余談
ヤンとトランと別れて、トックは父親と並んで勤め先の工房に向かった。
ヤンやトランが一緒にいた時はなんだかんだ話していたけど、自分の上司でもある兄弟の父親とだと口が開かなくなってしまった。
「あの、おやっさん…昨日の夜も今朝も面倒かけてすいません。弁当まで頂いちゃって」
「ん…ああ、たまにはいいじゃないか。お前はうちの坊主達の幼馴染だからな。で、昨日は広場には行ったのか?」
父親に促されて、トックはポツポツと昨夜の話をし始めた。
町の広場は出会いを求める妙齢の男女で溢れていて、もちろん遊び相手を求める人たちもいて、ちょっとした騒ぎにもなっていたけど、と。
「で、お前達は何もなかったのか?」
「俺は洟も引っ掛けられなかったですけど、トラン兄さんは粉かけられまくってました、気づいてなかったけど」
「あ…あぁ…」
父親は頭を抱えた。
工房で花嫁修行をしていた娘も然りだが、長男も相手からアプローチされても何故か気づかないのだ。
娘は気づかなくてよかったが…とは言え、捕まった相手があの人の良さそうなふりをした腹黒い婿だと言うのが気に入らなかったが。
それでも2人の跡取りと、1人腹にいて仲もいいし、良い番頭もいるのか事業も拡大しているから文句のつけようもない。
娘がしょっちゅう来るのは、婿との仲の良さを見せるためだろう。
娘に関しては幸せそうだから文句はない。
ただ、長男にはもうちょっとしっかりしろと言いたい。
女と遊べとは言わないが、誰彼構わず優しくするな、勘違いされると思っている。しかし、誰彼構わず優しいのは心に決めるような特定の相手がいないからだろうが…
「トラン兄さんは声かけられればちゃんと話すんですよ。で、女からも誘われるんですよ。なのになんで、気がない態度をとるんすかね?そこは会う約束していいと思うんすよ。聞けば『あんないい子、俺よく知らないし』って言うんすよ。よく知らないから会って話せばいいだけなのに!!みんな、『あんたがいい』って寄ってきてるのに!!」
「う…うん…」
「ヤンの彼女に横恋慕してるとかないですよね!?」
「ないと思うが…??女性に優しすぎるせいか、勘違いさせるよな」
「そうなんすよ!背もあるし体格もいいし、顔だって悪くない。優しいから女達を一網打尽にするんすよ。群がる女全部食っちまうなら俺らも恨み言言うんですけど、本人がモテてるって思わないんすよ…」
「そんな好いた女の話も聞かないがね…」
「そうなんすよ…おやっさん。俺決めました」
トックが意を決したように言った。
「好きな女ができたらヤンみたいに優しくしようって」
あの娘の事情がある意味特殊なんだが、と思ったがうまく説明できないので黙っておいた。
「そうか。優しいだけが男の価値じゃないがな」
「俺、好きな子はいじめちゃうから…」
「いじめるくらいなら優しい方がいいな」
「そっすよね!」
「優しすぎるとトランみたいになるか、悪い女に騙されるかだからな気をつけろよ」
「うっす…トラン兄さんみたいになったら、全員食っちまいます、俺!」
そうじゃないんだと父は頭を抱えた。
一方、兄弟はと言うと、
「え!?昨日広場に行ったの?」
「ああ」
「結果はどうだったの?」
「急にトックがやけ酒始めたからうち連れてきた」
「トックはいいんだよ、兄貴は?」
「俺?特に。話しかけられはするけど、それだけだ」
「会う約束とかは?」
「そんな雰囲気にならないし…」
絶対気付いてないだけだとヤンは思った。色っぽい雰囲気も何故か兄は気づかないのだ。
あれだけ、隣にいる自分など女達の目に入らないくらい色っぽい視線を向けられていると言うのに。
女達がチラッと自分を見て、「弟さん?」と聞くくらいしか自分は興味を持たれないのに。
自分より年下の娘に「弟さん?」と言われる俺の身にもなれよ、と思う。
「よく知らない相手と簡単に会う約束するわけにいかないだろ?」
「なんで!?よく知らないから、会って話してお互い知るんじゃないのかよ?」
「あ…ああ、お前が言うと説得力があるな…」
「俺のことはいいんだよ!」
「2人で会って、変な噂立てられると後々相手が困るだろ?」
「ちゃんとした関係になればいいじゃん」
「いやいや、俺が良くても相手がいいかわからないだろ!」
「兄貴に近寄る女性はちゃんとした関係を求めてると思うよ…」
「そうかぁ?俺は『いい人』ってしか褒められたことしかねぇよ」
それは俺やトックみたいなのをかまっているからだよ!と思った。
今だってすれ違う女達がチラッと兄を見て顔を赤ていたりするのに。
「せめて1回一緒に食事するとか!」
「あ…あぁ…なんつーか、食べた気しなくね?鳥の餌みたいの目の前で食べられたりすると?」
「なにそれ?」
ヤンが聞き返すと兄は、きょとんとした。
「若い娘と一緒に食べると少食だったり、鳥の餌みたいの食べたりするのいるだろ?姉さんは俺らより食べないにしてもなんでも食べる方だから、他の娘が食べないのにびっくりしてさ。相手に合わせたとこに食べに行っても今度は俺が食べた気がしないし」
「そういうもん?」
「うん…あー…リァンはなんでも食べるのか…」
「うん」
昨日の夕飯に買ったのはヤンが食べたいもの買ったな、と思った。
リァンも特にこだわりなさそうだったし、2人で分けて食べてもリァンは嫌がる様子もなくて、美味しいと言って食べていたし。
「なんでも好き嫌いなく食べる娘っていいよな…」
兄は過去の交際まで至らなくても、食事を一緒にした娘たちのことを思い出したように言った。
「もしかして…リァンを好きとか言う?」
「なんで?」
兄は目を丸くしている。全く考えもしないことを弟に言われて思考が追いついてなさそうだ。
兄は問い返されて言葉に詰まった弟の頭をワシワシと撫でる。
「余計なこと考えるなよ。お前達2人が幸せならいいんだから。奪ろうなんて考えたこともないし、弟の好いた女なんて手を出せねぇよ。お前は自分とリァンのことだけ考えておけよ」
そう言う兄の言葉はありがたいけど、そうじゃないんだ、兄貴を好きな女はいっぱいいるんだよと言うのはどうすれば伝わるのだろう。
その日の夕方、ヤンに連れられてリァンは夕飯時にヤンの実家を訪れた。
両親ともにこやかに迎えてくれた。
母親ははりきりすぎたのか、すっかり準備が整っていて、リァンは恐縮してしまった。
「さあさあ、夕飯にしますよ。リァンさん、お皿と食器を持ってきてくれる?」
「はい!」
「あなたたちも運ぶの手伝ってちょうだい」
そう言って母はリァンと息子2人を連行し、父親は台拭きを使って食卓を拭いた。
「そうだ、リァンさん。甘いものは好き?」
台所で食器を取り出しているリァンに向かって母は聞いた。
「ええ」
「そう、ちょうどよかったわ。はい、アーン」
母親が楊枝に刺したものをリァンの口に放り込んだ。
その様子を息子たちがギョッとした様子で見ていた。
こんな甘々な母親を見たことがなかったからだ。
台所にきてつまみ食いをすれば大体文句を言われるのだから。
食事の前の甘いものなんてもってのほかだ。
子どもの時はエヘっと笑えば、「しょうがないわね」って笑って許してくれたけど。
リァンは口をもぐもぐと動かし、目を瞬かせた。
「え…甘い…酸っぱい…?アンズですか?」
「そうなの、少し乾かしてから、ハチミツに漬けたの」
「おいしくて好きです」
「なら、いっぱい作って置いとかなきゃ。ファナはつわりの時でもこれは食べられたもの…ふふふ」
意味ありげに母親が笑うとリァンは真っ赤になった。
母や姉、義兄の前でヤンに口づけされたことを思い出し、それ以上はさすがにまだ先にすすめそうにないと思った。
「あの…まだ…その…」
「あらそうよね。急がなくていいのよ。アンズのハチミツ漬けもあなた達もゆっくりでいいのよ。さあさあ、夕飯にしましょ」
そう言って息子達にはスープの入った鍋や大皿に持った料理を持たせて、自分とリァンで皿や食器、ひら焼きのパン、果物、漬物などを持って運んだ。
家族と囲む和やかな食卓に、こう言う穏やかでありながらにぎやかな日々が続けばいいとリァンもヤンも思った。
終わり
本余談をもちまして、「星降る夜の二人ご飯」の連載は終了です。
本編「嫦娥は悪女を夢見るか」を読んでいただけると嬉しいです。
本編も完結している作品なので、週2回日曜日と木曜日朝6時に更新しています。