙草。
ありがとう悪友。さよなら悪友。
僕が10代だったときに、今のような煙草の規制がされてたら、もしかしたら月並みに咳止めでパキっちゃったりしてたのかもしれない。
煙草で済んで良かったなって心底思う。
デキストロメトルファンが相手だったら、僕は卒業できずに未だ依存症の真っ只中だったかもしれない。
煙草で済んで良かった。
あの当時は一箱120円くらいだったんじゃないかな。安上がりなストレス発散だと思う。
誤解しないでもらいたいのは、僕は喫煙を推奨しているわけではないということだ。
僕は煙草を吸うことって、自傷行為の一種なんだと思っている。
つまりリストカットやオーバードーズと同じ系統の行為だと思っている。
あとはタトゥーを入れたり、ピアスを開けることも、掘り下げればそういうことらしい。
売春も表向きは金銭のためって答える人が多いけど、根底には自傷行為として選択していることが多い。
どの行為だって、当然リスクは必ずついてくる。即効性や遅効性、身体的か社会的かの違いはあれどリスクのないものはない。
でも、それを選択する人がいる。
きっと、自己価値が低くて、生きてるのがつらくて、自分自身を傷つけないと許せなくなるような衝動に襲われてしまうことって、誰しも一度や二度はあるんだと思う。
悪いことを悪いことだと認識して実行する背徳感。
嫌いな人間である"自分"という存在を痛めつけることで得られる安堵感。
そういうものにすがりながら、それでもなんとか今を精一杯生きてるってことは、決して恥ではないと僕は思うのだけれど、どうなんだろう。
僕が少数派なだけで、世の中の大多数はこういう気持ちを抱えてる人のことを理解できず、自分たちの幸せな世界に酔いしれて、何不自由なく生きてるんだろうか。
悪いものは悪い。
だから、ダメ。絶対。
犯罪は根絶。
そんな感じで、目にしたくないもの、耳に入れたくないものを規制して遠ざけたい人の気持ちも分からなくはないけど。
だけどその規制のせいで、すがりつく先を探す人たちを、より危険なものに近づけてしまっているんじゃないのかなって思うことがある。
どう考えたって市販薬ODの方が煙草より何倍も質が悪い。あまりにも後で食らう損失がでかすぎる。
煙草はまあ……肺がんになったら死ぬほど苦しいけど、煙草を吸って肺がんになったという事実を仮にアウンティングされても社会的制裁を受けることはない。
だから僕は思うんだ。
10代のガキがいきがって煙草ふかすのくらい、鼻で笑って許してやれるくらい度量のある世の中になればいいのになって。
悪いことをしてない人間なんていない。
お前らだってガキの頃、さんざん悪いことしてきただろ? 下手すりゃ今だってどうなんだよ? って僕は思うのだけど。
でもそれって、やっぱり僕が少数派で、大多数の人は品行方正に模範的な人生を歩んでたりするのかもしれない。
そんな人生、ちっとも憧れないけれど。
今の子って、煙草吸いたいと思ったら、どうやって手に入れるんだろう。
あんまり煙草には興味がない子のほうが多いのかな。
煙草の自販機。
もう全然見かけなくなっちゃったなあ。