白い悪夢
「せ、先輩、自分は……」
「暁。心那を連れてヘリへ」
謝罪か、或いは言い訳か。口を開こうとした心那の方を見向きもせず、白髪の少年は虎型アルミリスをリボルバーの乱れ打ちで牽制しながら別の隊員へ指示を飛ばす。
「……はぁ。へいへい、隊長殿」
「っ!?」
いつの間にか音も無く戒理の背後に立っていた、長身の男―暁が、やれやれと言わんばかりの気怠そうな仕草で心那に歩み寄った。
無精髭を生やしているが、顔立ちを見るに年齢は二十代後半から三十代前半程度だろう。
ただ、容姿よりも戒理が気になったのはその異様な気配の薄さだ。
いくら敵意が無い相手とは言え、背後に立たれて気が付かないほど戒理は平和ボケしていない。
にも関わらず、真横を通り抜けられるまで気配どころか接近にも気付くことが出来なかった。
「嬢ちゃんは俺が抱えて行くとして、そっちの街警くんはどうするよ? まさか本当にその虎型と一緒に殺しちまう訳じゃねーだろ?」
飄々とした態度から威厳は感じられないが、暁は隊長と呼ぶ白髪の少年とは対等に話せるようだ。
軍は街警以上に階級差を重要視するイメージが戒理にはあったが、どうやら隊長が若い故か、この部隊は別らしい。
「どうもしない。ヘリに乗りたければ好きにすれば良いが、それ以上の面倒を見てやる義務は無い。警告は初めに済ませてある」
「だとよ、学生くん。流石に今から階段で降りてちゃ間に合わねーだろ。その図体じゃ抱えてはやれねーが、お前さんの脚なら、そこのヘリに飛び乗るくらい訳ねぇよな? 付いて来いよ」
「っ! ですが…」
戒理の素性が知られている事は半ば予想してはいたが、初対面の相手に秘密を握られていると言う状況は、驚かずにいられない。
それに、いくら隊長を任される手練れでも、一人でこの大物、少年の言葉を借りるなら、脅威度Aランクと推定される強敵を相手させるのは、やはり気が引ける。
A級アルミリスとは、本来なら、軍の一個中隊で対応する強敵なのだ。単独で討伐など、正気の沙汰とは思えない。
「良いから早く来いよ。うちの隊長殿なら大丈夫だ。寧ろ、周りに俺たち足手まといが居る方が、邪魔になる」
「なっ…!?」
自分も含めて全員が足手まといだと断じるその言い様に、戒理は返す言葉を失う。
「それに、俺がお前さんの後ろに立ってたのは、余計な真似をさせない為だ。これ以上、言わせんなよ」
暁の言葉に、戒理は息を呑む。
気配が薄いのでは無く、気配を消して背後を取られていた。いつでも無力化出来るように。
そして、これは最終警告であり、本来は無用な慈悲なのだと思い知らされる。
「っ…………分かり、ました」
ここが分水領だと、戒理は悟った。
往生際悪くここで足掻いたせいで、彼が本当に守りたい物を守れなくなる訳にはいかないのだ。
「っし、良い子だ。ほれ、嬢ちゃんもいつまで睨んでんだ? さっさと行くぞっと」
「ちょ!? 暁!! 貴方に運ばれるだけでも不本意極まりないんですから、せめてレディとしての扱いを希望します!!」
戒理の返事に暁は優しげに目を細めると、足元で自分を親の仇の如く睨み上げていた心那を、雑に持ち上げて小脇に抱えた。
彼女は野良猫もかくやという勢いで暴れているが、暁はビクともしていない。一見細身で頼りないが、軍服の下には鍛え上げられた肉体が隠れているのだろう。
「何がレディだ、チンチクリンが。そういう台詞は胸と尻が十倍くらいデカくなってから言え」
「セクハラです!! 紛う事無きセクハラですよ!! それにお尻はともかく、これでも背の割に胸はそこそこあるんですから!! ね? 先輩! 先輩はご存知ですよね!?」
「知らん。邪魔だから早く行け」
「そんなっ!?」
先ぱぁ〜〜〜〜い!!、、、、と、悲しげな叫び声を響かせながら、心那は暁に抱えられてヘリへと戻って行った。
気が強そうな物言いのは同じでも、どちらかと言えばツッコミ気質な姫歌とは違ってイジられキャラなのかもしれない。
「本当に、一人で大丈夫なんだね?」
「お前に心配される筋合いは無い」
「……分かった」
どこまでも淡々と、何の感情も乗せず返される言葉に、戒理は無理やり自分を納得させて、上空を旋回するヘリへと飛び乗った。
『隊長。攻撃予告した時刻まであと5分ありますが、如何しますか?』
最後の一人、戒理が乗り込んだ事を確認した操縦士の隊員が、たった一人で現場に残った白髪の少年に問い掛けた。
「長くても3分で終わらせる。俺がそちらに戻り次第、死骸を焼き払え」
『了解』
さも分かってましたと言わんばかりに、操縦士はニヤリと笑って頷いた。
「彼は、そんなに強いんですか?」
微塵も心配する様子を見せない隊員達に、戒理は思わず問いかけた。
だが、彼の予想に反して、殆どの隊員から返ってきたのは苦笑だった。……ただ一人、殺意すら感じさせる苛立たしげな目つきで睨みつけて来た、心那以外は。
「貴方が先輩の、隊長の強さを疑うなんて、烏滸がましいにも程があります。恥を知りなさい」
獣の唸り声のような低く剣呑な声音で彼女が口にしたのは、紛れも無く侮辱に対する報復の言葉だった。
もちろん、戒理にそんな意図は無かったが、明らかに気を悪くさせたのは自分だと分かっていたので、狼狽えながらも謝罪を口にする。
「ご、ごめん。疑うつもりは無かったんだ! ただ、A級のアルミリスを一人で討伐するなんて、聞いた事も無かったから……」
「あ〜、街警くん。このジャジャ馬の言うことは一々気にすんな。こいつの隊員スキーはもはや病気レベルだからよ。うちに来たばっかの頃は可愛げもあったんだが、すっかりタチの悪いメンヘラに育っちまって」
「は、はぁ」
「誰がメンヘラですか!? そこ! 貴方も頷かないで下さい!!」
「ご、ごめんなさい!?」
完全に巻き込まれ事故だが、戒理は思わず再び謝罪した。
同じ気の強いタイプでも、姫歌とは勝手が違うらしい。
「まあ嬢ちゃんの事はどうでも良いとしてだ、隊長殿の事だがな、ありゃ強い云々と言うより、俺らとはモノが違うんだよ」
隣でまだキーキーと喚いている心那を片手間に宥めながら(力ずくて押さえつけているとも言う)、暁はくたびれた苦笑と共にそう漏らす。
「モノって……彼はその、人間、ですよね?」
恐る恐る、と言った様子で戒理は尋ねた。
その問いは、ある意味でこの街に於いて禁忌に触れると言っても過言では無い、最もデリケートな内容だからだ。
「そいつは聞くまでもねぇだろ? アルミリスを害虫なんて呼んでる筋金入りの差別主義者だぜ?」
「そう、ですよね」
「ただ、隊長殿はその主義を体現するのにちっとばかし向きすぎてる体質に生まれちまったのさ。まあ、見てな。お前さんとは違う意味で、人間辞めてるうちのボスをよ」
どこか憐れむような、憂うような眼差しを下で戦う白髪の少年に向ける暁。
その眼差しの意味を疑問に感じながら、戒理もまた戦場に視線を向ける。
いつの間にかヘリは旋回していた位置から上昇しており、虎型アルミリスの巨体が側にある事も相まって、少年は酷く小さく見えた。
「……仮想サクリファイス、起動」
ヘリが十分に離れた事を確認した少年は、銃撃を一旦中止して何事かを呟いた。
すると間も無く、彼の背中に濃密な蒼い光の粒子が収束し始める。
その様はまるで、今にも羽ばたかんとする巨大な光の蝶が、背にとまっているようだ。
「なっ!? あれは、現界…?」
「確かに現界の予兆に似てるが、ありゃ別物だ。お前さんも身を持って知ってるだろうが、俺ら人間はアルミリスと違って、アルマギアの許容上限がある。そいつを超えると、肉体と自我が崩壊しちまうから、普通は能動的に取り込んだりはしない」
「……ええ。この身体にも、安全機構が掛かっていますから」
「そ。だから俺たち軍人や、君ら街警は機鋼兵装―アルマギアを吸収、収束、放出する特殊な武装で、アルミリスの化物じみた力に対抗してる。けど、それにしたってお前さんみたいなイレギュラーですら、扱える威力に制限がある。反動で身体の方がぶっ壊れちまったら本末転倒だからな」
そう言いながら、暁は自身の脚に装備されたコンバットブーツをコンコンと音を鳴らして叩く。
「例えばこいつ一つ取っても、無制限にアルマギアを放出して何十メートルも飛ぼうとしたら、その前に大腿骨が股関節ぶち抜いて内臓突き破っちまう。そうならない為の安全機構だ。だが……」
言葉の途中で再び白髪の少年に視線を戻した彼は、不敵な笑みを浮かべて続きを口にした。
「隊長殿は、生まれつきアルマギアの許容上限が俺らとは桁一つ違う。しかも、体内に取り込んだアルマギアで、肉体そのものの強度を概念から書き換えられる異能持ちだ」
「 そうか、彼も!?」
「ああ。おたくのお姫様と同じ、異能者だよ」
「っ! 貴方達は、どこまで…」
「おっと、与太話は一旦お終いだ。こっからが良いところだぜ」
暁に言葉を遮られた戒理は、自然と戦場に視線を戻す。
そこで繰り広げられようとしているのが、目を焼く程の苛烈な蹂躙だとも知らずに。
「充填立50%。半径三十メートル以内に被保護対象無し。安全機構完全解除……『叢雲』起動」
「グルオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
蒼い光の翼が少年の背中へと全て吸い込まれた直後、彼の両手に握られた二丁のリボルバーが、音声コマンドを読み込んで自動可変を始めた……が、虎型アルミリスは、そう都合良く待ってはくれない。
前後片方ずつとなった脚で這うように迫った巨体が、容赦無く彼を押し潰さんと襲い掛かる。
「だめだっ、間に合わない!?」
「大丈夫です」
思わず声を上げた戒理に、間髪入れず心那が確信に満ちた声音で返す。
その表情には、絶対の信頼と、誇らしさだけが浮かんでいた。
「抜刀」
最後の音声コマンド。それが読み込まれた瞬間、戦いは決した。
「グオッ……ガッ!?」
虎型アルミリスの巨体を、二条の蒼い稲妻……否、蒼く輝く刃が貫き、少年を叩き潰す寸前で宙に縫い止めていたのだ。
「ガァアアアアアッ!?」
白髪の少年が長大な蒼い刃を容赦無く引き抜くと、虎型アルミリスから悲鳴にも似た雄叫びが上がる。
その瞳には燃え盛るような憤怒だけで無く、得体の知れない小さな強敵に対する恐怖が、確かに浮かんでいた。
「あれは!? アルマギアを収束させて、刃を形成している!?」
戒理の視線は、光の刃の根元、変形して剣の柄と化した武装に吸い寄せられた。
姿を変えたリボルバーは、グリップが銃身と一直線になっている。
銃口は二つに割れ開かれ、そこから濃密なアルマギアの蒼い光が、刃を形作っているのだ。
虎型アルミリスを貫いた時より刃が短くなっている所を見るに、出力を調整して長さも変えられるのだろう。
「厳密には、循環だそうだ。俺も詳しい事は知らねぇが、放出と吸収を繰り返す範囲を固定して、刀みたいな形状に留めてるんだとよ。絶え間なく圧縮されたアルマギアのエネルギーが、グルグル電動ノコギリよろしく回ってるイメージだな。あれに触れたが最後、アルミリスだろうが鋼鉄だろうがバターみたいにスライスされちまう」
「なるほ…っ!?」
戒理の問いに暁が答えた直後、突然白髪の少年がヘリの真横まで飛び上がって来た。
戒理達が飛び乗った時より裕に二十メートルは上を旋回している筈だ。
……幾ら軍のコンバットブーツが優れていても、オーバースペックが過ぎる。本来ならそこまでの跳躍に、身体の方が付いて行けない。
たが、暁の説明通りなら、今の彼は少なくとも、肉体強度に於いては人の限界を超えた存在だ。装備しているコンバットブーツの性能も、他の隊員とは段違いだと考えるべきだろう。
「それだけじゃ無いぜ?」
「え?」
戒理の思考を読んだのか、或いは単に話の続きを口にしただけなのか、暁はニヤリと笑う。
その直後、ボバッ!!という空気が破裂した様な音と共に、白髪の少年が虎型アルミリスへ向かって急降下した。
その速度は亜音速に迫り、単なる重力だけで無い事は明確だ。
どうにか戒理が目で捉えた彼のブーツの足裏から、戦闘機のターボから吐き出される火炎の如く、高密度の蒼い光が噴き出している。
そして、瞬く間すら無い刹那で虎型アルミリスの眼前に飛来した少年は、身体ごと縦に回転し、その両手に握る破滅の刃を振り抜いた。
「死ね」
斬撃と同時に伸びた光の刃と、なす術もなくそれを受け入れた虎型アルミリスの肉体。
濃密なエネルギーの塊同士がぶつかり合った瞬間、夜空を塗り替える程の蒼い火花が散る。
だが、その衝突はほんの一瞬すら拮抗する事なく、大車輪の如く回転して白髪の少年は着地。
その軌跡を、光の刃が駆け抜ける。
「グッ!?」
虎型アルミリスは反応するどころか、気が付いた時には頭と胴以外の部位を全て斬り落とされていた。
その断面から、光の粒子が流血のように天へと向かい消えていく。
「ゥグッ……ガッ…?」
この世界の生物であれば、当に絶命している損傷具合だが、どうやら虎型アルミリスは、まだ命の灯火が消えてはいないようだ。
どうにか生き残ろうとしているのか、それとも助命を請おうているのか、胴体と首だけとなった身体で身じろぎしている。
「無様に足掻くな。潔く果てろ、害虫」
情け容赦の一切無い言葉と共に、白髪の少年は虎型アルミリスの首を落とさんと、蒼い刃を振り下ろした……。
お読み頂き感謝の極み。
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次話は明日投稿します。