②
【2】
「ねぇ、まだ思い出さない? ひさしぶりに会えたんだよ?」
「うん、だから知らないって」
毎日、会うたび繰り返されるみゆきの問いに、健はいつも同じ答えを返す。まったく会話として成り立っていない、お約束のようなやり取りももう七回目。
「そっか。……たける、今日もブランコでいい?」
半ば諦めているのか、みゆきは健の返事にも落胆の色は見せなかった。
それがかえって健には申し訳ない気もする。
しかし《《知らない》》ものはどうしようもないのだ。別に健は意地悪をしているわけでもない。
第一もう覚えているか、知っていたかなどたいした問題ではないと健は考えている。
それなのに。
「たける。わたし、たけるに会いに来るのはさいごなの。今日でさよなら」
いつも通り、公園の遊具で一緒に遊んだあと。
唐突に別れを切り出したみゆきに、健は一瞬言葉が出なかった。
「え、なんで? ……おぼえてないのはしょーがないけど、ともだちになったじゃん。これからも遊ぼうよ」
なんとかそれだけ口にした健に、みゆきは黙って首を左右に振る。
「もうおわりなの。七日って決まりだった、から。いっしょに遊んで楽しかった、ありがと」
みゆきの、確かに笑っているのにどこか悲しそうな表情。
いつか、どこかで見た気もする。しかしどうしても思い出せない。
いつ見たのか、何を見たのか、曖昧な感覚を掴めないままではあるものの、「知らない顔」なのは間違いないのだ。
写真を撮って母に見てもらうのはどうだろう。
しかし健は、携帯の類をまだ持たされていない。訊いては見たがみゆきも同じくだった。
──せめて昨日までに思い当っていたら。
「ぼくが思い出してたら、このままいられたの?」
「ううん、そうじゃない。さいしょから七日だけ」
もしかして、と口にした健の質問も、彼女はあっさり否定する。
「たける。ほんとうにわたしのことだれにも言わなかったのね。ありがとう」
「言ってない、けど。なんでわかんの?」
「『ひみつ』じゃなくなったらそこでおしまいだったから。でもちゃんと七日間ふたりでいられたじゃない。だからわかるよ。『約束』まもってくれてうれしい」
純粋な疑問に対するみゆきの答えに、身体の表面をじわじわと何かが這い上がってくる、気がした。
もしあの日、帰って母に話していたら。もう翌日からみゆきが現れることはなかった、ということなのだ。
七日。たったの七日。
あっという間に過ぎ去った時間が、今更のように惜しい。
しかし「過ぎた時間」は決して取り戻せないことくらい、幼い健でさえ知っていた。
そして改めて思う。「たったの七日間」でも、途中で断ち切られなくてよかった。それだけは幸運だったのだと。
「わたし、たけるとおしゃべりして遊んでみたかったんだ。おぼえててくれたらいいな、って思ったんだけど。……でも、また会えるよ」
しっかりと目を合わせて語ってくれるみゆきに、健もふざける気持ちなど欠片もなかった。
こんなに真剣に誰かと言葉を交わしたことなどあっただろうか、と思うほどの時間。
「ぜったい、また会える?」
他にどうすればいいのかもわからずに、健はそれだけ確認した。
「うん、ぜったい。約束する」
「みゆき、──」
もっと言いたいことも、訊きたいこともあるはずなのに、いざとなると何も出てこない。
「じゃあね、ばいばい」
口を噤んでしまった健に、みゆきは眩しいほどの笑顔を向けて小さく手を振った。
引き留める間もなく、ぱっと駆け出した白いワンピースの後ろ姿があっという間に見えなくなってしまう。
呆然と立ち尽くす健は、みゆきと過ごしたのがたった一週間であったことさえ実感できていなかった。
みゆきを見失った後、硬直した身体もようやく動くようになる。
立ち尽くしているわけにもいかず、ようやくとぼとぼと歩いて家に向かった健は、自宅マンションの入り口で上階に住む五年生と行き会う。
「あ、健くん。おかえり」
「……ただいま、としくん」
学習塾に行くため急ぎらしい俊朗は、そのまま擦れ違って建物から出たものの、思い切ったように振り返り声を掛けて来た。
「健くん、学校帰りに寄り道はあんまりよくないよ。いったん帰ってランドセル置いてからにしような。あと、いくら公園でも一人きりは危ないから」
弟妹のいる彼は、健だけではなく下級生にもお兄ちゃん目線で接することが多い。
口調が優しいので、健も鬱陶しいと感じたことはなかった。
「え? ……えっと」
彼の発した言葉の意味が理解できず健が口籠ったのを、俊朗は誤魔化そうとしているとでも捉えたのだろうか。
「昨日、公園の横自転車で走ってて見たんだ。あの時間は幼稚園の子も帰っちゃったあとだし、誰もいなかったらブランコってたまに漕いでみたくなるよなぁ」
怒っているわけではないと知らせるように、俊朗は笑いながらそれだけ告げると、片手を上げて今度こそ自転車置き場へ駆けて行く。
「ひとり、──?」
自転車で走り去る彼を見送りながら、健はわけもわからずその場にぼんやりと突っ立っていた。