出会いと呼ぶのは間違いで、運命と呼ぶには儚すぎる
「くそっ!! 」
「あ、おい!?」
白髪の少年が蒼い刃を振り下ろしたと同時に、戒理は堪え切れずヘリから飛び降りた。
現場から30メートル以上の高度だ。着地出来たところで普通ならただでは済まない。……が、彼の機械の脚にはある程度衝撃を拡散させる機構が備わっている。
それでもかなりギリギリだが、何とか少年の凶行を止めようと、戒理は飛び込んだ。……とは言え、彼が30メートル下降するより、振り下ろされた刃が虎型アルミリスの首を落とす方が早いのは自明だ。
「間に合えええええ!!!」
「グルゥ……」
必死に自らを救おうとする戒理の気持ちとは裏腹に、虎型アルミリスは自らの首に迫る凶刃を一瞥すると、諦めたように地に付した。
誰もが、虎型アルミリスの死を悟った。
その時。
「待ちなさいっ!!!!」
ガシャン、と、急制動によって、白髪の少年が振り下ろした刀は音を立てた。
薄皮一枚ほど首に食い込んだところで止められた刃は、煌々と破滅の蒼い光を放ち続けている。
「………誰だ? 街警であっても、既にこの現場へ立ち入る事は禁じられている筈だ」
抑揚の無い声音で投げかけられた問いに答えるのは、黒真珠を思わせる瞳で彼を睨みつける、一人の少女。
「あんたこそ、それ以上やるのは軍務じゃなくてただの殺しよ。対象は完全に行動不能。被害は建物と軽傷者だけ。現場の独断で殺処分するのは、明らかに越権行為だわ」
「っ!? 姫歌……使ったのか…くっ…」
いち早く反応したのは、彼女ー姫歌の言葉に一瞬遅れて着地した戒理だった。
……改めて彼女の横顔を見つめると、ただでさえ白雪の様な肌が白いを通り越して青褪めている。
髪が頬に張り付くほど汗ばんでいるのは、ただここまで必死で駆け上がって来たからというだけでは無いと、姫歌の異能を知る戒理は悟る。
そして、彼女にその力を使わせてしまった事を悔い、己を恥じた。
だが、当然とばかりに白髪の少年は、彼の感傷になど取り合わない。
「我々は上から対象の排除を命じられている。被害の規模によって処分対象に酌量の余地を与える任務条項は無い」
姫歌の状態も戒理の反応も意に解する事無く、白髪の少年は淡々と事実のみを口にする。
「だったら、街警の上層部を通して軍に抗議するわ! 私達はこの街の治安を守るのが役目。やる必要の無い殺しを見逃す訳にはいかないのよ!!」
「……」
力強く己が信念を主張する姫歌を、白髪の少年は静かな瞳で見つめる。
その場に居た誰もが、二人のやり取りを固唾を飲んで見守っていた。
「お前らが何をしようと、政府の決定は絶対だ」
「ちょっ!?」
だが、白髪の少年が行動方針を変える事は無かった。
再び振り上げた蒼い刃を、躊躇い無く振り下ろす。
「やらせない!!」
そこへ、今度は戒理が実力行使で割り込む。
姫歌が時間を稼いだお陰で、彼が行動出来る余地が生まれたのだ。
蒼い光その物の刃と、蒼い光を纏った大剣がぶつかり合い、激しい火花を散らした。
「くっ!?」
「明らかな敵対行動だ。独立政府に飼われている分際で邪魔をした以上、排除される覚悟は出来ているな?」
「っっっっ!?」
白髪の少年は決して凄んだわけでも、語義を強めたわけでも無い。
それどころか表情一つ動かさず、温度を感じさせない声音で淡々と問うてきた。それだけだ。
……故に、これはきっと戒理の錯覚でしかない。
初めて会った筈の彼から、奈落の底に引き摺り込まれる自分を幻視してしまうほどの、凄絶な憎悪を向けられたと感じたのは。
それと同時に、戒理の大剣にピシリッ! と、亀裂が入る。
「戒理!?」
蒼い光がぶつかり合う光景に束の間気を取られていた姫歌は、明らかに形勢不利と見て加勢に駆け出した。
「行かせません!!」
と、彼女の進路を塞ぐ様に、ヘリから飛び降りてきた心那が立ちはだかる。
コンバットブーツは予備の物に換装したようで、一分の隙も無く構えるその姿に、姫歌はたじろいだ。
「なっ!? 何よあんた!?」
「独立政府統括連合軍“第七執行部隊”所属、心那・バーミルトンです。先輩の……自分達の隊長の邪魔はさせません!!」
「っ…そこまでして、アンタ達はアルミリスを殺したいの
!?」
毅然とした心那の言い様に、今度は姫歌の方が激昂する。
白髪の少年、そして目の前の彼女の、命を奪う事に躊躇いを覚えるどころか、寧ろ殺戮こそが自らの使命と言わんばかりの迷いの無い在り方に、どうしようもなく憤りを覚える。
その憤りが、彼女の元来持つ心から来る物なのか、それともその身に宿った救済の異能が本能へ働きかけているのか、彼女自身にも分からない。
「ええ。殺したいですよ。それがどうかしましたか?」
「は…?」
あまりにも歯に衣着せぬあっけらかんとした心那の返事に、姫歌は思わず踏み出そうとした足を引く。
「危険なだけで見返りなんて殆ど無い軍という組織に、自分達が何故身を置くのか、きっと平和ボケした貴方達、街警は想像したことも無いのでしょうね」
「ちょ、こんな時に何の話を……っ!」
一瞬、新手の時間稼ぎかと思った姫歌だが、すぐに心那が何を言いたいのか思い至り、表情を歪めた。
「平等を謳い、正義の味方ごっこをするのは楽しいですか? たとえ相手が人で無くとも、隣人として愛する自分の寛容さに酔いしれる日々はさぞ優越感に浸れるのでしょう。……けれど、それは奪われたことの無い貴方達だけに許された娯楽です。自分達にまで、そちらのオママゴトを押しつけ無いで下さい」
「っ……」
戦後七十七年経った今でも、アルミリスの起こす犯罪事件は後を絶たない。
理由は様々だ。
差別や迫害に対する報復、犯罪組織や新興宗教の傀儡、未だ自らを人間より上位の存在だと主張する為……等々、数え上げればキリが無い。
その行動が新たな憎しみを生み、憎しみはより差別や迫害を助長する。
そして、アルミリスに対する公的な暴力、殺害を許された唯一の組織。
それが、独立政府統括連合軍だ。
心那の言う通り、危険なだけで見返りなんて殆ど無い仕事に従事する彼等の原動力が何なのか、言うまでも無いだろう。
「反論が無いなら、さっさとこの場から消えて下さい」
「……わよ」
「はい?」
「反論あるっつってんのよ!! このメンヘラトマト頭!!」
メンヘラトマト頭…メンヘラトマト頭…メンヘラトマト頭…と、その部分だけがやけに木霊しように、心那には聞こえた。多分、彼女だけにである。
「なっ、なななななななな何ですかそのやたらと腹の立つ悪口は!? と言うかトマト頭は百歩譲って髪色を揶揄していると納得できますが、どうして貴方にメンヘラ呼ばわりされなきゃならないんですか!?」
顔までトマトの様に真っ赤にしながら吠える心那に、姫歌は真っ向から言い返す。
「後ろの白髪頭にヘラってるのが滲み出てんのよ!!」
「へ、ヘラってなんかいませんが!? じやなくて、敬愛しているんです!! と言うかヘラってるってそういう使い方じゃないでしょう!!」
「そんな事はどうでも良いわ。それより、あんたらが過去に何をアルミリスに奪われたかなんて知らないし、興味も無いけど、少なくともこれだけは言える」
「な、何ですか?」
姫歌の勢いに押され、若干涙目になっている心那だが、何とか強気な態度を維持して問い返す。
「あんたらの大切な物を奪った奴は、そこの虎じゃない」
「っ……で、ですが、法を犯し、こんな場所で許可なく現界するようなアルミリスが危険な事に変わりはありません。たまたま被害が軽微だっただけでは、処分しない理由として不十分です」
心那の言葉は正論だが、同時に論点のすり替えであり、酷く言い訳じみていて弱々しい。
その弱さに、姫歌は勝機を見る。
「そもそも、おかしいと思わないの? あのタイミングで、この場所で、そこの虎が現界した理由は? メリットは? とっくの昔に要人が逃げた後でビルだけ爆破したところで、テロとしては何の意味も無い。そこの白髪頭がぶっ殺したあの黒い奴との関係だって分からない。いずれにしろ、手掛かりはその虎だけ」
「そ、それは……」
「なのに、唯一の手掛かりを処分ですって? 笑わせんなど素人どもがっ!!!」
「むぐっ!?」
「まさかとは思うけど、やりたい放題殺しまくって、手がかりも何も無い状況で、私ら正義の味方ごっこしてる街警に丸投げする気じゃないわよね?」
「い、いや、だから…」
「だから、何よ!?」
「うっ……」
言葉というより姫歌の圧によって言い負かされてしまう心那。……だが、それでも立ち塞がる事をやめようとはしない。
白髪の少年が「殺す」と言えば、それは彼女にとって絶対なのだ。
「あ、貴方が何を言おうと、独立政府の決定は覆りません!! 抗議したいならご自由に。 自分達は、任務を全うするだけです!!」
「ちっ…だったら、こっちも実力行使よ!!」
姫歌はナックルダスターを胸の前で打ち鳴らし、前傾姿勢になって戦闘態勢を見せる。
「正気ですか!?」
「あんた達よりはね!!」
姫歌とて馬鹿では無い。軍人の心那と自分では、装備も練度も雲泥の差がある事など重々承知している。
しかし、姫歌は勝つ必要は無いのだ。心那の脇をどうにか抜けて、白髪の少年の邪魔さえ出来れば良い。
時間稼ぎをしているのは、自分も同じなのだから。
「行くわよ! メンヘラトマト頭!!」
「っ……一度ならず二度までも……これは正当防衛です。貴方が死んだとしても!!」
ブチギレた心那は、もはや見境なきバーサーカのような凶相を浮かべて姫歌に迫る。
これも姫歌の狙い通りだ。正常な判断能力を奪うのは対人戦の基本中の基本。目的が勝利では無いのなら尚更それは有効だ。
「タイムリミットだ」
だが、姫歌は心那と衝突する寸前に動きを止めざるを得なかった。
その静かな死刑宣告が、壮絶な悪寒を伴って耳を侵した故に。
「っ!? 戒理っっっ!! 逃げて!!!!」
無理やり心那から距離を取って視線を向けた先では、半ばまで蒼白の光に切り裂かれた大剣で、必死に白髪の少年を押し戻そうとしている戒理の姿があった。
……もっとも、その危うい均衡が保たれていたのは、一重に白髪の少年が裁定を下していなかった故。
片腕を失った戒理と違って、彼はもう片方の手に二本目の破滅の刃を握っているのだから。
白髪の少年はその刃を、天を貫くように掲げた。
「死ね」
無情と呼ぶのも生やさしい、虚無の声音が終わりを告げる。
振り下ろされた二本目の蒼白の刃は、断頭台のギロチンの如く戒理と、その後ろに今だ伏せている虎型アルミリスをまとめて両断しにかかる。
「くっ!?」
「そんなっ!?」
閃く蒼白の光に照らされた戒理と姫歌の顔が、絶望に染まる。
「『ストーップ!!!』」
突如、姫歌の背後と、ヘリのスピーカーから静止の声が二人分聞こえた。
どこか能天気さのある青年の声と、悪戯好きの少女の様な声。
因みに、スピーカーから響いたのは後者だ。
白髪の少年が振り抜こうとした刃は、戒理の鼻先で止まっている。
「「「……え?」」」
キョトンとした顔で声を上げたのは、戒理、姫歌、心那の三人だ。
白髪の少年はそんな彼等を、更に混乱させる行動に出る。
「…安全機構、再起動」
と、音声コマンドを入力し、蒼白の刃を光の粒子に還して、その場に霧散させたのだ。
「「っ!?」」
「先輩っ!?」
「状況を終了する。各員、帰投の準備に入れ」
混乱する三人には取り合わず、白髪の少年はリボルバー形態へと自動可変した兵装を腰のホルスターに戻し、余りにも唐突な指示を出す。
「いや〜間一髪だったね、戒理くん?」
…と、そこで姫歌の背後から、先程の声の主が一人、青年が歩み寄って来た。
「さ、西院課長…?」
狼狽えながら戒理がそう呼んだ青年―西院應二―は、額の汗を拭いながら困った様な笑みを浮かべて口を開く。
「やあ。無事……では無さそうだけど、一先ず生きていて安心したよ。メルティちゃんから君が一人で現場に向かったと聞いた時は、肝が冷えたけどね。流石、我らが街警の秘密兵器だ」
「ギリギリに到着して、なに笑えない冗談言ってるのよ。クソ兄貴」
姫歌は一瞬安堵した表情を見せるも、すぐに鋭い視線を應二……自身の兄であり、直属の上司でもある彼に向ける。
「これでも、ただをこねる政府の要人を振り切ってかなり急いで来たんだよ?」
「別にアンタが直接来なくても良いでしょうが!! 適当な理由でっち上げて軍の上層部に作戦中止を要請すればそれで解決したでしょ!?」
「当たり強……うぅ。たった二人の家族なのに、姫ちゃんはどうしてこんなに僕に厳しいのかな?」
よょょ……とでも漏らしそうなしょぼくれた仕草で、應二は悲しげな眼差しを妹に向ける。
……もっとも、大の男がそんな真似をしても、ふざけた芝居にしか見えないのだが。
「ちっ……家族って言われても、実感無いって何度言わせれば分かんのよ」
「でも、兄貴とは呼んでくれるじゃないか?」
「クソ兄貴よ!!」
「ちぇっ。姫ちゃんのいけず」
先程とは打って変わって、拗ねた様な顔で足元のありもしない小石を蹴る仕草を見せる兄に、妹は割とガチめの殺意を向けた。
「ちょっと、そこの白いアンタ? さっきのヤバそうな刀でこのウザさの権化を三枚におろしてくんない?」
「……」
下降して来るヘリを待っていた白髪の少年へと、姫歌はふいに声を掛ける。
先程まで幼馴染の命を奪おうとしていた相手だが、本来、街警と軍は協力関係にあるのだ。互いの信念やメンツによる衝突が無い状況であれば、気安く話しかけるくらいの事はおかしくない。
ましてや、姫歌は悪魔で臨時の学生隊員。軍と街警の軋轢など、知ったことでは無い。
……とは言え、本格的な殺し合いを演じかけたさっきの今で、平然と話しかける豪胆さを持ち合わせているのは姫歌ぐらいだが。
見た限り歳は近そうだが、白髪の少年は執行部隊の隊長。階級は恐らく少佐だろう。
見た目通りの年齢だとすれば、そこまで上り詰めるのに数多の修羅場をくぐって来た生粋の叩き上げ軍人だ。
軍と街警は別組織のため、一応階級を気にする必要は無いが……一介の学生隊員に過ぎない彼女が対等に話せる相手かと言えば、普通は否と答えるだろう。
「不敬も大概にしなさい。……さもなくば、今度は本気で殺しますよ」
そして、当然彼に敬意を抱く者からは反感を買う。
低く押し殺したその声音が、誰よりも彼を慕う少女の心境をそのまま表していた。
「げっ、ま、まだ居たの…?」
先程までのやり取りとは明らかに異質な気配を醸し出す心那に、姫歌は自身の失敗を悟りたじろぐ。
「……先輩が、どれだけ多くの敵を倒し、どれだけ多くの人々を救って来たか知りもしないで偉そうに。たかが街警の下っ端風情がっ……!?」
と、心那が今にも青龍刀型の兵装を振り回す勢いで激昂しかけたその時、白髪の少年が彼女を片手で制した。
「やめろ、心那。…彼女には、自由な発言を許されるだけの価値がある」
「せ、先輩?」
「っ!? ……どういう意味よ?」
少年の言葉に驚いて目をパチパチさせている心那と反転するように、今度は、姫歌が声音を低くした。
「そのままの意味だ」
「っ、アンタねぇ!? 言いたいことがあるならもっとはっきり言いなさいよ!! 」
苛立ちをそのまま言葉でぶつける姫歌に、再び心那が剣呑な視線を向け始める。
だが、不毛な堂々巡りが始まる前に、飄々と割り込む男が一人。
「まあまあまあ〜。事後処理もある事だし、ここはお互いに穏便に行こうじゃないか」
「……西院應二」
「おや? 光栄だね。まさか、白い悪夢とまで称された中佐が、僕如きの名前を覚えてくれているとは」
サラッと應二が漏らした衝撃的な事実に、姫歌は瞠目する。
「は…? 中佐!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!? どう見てもこいつ、私より年下か良いとこ同い年くらいでしょ!?」
彼女の驚きは当然。
軍の中佐と言えば、将軍、大佐に次ぐ幹部中の幹部。
家柄や功績は勿論、軍内部の派閥闘争でも影響力を持つ、一握りの者だけが辿り着ける階級だ。
現場単位の指揮権しか持ち得ない少佐までなら、若いとは言えあの戦闘力と隊員の求心力から納得出来る。だが、中佐となれば話は別だ。
階級上は一つ上なだけでも、その手に持つ権力には雲泥の差があるのだから。
「中佐は少し特殊な立ち位置でね。彼が第七執行部隊の隊長に任命された時、前任者が中佐に繰り上がる事よりも、隊に部下として残ることを選んだそうだ。 そこで、流石に部下と同じ階級にさせる訳にもいかないと頭を悩ませた軍上層部は、発想を転換することにした」
意味深な間を空けて、應二は同性でもハッとするような凄まじく出来すぎた笑顔を浮かべ、続きを口にした。
「実力と実績は折り紙付き。オマケに派閥闘争に興味が無いから誰の敵にも味方にもならないという都合の良さ。…故に、現場の人間に夢を見させる偶像としてこれ以上無い逸材だった。……軍の本音としては、エリートばかりが出世するせいで生まれた、現場と上層部の軋轢を緩和するのに、彼に一役買って貰った、と言うところかな?」
爽やかに笑いながらずけずけと軍の内情にまで言及する應二に、その場に居た者たちは……ドン引きしていた。
当人である白髪の少年―中佐を除いて。
「話が終わったなら、我々は帰投する。そこの害虫に関してはラボから、今し方回収命令が出た。拘束して持ち帰るが、依存は無いな? 西院保安課長」
「なるほど。そういう話になった、か。こちらは軍の任務を邪魔した身だ。うちのお姫様の要求を呑んでもらえただけで十分さ。……ただ、お互い若くして老害共にこき使われる身だ。もう少し君との会話を楽しんでいたかったがね」
「俺に会話を楽しむ趣味は無い。それに……」
言葉を切った中佐は、徐に姫歌へと視線を向ける。
「ん? 何よ?」
たが、その視線の意味を問うた彼女には応えず、應二へと視線を戻し、淡々と言い放った。
「妹を出世の道具にするような下劣漢と、話が合うとは思えない」
ただでさえ張り詰めていた空気が、完全に凍りつく。
「っ、訂正しろ!? 西院課長はそんな人じゃ無い!」
最初に硬直から脱したのは戒理だ。よほど中佐の言葉が許容できなかったのか、胸ぐらを掴みかねない勢いで噛み付く。
しかし、そんな彼を止めたのは下劣漢と罵られた應二本人だった。
「止したまえ。戒理くん」
「でもっ!?」
「彼の言う通り、姫歌の異能が、僕に与えられた地位と権力の背景にあるのは事実さ。折角の機会だが、軽蔑されている相手を長話に付き合わせるのは気が引ける。ここは大人しく、我々は帰らせて貰おう」
「っ……」
應二は歯噛みする戒理の肩を軽く叩く。
すると意外なことに、姫歌もまた、戒理の脇腹を軽く小突いた。
「姫歌?」
「アンタが気にすることじゃ無いわ。実際、クソ兄貴がクソなのは反論の余地も無いし。お互いに胸糞悪い相手と話しても時間の無駄よ」
「ひ、姫歌…」
「ええ、本当に! 絡んで来たのはそっちですけどね!」
姫歌の言葉に、もはやパブロフの犬の如く吠え返す心那。……実際にしてはいないが、「べー!」と舌でも出していそうな嫌味ったらしい表情だ。
姫歌は姫歌で、「あ゛あ゛?」とでも聞こえて来そうなガラの悪い表情でメンチを切っていたが、戒理と應二に両側から宥められると、「ちいっ!」と一つ舌打ちをして背を向け歩き出す。
絵面が完全に極道の女とその側近二人みたいになっていたが、誰もそこには触れ無かった。
そんな彼等を意に解する事もなく、中佐は降下して来た部下へ向き直る。
「暁。回収の手筈は?」
「ラボから拘束具を持って人員がすぐ来るそうだ。ただ、万が一もあるから隊長殿は随伴してくれとよ。……ま、つってもいつもの如く、そういう建前のご指名だろ」
呆れたように嘆息する暁へ、心那は先程まで姫歌へ向けていた矛先を切り替えた。
「暁! 下世話な邪推はやめて下さい! 先輩は我々軍の、ひいてはこの街の為に、ご自分の戦闘データを提供しに行かれているだけです!」
「どうだかなぁ。うちの隊長殿は無愛想の極みみて〜な仏頂面のくせして、女にはモテやがるからなぁ? まあ、寄って来んのが誰かさんみたいなゲテモノばっかつぅのは気の毒だけどよ。そこんとこどう思う? メンヘラトマト娘」
「誰がゲテモノですか!? と言うか、トマト頭はまだしもトマト娘って何ですか!? 尖りすぎなご当地アイドルみたいな言い方しないで下さい!!」
「さり気なくアイドルのポジション確保しに行くんじゃねぇよ…」
「二人とも、無駄話している暇があるなら帰投して報告書を纏めろ」
中佐がそう命令すると、暁はやや崩れた、心那は見惚れるほど綺麗な敬礼をする。
「へいへい。我らが隊長殿のご命令のままに、ってな」
「はっ! かしこまりました!」
二人を乗せてハッチを閉じたヘリが離陸する。
現場には中佐と、虎型アルミリスだけが残された。
「……」
もはや這う気力も無いのか、瞼を細めて浅い息だけを繰り返す虎型アルミリスを、彼は何の感情も窺わせない虚無の瞳で見下ろす。
「ちょっと? まさか、やっぱり殺そうってんじゃ無いでしょうね?」
……と、そんな彼に、先程帰ったはずの少女が声を掛けた。
「そんなつもりは無い。監視しているだけだ」
「そ。なら別に良いわ」
その少女―姫歌は、徐に中佐の方へ歩み寄る。
「……まだ何か?」
「別に大した用じゃ無いわ。ただ、一言、その……」
彼女はそうして口籠ると、頬を少しだけ染めて、そっぽを向きながら再び口を開いた。
「れ、礼を言いに来たのよ!…… アンタに」
「別に、礼を言われる様なことをした覚えは無いが」
「よく言うわよ。戒理が死ななかったのは、悔しいけどアンタのお陰。いくら人間辞めてるって言っても、A級アルミリスとイカレたテロリストを同時に相手して、ただで済む訳無い。それに、邪魔したあいつを殺そうと思えばいつでも殺せたのに、結局アンタはそうしなかった」
「……」
姫歌の言葉を、中佐は相変わらず何を考えているのか分からない無表情でただただ聴いていた。
「あと、『タイムリミットだ』って、あれ。戒理じゃなくて、私に言ったんじゃないの?……癪だけど、あのままあのメンヘラトマトとやり合ってたら、多分、私も腕の一本くらいは持って行かれてた。アンタはそれを見越して…」
「何を勘違いしているのか知らないが、全てただの偶然だ」
だが、その時間も長くは続かなかった。
中佐は姫歌の言葉を遮ると、興味を失ったように彼女から顔を背け、虎型アルミリスの監視に戻った。
「用件がそれだけなら……失せろ。作業の邪魔だ」
「っ……あ、あっそ!! わざわざ戻って来て損したわ!! せいぜい殺したいほど大好きなアルミリスと仲良くしてれば!! 」
吠える様にそう言うと、姫歌は踵を返し、ドカドカと足音を立てながら階段へ向かった。
「……ねえ」
だが、階段を下る直前に立ち止まると、顔半分だけ振り返る。
「知ってるみたいだけど、一応名乗っとくわ。私は西院姫歌。アンタ、名前は?」
すると、意外なことに、中佐は律儀に姫歌の方へ向き直った。
「真白」
「……いや、それ上と下どっちの名前よ?」
若干イラッとした感じで聞き返す姫歌に、中佐―真白は、一拍置いて淡々と答える。
ただし今度は、お手本のような無駄の無い動きで、敬礼を添えて。
「………独立政府統括連合軍“第七執行部隊”、隊長。真白星だ」
お読み頂き感謝の極み。
次話は明日投稿します。