アルマ災害
「何よ、これ……」
余りにも受け止め難い光景を前に、姫歌は呆然と、そう呟いた。
彼女の前に広がっていたのは、瓦礫の山と抉れた地面。
そして、その中心に立っているのは……
「ギャォォォォッッッ!!!!」
「グルァァァァァアアアアッ!!!!」
「ゴォォォアアアアッッッ!!!!」
三体の巨大な現界したアルミリス。
四つ足で対になるように立っている二体はトカゲを思わせる形状で、口の端からは凶悪な牙が覗いている。体長はおよそ五メートル前後だろう。
一概に大きさだけで脅威度を測る事は出来ないが、低くてもC級……ともすれば、B級に届くであろう威容を放っている。
だが、問題はその二体の間に二足で立つ最後の一体。
トカゲの様なフォルムは二体と似通っているものの、その大きさが段違いだ。尻尾も含めれば、恐らく体長十メートルを超えている。
そして何より、その背中からは二対の翼が伸びており、まるで神話の生物ーーードラゴンだ。
+*+*+*+
ーーー時は数分前に遡る。
姫歌と戒理を席へ案内した後、支配人はエントランスに戻り、明日以降の予約内容を綿密に確認していた。その中に、特にサービスしなくてはならない客達が居るからだ。
実を言うと、今日もそれなりの数の予約が入っていたのだが、心那から連絡を受けた時点で、全て別日へ変更して貰うか、或いはキャンセルして貰ったのだ。
その状況だけだと誤解を生みそうだが、心那が軍の権威を使って圧力をかけたなどという訳では無い。それどころか、彼女はわざわざ放課後に店まで来て頭を下げたくらいだ。
そして、支配人は予約の状況などを彼女に一切伝えること無く、二つ返事で引き受けた。
理由は単純。彼とこの店は以前、心那を含めた第七執行部隊に救われたのだ。その出来事以降、店に招いたり差し入れをしたりと、何かと付き合いが続いている。……特に、心那や星は自分の子供どころか孫でもおかしくは無い年齢という事もあり、いつも気にかけていた。二人がトップクラスの戦闘力を有する軍人という事は自身の目で見て知ってはいても、やはり子供が戦場に立つことに、無関心ではいられない。
だからこそ、こうして頼られることは嬉しくもあり、自分に出来る限りの協力は惜しまないのだ。
改めて、そんな思いを抱きながら、支配人は無意識に微笑み、予約の整理を終える。
その時、ふと、エントランスの窓から店の前に立つ人影が見える。大人の女性一人と、中学生くらいの少女が二人。どうやら親子連れのようだ。
豪奢な外観のため基本的に予約無しで来店する客は少ないが、ごく稀に、直接店に来る客も居ない訳では無い。なので、支配人は外に出て、今日は案内出来ない旨と、店の連絡先を渡そうと扉を開けた。
「申し訳ありません。本日は既にご予約で……っ!」
眉を八の字にして断りの文言を口にしようとした直後、支配人は思わず口をつぐんだ。女性と二人の少女達の格好が、とても外を歩く姿には見えなかったからだ。
身に纏うのは、病院着の様な質素なワンピース一枚。他には何も身につけておらず、裸足のまま道路に立っている。生地の表面から見える起伏からして、恐らく下着すら着けていない。
伸ばしっぱなしの髪のせいで表情はよく見えないが、あまり溌剌とは言い難い。
「……少々お待ち下さい。何か羽織る物をお持ちします」
支配人は動揺したのも束の間、すぐに表情をいつもの柔らかな笑みに戻し、制服の予備を取りに戻ろうとした。
「いいえ、お気持ちだけで結構です。ありがとう。誰かに優しくされたのなんて、もういつぶりかも思い出せませんが……出来る事なら、貴方の様な方には死なないで欲しい。けれど、もう時間が無いんです」
だが、女性は儚げに微笑んで、支配人の厚意を断った。
その後に続く不穏な言葉から、彼女らが何らかの事件に巻き込まれていると予想した支配人は、慎重に言葉を選んでどうにか寄り添おうと試みる。
「……ご事情は存じ上げませんが、私で力になれる事があれば、どうぞ遠慮無く仰って下さい」
「ありがとう。なら、どうか貴方と貴方の大切な人だけでも、今すぐここから……いいえ、出来るだけこの街から遠く離れた場所へ逃げて。私たちが、全てを壊してしまう前に」
「っ!? なんて事だ……」
虚だった女性の瞳が潤み、目の端から一筋の雫が落ちたその時、彼女と傍の少女達に、蒼白い光が収束し始めた。
その光景を見て、支配人の中で過去の惨劇がフラッシュバックした。
「っ、申し訳、ありませんっ……!」
だが、すぐに正気に戻り、心那達に緊急事態を伝える為、店の中へと駆け戻る。
最後に口にした謝罪は、自らの力では救えない彼女らへの物。
その気持ちが、痛いほど嬉しくて、女性はその身が化物へと変じるその時まで、笑顔で涙を流し続けた。
+*+*+*+
「嗚呼……何と言うことだ」
支配人は変わり果てた姿となった女性と少女達を見上げ、その顔を悲嘆に歪める。
「っ、何してるの!? 早く避難して!!」
余りに突然の出来事に茫洋としていた姫歌だが、支配人含め、周囲にまだ一般人が居ることを思い出し、正気に戻って叫ぶ。
「……もう手遅れです。チッ、何でよりにもよってこんな時にっ」
「は!? アンタ何言って……!?」
後ろから聞こえてきた心那の投げやりな言葉に、姫歌は反射的に振り返る。
そして、あり得ない光景に、再び絶句した。
倒壊していたのは、レストランの周囲の建物だけではなかったのだ。
遠目に見える街の幾つもの箇所から白煙が上がり、泣き叫ぶ市民の悲鳴が響き渡っている。
それはまるで、歴史の教科書でしか見たことの無い、アルマとこの世界が繋がった当時のこの街の有様、荒廃世界の様だった。
「っっっ……………」
もちろん、街がほぼ更地と化した当時に比べれば、被害自体は遥かに小規模だ。
だが、現代を生きる姫歌達のような戦争を経験したことの無い世代にとって、言葉を失うには十分すぎる光景だった。
「あの男……やはりまだ生きてやがったんですね。くそっ!! せめて機鋼兵装だけでもあれば!!」
心那の呟きは誰に対しての物か、姫歌達には分からない。けれど後半に関してはここに居る全員に共通する思いでもある。
今ある武装は特専の生徒達が持つ訓練用の装備のみ。だと言うのに、状況は一刻の猶予も許さない。
「「グルオオオオオオオオオオオオッッッ!!」」
「「「っっ!!??」」」
ドラゴン型の脇に控えていた二体のトカゲ型アルミリスが、堪え切れんと言わんばかりに咆哮し、人々へギラついた目を向ける。いつ襲い掛かって来てもおかしくない様子だ。
「……行くしかありませんっ!!」
「ちょっ!? おい!?」
心那は腰を抜かせて呆然としていた秀一から片手剣型の訓練用武装を奪い取り、瞬時に前に出た。
その隣に続く影が、もう一つ。
「ダメだ!! 僕が時間を稼ぐから下がっててくれ!!」
戒理だ。彼もまた、クラスメイトの一人から槍型の武装を借り受け、走り出していた。
「また貴方はそうやって…」
「今はそんな事言ってる場合じゃないだろ!?」
「だからそれが勘違いだって言ってんですよ!? いい加減、自分に出来ることと出来ない事の区別くらいつけて下さい!」
「君だってその装備じゃどうにもならないだろ!! 良いから後ろに!!」
「自分はいざとなれば…」
「アンタら前見ろぉ!!!!」
「「っ!?」」
怒鳴り合いながらアルミリスに突っ込んで行った二人は、すぐ後ろまで追って来た姫歌の声にハッとして視線を前に戻す。
流石に二人も馬鹿では無い。二体のトカゲ型アルミリスが動き出す前だったからこそ話す余裕があったのだ。……だが、注意不足だった事は否めない。
迫るその二体の間で、ドラゴン型のアルミリスが巨大な顎を開いて蒼白の光を口内に溜め込んでいたのだから。
放たれようとしているそれが、正に竜の息吹と言える破壊力を有している事は、想像に難く無い。
「我々の列より内側に居る方はすぐに外へ!! 出来るだけ遠くまで離れて下さい!!」
射程は分からないが、店員や客に扮装していた第七執行部隊の隊員達は、推定射線上に居る人間を一人でも逃がそうと隊列を組んで大声を張り上げている。
だが、それで果たしてどれだけ救えるかは分からない。万が一ブレスを放ったまま左右に首を振られでもすれば、数十メートル逃げたところで意味は無いのだ。
「…僕が奴を止める!! リミッターを外して限界までアルマギアを集めれば、一撃くらいなら何とか防げるはずだ!!」
「威力も分からないのに適当な事言うな!! 他に、他に何か……っ」
戒理の言葉が、自爆覚悟であると悟った姫歌は、悲壮な顔で続く言葉を探す。
「姫歌……ごめん。ありがとう」
けれど、他の方法など現状であるはずも無く、ただ悪戯に時間切れの時が迫るだけだ。だから、戒理は泣き笑いの様な顔で、再び走り出そうとした。
「はぁ………仕方ありませんね」
その僅かな停滞の中、小さな影が二人の思考を置き去りに、疾風の如く駆け抜ける。
「なっ!? アンタ何してっ!?」
姫歌が伸ばした手は、虚しく空を切った。
「信じてますから。自分は、自分に出来る事をするだけです」
心那は、二体のトカゲ型の間を縫うように、蒼白の光の尾を引きながらドラゴン型の懐に飛び込んだ。
臨界に達そうとする顎の、その正面へ。
「同情はしません。けれど、悼み続けます。だから……」
どうかあの人を、恨まないで。
激しい動きと反比例する様に凪いだその表情は、どこか彼女が慕う少年に似ていた。
そして、遂に臨界点に達した暴虐のエネルギーが、解き放たれる。
「ゴアアアアアアアアアアアアツツツツ!!??」
空を染め上げる蒼白の光が、白夜の如く街を照らした。
ドラゴン型は、その顎を開けたまま真上を見上げさせられていた。
顎下から喰らった、強烈な一撃によって。
そして、それを成した少女は……
「かはっ……チッ、これだから私の身体は」
血を吐きながら、地面に叩きつけられようとしていた。
よく見れば、彼女の右腕は肘から先があらぬ方向へ曲がり、ボロボロになった剣の柄を握る手は血塗れだ。刃は粉々に砕け散り、彼女の周囲をダイヤモンドダストの様に舞っている。
まるで、神に見捨てられた天使が地に舞い落ちて来るような、凄惨でありながら神秘的な光景。
「っ、バーミリオンさん!! なっ!?」
何とか受け止めようと慌てて飛び出した戒理だが、その向こうに見えた逃れられない厄災に目を剥き、勢いが鈍る。
そう、破滅の光は、今尚放たれ続けているのだ。
ドラゴン型の瞳が、ぐりんと戒理、そしてその背後の人々へと向く。
このまま竜が首を振れば、辺りは塵すら残さず消し飛ぶに違い無い。
「うっ、うああああああああああああああ!!??」
「戒理っ!?」
戒理は狂った様に叫びながら、砲弾の様に飛んだ。
作り物である筈のその瞳を絶望に染めて、何かに縋る様に手を伸ばす。
「ゴアアアアアアアッッ!!」
だが、無情にも、死神の鎌は振り下ろされる。
「ははっ…」
「っっっ!?」
地面に激突するまでほんの数メートル。心那は、力無く笑った。
その顔が酷く綺麗で、戒理は一時意識を奪われる。
「よくやった」
温度の無い賞賛の声が響いた、その時まで。
「グギャァァァアアアアアッッッ!!!???」
これまでの咆哮とは明らかに違う、苦悶の叫び。
放たれるはずだった破壊のエネルギーは上空で霧散し、光のベールだけが残る。
その、向こうには。
「先輩……っ」
ボロボロの心那を片腕に抱えた、星が立っていた。
ドラゴン型アルミリスは、彼がもう片方の手に握る長大な光剣ー『叢雲』ーに顎下から頭頂部まで貫かれ、動きを止めている。
「申し訳、ありません……時間稼ぎしか、出来ません、でした」
「十分だ。謝る必要は無い」
「っ……はい、お願いします」
心那は力無く笑うことしか出来なかったが、その瞳からは溢れんばかりの喜びと信頼、そして思慕の熱が感じられた。
「グルアアアアアッ!!」
「ギャオオオオオスッッ!!」
そんな二人へ、急な事態の変化に動きを止めていた二体のトカゲ型アルミリスが、我を思い出したかのように襲い掛かる。
「ああ、任せろ」
どこまでも淡々としたその答えと、結果は同時だった。
蒼白の閃きが、瞬きすら許さぬ間に数多の軌跡を描く。
「「「っっっ!!??」」」
瞠目する姫歌達の前で、トカゲ型の巨体が光の粒子となって霧散した。
ドラゴン型から引き抜いた『叢雲』で、星が斬り刻んだのだ。
蹂躙と言うのも生温い、圧倒的な鏖殺。
「白い、悪夢……」
目の前でそれを目撃した戒理は、無意識にそう呟いていた。
「これより、第七執行部隊隊長、真白星中佐の名を持って、緊急任務を開始する。武装した隊員は速やかに、管轄内の害蟲共を殲滅せよ」
絶望に、悪夢が牙を剥く。
お読み頂き感謝の極み。
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