覚悟の証明②
「ぅっ……も、もう、許してくれぇ!」
官学の訓練場に、苦しげなうめき声が響く。
声の主は、先日の訓練で最初に星に挑んだ男子生徒、牧瀬秀一だ。
その訓練着は既にボロボロで、相当体力を消耗したのか、「はぁ、はぁ…」と、荒い呼吸を繰り返している。
彼と同じように、『特専』の生徒達は死屍累々の有様で、そこら中に転がっていた。
そんな彼らに、一人だけ傷一つ無い綺麗な訓練着を纏って立つ心那から、冷ややかな声が浴びせられた。
「喋れる内はまだ戦えます。訓練続行不可と見做すのは、四肢の何れかが動かなくなるか、内臓に深刻なダメージを負った場合のみです。そうでないのなら、死ぬ一歩手前まで体力を絞り出して下さい」
「「「鬼かっっっっ!!??」」」
倒れている生徒達が、一斉に反発の声を上げた。確かに、案外まだ元気なのかもしれない。
……とは言え、彼らがこれまでの人生で経験したことが無いほど消耗しているのは事実だ。
星と二人で彼らの心をバキバキに折った翌日から、心那はこうして放課後の時間を使い、彼らに訓練を施している。
その内容は単純で、三〜五人の任意のチームを組み、心那と戦うと言う物だ。
ただし、彼女の許可が降りるまで、ひたすら戦い続けなければならないと言うルール付きで。……要するに、立てなくなるまでしごいているのだ。
訓練とは言え、戦闘には激しい緊張が伴う。肉体的にも精神的にも常に追い詰められ続ける状況は、青少年達がこれまで経験したことの無いほどの消耗を強いていた。
一見、抜け道は幾らでもあるように思える。すぐに思い付く単純なものから言えば、誰かが心那の相手をしている間、他のメンバーは体力回復を図る、など。……もっとも、そんな安易な手が許されない事は、ご覧の通りだが。
そもそも、多少なりとも本気を出した彼女の相手を一人で務められる者など、このクラスには居ない。身体能力で言えば、アルミリスの生徒や戒理なら対等以上だろうが、やはり技、駆け引き、視野の広さなどに歴然とした差が有るのだ。“死神の鎌“などと呼ばれる執行部隊で、エースを張る実力は伊達では無いと、クラスメイト達は改めて思い知った。
しかも、そんな彼女が先日の訓練とは異なり、常人なら足がすくむ程の殺気を常に纏いながら相手しているのだ。その圧力を受け続けるだけで、ガリガリと精神力を削られて行く。体力が多少残っていても、気力はとっくに尽きているのだ。
だからこそ意味がある。と、心那は内心で独りごちながら、再び口を開いた。
「貴方達がこれから戦うかもしれない相手は、鬼や悪魔より人を殺してきた実績のある“化物“なのですよ? これは別に現界したアルミリスに対してだけの差別的な例えではありません。“人を殺し慣れている人“もまた、化物と変わり無い。そんな相手を前にして、戦場で死にかけている時、或いは仲間が目の前で殺されようとしている時に、息が切れたからと立ち上がる事を諦めるのですか? それとも、窮地に陥ったら普段以上の力がいきなり出せるとでも?」
「「「……」」」
今度は誰も反論を口にしなかった。つい先日、如何に自分達の考えが甘いか思い知らされたばかりだからだ。
「答えは“否“です。火事場の馬鹿力の様な物がある事は否定しませんが、それが毎回、いつでも救ってくれるなんて幻想は、早々に捨てるべきです。敵の前に立つこと、市民を背に庇うこと。我々が日々直面する現場は、常に自分と他人の命を懸けているのですから。……さて、それでも貴方達は、まだそこに寝ているつもりですか?」
「「「っっっ……!!」」」
よろよろと、生徒達が立ち上がり始めた。
そう、これが心那の考えた、彼らの“覚悟“を鍛える方法だ。
言葉だけで、人の考え方やモチベーションに変化をもたらすのは専門家であっても限度がある。ましてやそれが、不特定多数の大して親しくもない相手なら尚更だ。心那とて、そんな事は百も承知。
故に彼女は、“肉体側“から彼らの精神にアプローチする事にした。
具体的には、擬似的に過酷な状況を何度も体感させ、星の言った『意志、努力、覚悟』の必要性を生存本能の刺激と共に彼らの内側へ刻み込む、と言う物だ。
一見、脳筋的な発想のようで、実に有効な手段であることは、世界中の軍隊教育の歴史が証明している。思考が脳に由来する以上、生命活動を行う肉体そのものが精神に及ぼす影響は言わずもがなだ。……もちろん、やり過ぎは精神汚染に繋がるが、彼女はその引き際を良く弁えている。
特に、意思や努力は一朝一夕でどうにもならなくとも、“覚悟“は、精神に大きな影響を及ぼす物ごとがあれば、それだけで大きく変わる。
下手な絡め手や説教を弄するより、リアルな死の危険を体感させるのが、一番手っ取り早いのだ。
……何より、心那はその身を持って知っているのだ。悪い方にも、良い方にも、人が本物の“覚悟“を決める、その時を。
「よろしい。では、牧瀬さんの班からもう一度、かかって来て下さい」
戦闘体制を整えた生徒達を見て事務的に頷いた心那は、改めて彼らが動けなくなるまで、徹底的に叩きのめした。
+*+*+*+
「……ま、今日はこんな所ですかね」
「「「………(チーン)」」」
血こそ流れていない物の、そこに転がっている生徒達は、本当の死体にしか見えない。……もちろん、よく見れば浅く呼吸もしているし、ビクッ、ビクッと、酷使された筋肉が痙攣していたりもするのだが、自発的には指一本すら動かせない有様なので、まあ死体の様な物だ。
「さて、貴方はどうしましょうね?」
「どう、と言われてもね……」
そんな惨状でただ一人、まだ立っている者が居た。
足元に転がっているチームメイトー目を回して伸びているメルティーと、無言のまま意地でも立ちあがろうと足をピクピクさせている姫歌を、苦笑しながら見下ろしている、戒理だ。
「人型機鋼兵、でしたか。ほぼ機械の身体とは聞いていましたが、体力の消耗が無い所を見るに、やはり臓器も人工物なのですか?」
「うん、まあ。でも、お陰様で自分の未熟さは改めて思い知れたよ。……侮っていたつもりは無いけど、少なくとも人間とは規格外のこの身体で、生身の女の子相手に一撃も入れられ無いとは思っていなかった」
戒理は掌を閉じたり開いたりしながら、悔しげに眉を顰めた。
「それは貴方が、“全力“を出していなかったからでは? 少なくとも、肉体の強度と持久力に於いては自分に勝っているのですから、技術や経験が足りなくても、機械の馬力でゴリ押しすれば良かったのです」
「……そう、だね。出来ない訳じゃ無い、とは思うんだけど」
「……?」
言葉を濁す戒理に、心那は視線で説明を促す。だが、彼は即答できず、少しの間考え込んでから、おずおずと口を開いた。
「えっと、言うまでも無いだろうけど、この身体を動かすエネルギーは、機鋼兵装と同じでアルマギアなんだ。だから、高い出力には相応のアルマギアを吸収する必要があって……その、恥ずかしながら、僕の精神がそれをどこまで許容できるのか、分からないんだ」
心那から目を逸らしたまま、戒理は自嘲の笑みを浮かべる。
「つまり、許容限界を超えて自我が崩壊する可能性があるから、セーブしていると?」
「そんな感じ、かな」
「……なるほど」
歯切れの悪い返事を気にした風も無く、心那は顎に手を当てて思案する。
かと思えば、パッと明るい表情になり、あっけらかんとこう言った。
「では、貴方に関して出来る事は、自分には無いですね」
「………え?」
あまりにもあっさりと告げられたその答えに、戒理は間抜けな顔で問い返した。
「い、いや、確かに出力に関しては僕の方の問題だからどうしようも無いけど、君との訓練は勉強になるし、良い経験を積ませて貰えてると思うんだけど?」
「別に自分は技術指南をしている訳ではありません。勝手に盗む分に文句はありませんが、先輩があなた方に求めているのは、そんな小手先の成長じゃないでしょう? 貴方の場合はここに居る皆さんより、もっと根本的な問題を先に解決すべきです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!? 僕はこれでも、姫歌の守護者としてずっと前から覚悟を決めているつもりだ。皆の事を悪く言う気は無いけど、僕が彼ら以前の問題って、一体どういうっ」
思わず食ってかかった戒理に、心那は心底呆れた顔でため息を返した。
「はぁ〜〜〜……。だ・か・ら、それが問題だって言ってんですよ。ただ覚悟が決まってないだけならまだしも、貴方は覚悟が決まっていると思い込んでいる。先ずはその勘違いからどうにかしなければ、話になりません」
「なっ!?」
「とは言え、それを正そうにも自分じゃ、貴方を一回殺して生まれ変わらせるくらいしか思いつきませんし、実質無理ですね」
「いや、だから僕は、別に思い込んでる訳でも勘違いしている訳でも無くて……え? 今なんて?」
「まあ、貴方自身が死ぬ分には別に自己責任ですし、無意識にそうなっても良いと思っているのかも知れませんが……そこに転がっている貴方のお姫様が本当に死んでからじゃ、遅いんですよ?」
心那は呆れ顔のまま、姫歌を見下ろした。
「……そんな事、言われなくても分かってるよ」
「じゃあ、何で行動に移さないんですか? 先日の誘拐未遂の顛末も聞きましたが、なりふり構わず彼女を助ける方法なんていくらでもありましたよね?」
「っ……」
言葉に詰まってしまった戒理を見て、心那は「はぁ〜〜〜」と、もう一度深くため息を吐き出した。
「もう良いです。取り敢えず、貴方の寝ぼけた頭を覚まさせるには、ここで訓練していても仕方無いという事は分かりました。正直、自分にとってはどうでも良い事なので、ここで放り出しても良いとは思うのですが……まあ、先輩から帰還命令が出るまでは、一応あなた方の面倒を見るべきだと考えているので、思いつくやり方から試していきましょう」
「………お、お手数をおかけします」
やはり認めたくは無いのか、戒理は僅かに逡巡するような間を開けたが、結局素直に頭を下げた。
「丁度明日は学校が休みですし、せっかくなので何人か協力者を集めましょう。差し当たっては……」
心那は徐に振り返ると、未だ地面に伏せってピクピクしている姫歌の側へ歩み寄った。
そして……
「西院姫歌! いつまで寝ているつもりですか!」
その脇腹を無造作に蹴り上げた。
「がはっ!? こ、このクソメンヘラトマト……何すんのよっ!?」
「中身はともかく、貴方は仮にも女性でしょう? いつまでも情けない格好で倒れていた罰です。学生隊員と言えど公務員の端くれ。市民のお手本になるような姿を心がけなさい。あと、次にその胡乱な呼び方をしたら今度は手加減無しでアバラを砕きますよ」
「女子の脇腹蹴り上げるのが公務員のやることか!?」
「軍の教育基準ではこの程度、体罰の内にも入りません。そんな事より、貴方の守護者を少しはマシにする為に、やって貰うことがあります」
「あ? 何よ藪から棒に……」
恨みがましい目で心那を睨み上げなら、姫歌は何とか意地で立ち上がる。
そんな彼女に、心那は満足そうに頷きながら、何故かドヤ顔でその命令を口にした。
「黒守戒理、西院姫歌。明日一日、指定のエリアでデートしなさい!!」
「「……………は? はあああああああっっっ!!??」」
意味不明な命令に困惑を隠せないのは、絶叫した二人だけでは無い。
だが、ここまで完全に他人事として彼らのやりとりを聞いていたクラスメイト達は、その後キラッ!と輝いた心那の瞳に視線を向けられ、自分達にも災難が降りかかる事を悟るのだった……。
お読み頂き感謝の極み。
次話は明日投稿……出来ると良いなぁ。
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