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「お前、いい加減帰って寝ろよ!」
「ここの仮眠室貸してくれよ。寝て起きたら星祭にいくし、お前も彼女誘って行って来いよ」
寝ていないせいで少し酔っぱらったような雰囲気になって幼馴染はヤンに絡んできた。
「なあ、ヤン。行って来いよ、やってこいよ」
「あーもう、うるさいな。仮眠室使っていいから、少し寝ろ!」
ヤンが絡んでくる幼馴染を押しはがしていると、工房の作業台の側に見知った姿を見つけた。
「リァン」
「おかえり、ヤン」
今日は来る予定ではなかったはずで、夕方宿屋に迎えに行こうかと今考えていたところだった。
「今日は星祭だからって姐さんたちに追いだされちゃって・・・ヤンを誘って行って来いって・・・それで・・・その・・・」
「来てくれて嬉しい」
つかつかとリァンの側に寄ったヤンの雰囲気に今まで絡んでいた幼馴染は唖然とした。
「俺も誘おうと思ってて」
そういえばリァンがはにかんだ。
「嬉しい・・・」
「屋台も出るらしいから、ちょっといい夕飯買って、砂漠のほうまで足を伸ばそう。寒くならないように、外套と絨毯と持って」
ヤンの目には幼馴染が見えていないのが明らかだった。
そして、彼女もヤンしか見えていないようだ。
「外套と絨毯ももたされたの・・・」
リァンの足元に目をやれば、外套と絨毯がたたんであった。
その上にはランタンと陶器のポットまで乗っている。
準備万端な宿屋の姐さんたちを思ってヤンは噴き出した。
あの人たちは本当にリァンが可愛くて仕方がないのだろう。
リァンと自分とじゃ簡単に前に進みそうにないから、あれこれとお膳立てしてくれるのだ。
ここまで来たら据え膳くわぬはなんとやらだ。
「ヤンはお前のこと、もう見えてないぞ」
「トラン兄さん、俺泣いていい?」
「あー泣くな、泣くな。メンドクサイ。仮眠室貸してやるから寝てこい」
「ひでぇ、この兄弟・・・」
トランが幼馴染を仮眠室のほうに追い立てた。
「ヤン。注文はもらってきたか?」
兄に声をかけられてヤンはびくっと震えた。仕事しているときの声の響き方が父親によく似ているからだ。
「注文書をリァンに渡して帳簿にまとめてもらってくれ」
「はい」
「夜出かけるなら、今日の分の作業終わらせてからにしてくれよ、2人とも」
「はい!」
ヤンとリァンの声が重なった。
2人で顔を見合わせて、ヤンはもらってきた注文書をリァンに渡した。
リァンはふとヤンの後ろにいる幼馴染が気になったようだ。
「あー初めまして。ヤンの幼馴染のトックと言います。最近ヤンにいい人ができたって聞いて、仲間内で話題になっていて…それで…」
トックは話しながら、リァンをじろじろと見ていた。
これがヤンが隊商の隊長と取り合った女、ずいぶん地味で特別美人というわけでもないけど、と。
化粧をちゃんとして、少し流行りの格好を取り入れれば少し美人に見えるだろうに、ヤンの姉のように胸や腰回りがふっくらと柔らかそうなタイプでもないし、だからと言って特別いい匂いがするわけでもない、声の響きは耳に心地よいけど…そんなことを考えた。
この娘が湛える雰囲気が闇の深い夜に静かに水面に映る月のようだと何となく思った。
ヤンの態度を見るにこの娘のことが好きなのはよくわかった。
どこがいいかはよくわからないし、自分の好みではないけど。
リァンの胸に輝く色ガラスのブローチでトックの目が留まった。
色ガラスはヤンが懸命に研究していた分野で、彼女の胸で輝くのはたぶんヤンの渾身の作だ。
職人が渾身の作を女に送るということは・・・
「え!!お前、そういうこと!?」
「は?」
「いやいや、求婚してるのに、なんでまだやってねえんだよ!?体の相性確かめろよ!」
思い当たった事実に素っ頓狂な声を出すトックの疑問にリァンもびくっと体が震えた。
「お前はそればっかりだな。もう寝ろ。仕事の邪魔だ」
ヤンはトックの口をふさぎ、引きずるようにして、仮眠室に連れて行った。
トックを仮眠室に放り込んで、ヤンが乱暴に引き戸を閉めたのが音でわかった。
トックに対して文句を言いたそうな顔で戻ってきたヤンだったが、リァンと顔を見合わせて顔を赤く染めた。
「いや・・・あの・・・あれは・・・」
トックのせいでいやでも想像してしまった。
それはリァンも同じだったらしい。
きっと宿屋の姐さんからも焚きつけられたのだろう。
「ヤン。リァン。早く仕事しろ」
兄に言われて、ヤンは慌てて作業場へと向かった。
そんなヤンを見て、兄は大きなため息を一つ。
リァンを見下ろすとまだ顔を赤く染めている。
「あー・・・なんだ・・・自然な流れでそうなるんだったら、俺も姉さんも咎めやしないから。だけど、リァンが少しでも嫌だと思うなら遠慮なくヤンを蹴とばしていいからな」
「は・・・はい・・・」
トランは顔を赤くして俯いているリァンをその場に残して、自分も作業場へと行った。作業場ではヤンがちらちらとリァンを伺っていてちっとも仕事に身が入っていない。
そんなヤンの姿を見て大きなため息が漏れた。
兄自身、特定の女性がいるわけではないのに、なぜ弟の恋のお膳立てや尻ぬぐいまでやらねばならないのだろうと。
付き合ってというよりは、求婚の意味だとすっかり忘れていた弟が出会ったその場で渾身の作をリァンに渡して1か月が過ぎた。
急なことで始まったとはいえ、すこぶる仲がいいのだけが救いだ。
2人の様子を見ている分には遠からずそうなるだろうが、とりあえず今は仕事しろと言いたい。