登校①
その朝も、姫歌とメルティ、戒理は、いつもの如く同じ面子で登校していた。
官学の生徒は、敷地内の寮に住まう者と、外の学校指定マンションに住む者に分かれる。
どちらを選択するかは個人の自由だが、傾向としては裕福な家の者や、軍、街警、或いは政府の要人の子息などが指定マンションを選んでいる。
理由は単純に、指定マンションの方は追加費用が発生するからだ。
官学は学費や教材費、そして寮での衣食住に関しては生徒側の負担が発生しない。
ただ、指定マンションに関しては別で、寮よりも部屋の間取りや設備、何よりセキュリティが充実している為、管理費と言う名目で生徒側に利用料を請求している。
当然だが、官学の敷地内にある寮のセキュリティも万全だ。
ただ、徒歩圏内とは言え学校とマンションまでは距離が有る。
実際の物理的セキュリティの強度は別として、明らかに政府の息がかかった公共施設と、住宅街に存在するマンションでは、手を出す側の精神的ハードルには雲泥の差があるのだ。
「……だからって、コイツに部屋の鍵まで渡してんのはおかしいでしょうがーーー!!??」
と、そんなマンション住まいのブルジョワジー(死語)の一人である姫歌は、戒理の方を指差しながら自身の置かれた状況に絶叫していた。
「仕方無いよ。僕は君の守護者なんだから。いつでも守れる様に万全を期すのは当然さ」
嫌味なほど(顔面偏差値に自信の無い男子と約一名の女子にとって)爽やかな笑顔を浮かべて、戒理は当然とばかりに姫歌の言葉を否定する。
……もっとも、結果的には姫歌の額に青筋を増やしただけだったが。
「だからって、わざわざ起きる前からベッド横にスタンバる必要ある!? 普通にドアの前で待っときなさいよ!?」
「もう、姫歌ちゃん! 朝から大声出さないの。元はと言えば、姫歌ちゃんが寝坊したのがいけないんでしょう?」
メルティはまるで姉の様に姫歌を嗜めるが、残念ながら彼女の怒りは全く治らない。
「だからって何の躊躇も無く年頃の女の寝室まで踏み込む!? 普通に考えてもっと配慮と言うか遠慮するもんよ!!」
「年頃の、女?………ははっ」
「ぶっ殺す!!!!!」
皮肉気な乾いた笑いを漏らす戒理に、姫歌の殺意は止まることを知らない。
整った顔立ちだけに、般若の如き形相には迫力があった。
「だ、ダメだってばぁ!! ただでさえギリギリなのに、これ以上道草食ってたら遅刻しちゃうよ!?」
恵まれた体格を生かして姫歌を羽交締めにするメルティだが、頭ひとつ分以上小さい彼女は構わず「ふがー!! ふがー!!」と野良猫の様に暴れまくる。
「別に裸を見た訳じゃあるまいし、何をそんなに怒ってるのさ?」
「寝起きの寝間着姿見ただけで十分万死に値するわ!!」
「僕の命軽いな〜」
「………(ブチッ)」
飄々とした態度を崩さない戒理に、姫歌の目は野良猫を通り越して獲物を狩る虎の如く剣呑に細められる。
「あ、ヤバ……ご、ごめんね? 姫ちゃん?」
「ひ、姫歌ちゃん!! ほら、取り敢えず学校!! 学校行こっ!?」
「ちっ………その呼び方やめろっつってんだろ。はぁ〜〜〜〜〜」
流石に焦りを見せた戒理と、露骨にあたふたするメルティの様子に、姫歌は怒りを通り越して呆れ果てた長いため息を吐き出す。
「……てか戒理。いっつも超絶余計なお世話焼くクセに、何で昨日は迎えに来なかったのよ?」
「それは……」
そう。戒理はいつも姫歌を部屋まで迎えに行っている。メルティとは、その後エントランスで合流しているのだ。
だが、昨日に限っては、そのルーティンを破って一人で登校していた。
「昨日もメッセージ送ったけど、腕の修理で登校時間ギリギリまでラボの方に居たから、迎えに行けなかったんだよ」
「は? そんなメッセージ……あ」
姫歌は端末のディスプレイをスクロールし、今更ながらに彼から送られた電子メッセージを確認する。
「はぁ…。そんな事だろうと思ったよ。まあそれは別としても、てっきり僕は、姫歌は昨日一日休むと思ってたんだ。君の異能は、消耗が激しいから」
「別に大したこと無いわ。一昨日は数が多かっただけで、重傷者は少なかったもの。……まあ、クソ兄貴にはキツかったら登校免除しても良いとは言われたけど、それはそれでアレに甘えてるみたいでムカつくし、立てないほどじゃなかったから登校しただけよ」
「意地っ張りだなぁ。まあ、應ニさん…課長も姫歌の性格分かってるんだから、もうちょっと言い方考えても良いと思うけどね」
「あはは…で、でも、課長が無理に休ませなかったってことは、きっと大丈夫って判断したからだよ。なんだかんだで、姫歌ちゃんを一番心配してるのは課長なんだから」
呆れた様な物言いの戒理の言葉を、メルティが苦笑いでやんわりと諌める。
たが、話題の中心である姫歌自身が、メルティの言い分に眉を顰めた。
「どうだか。少なくとも記憶にある限り、クソ兄貴の顔なんてあの薄気味悪い愛想笑いしか見た事無いし、心配してる様な言動もポーズでしょって感じだけど」
「姫歌ちゃんの方こそ、課長のこと斜に構えて見過ぎだよぅ……」
「仕方無いでしょ。未だに家族って実感一つも無いんだから。それこそずっとそばに居るって意味じゃ、私が目を覚ましてから、ずっと一緒に居るメルティの方がよっぽど姉妹みたいな気がするわ」
「……嬉しいけど、複雑な気持ちだよ」
「あれれ、姫歌さん? それだと僕も同じ扱いで良いと思うんだけど如何ですか?」
「アンタは年々あのクソ兄貴に表情とか言動が似てきてキモいから無理」
「全力で否定し辛い理由で拒絶されてる! こ、これでも守護者として結構頑張ってるつもりなんだけどなぁ」
言われた側から應二によく似た芝居がかった仕草で落ち込んで見せる戒理に、姫歌は一瞥だけくれてそっぽを向く。
「知ってるわよ。そんなこと。………ばか」
シン………と、それを聞いた二人は束の間立ち止まって黙り込んだ。
「…………そ、そっか。うん。ありがとう?」
「は、はぁ!? 何お礼なんか言ってんのよ!?」
「姫歌ちゃんて、そういうとこ天然だよね………なんてあざといツンデレさん」
「メルティ!? アンタにだけは天然とか言われたく無いけど!? てか別にデレて無いんですけど!!!!」
「「いやぁ〜〜〜………」」
「な、なんなのよ!!??」
熟れたイチゴの様に真っ赤な顔でぎゃーぎゃーと必死になる姫歌を、メルティと戒理はちょっと恥ずかしそうな顔で生温かく見守る。
……だが、そんな平和な青春風景の中に、一雫の濁った絵の具が垂れ落ちた。
「ったく。……? なにかしら、あいつら。男同士でやたらひっついて気持ち悪いわね」
姫歌の視線の先では、確かにゴツいガタイの男達が何やら体を寄せる様にして路地でたむろしていた。
確かに少し違和感のある光景だが、何処の街にも無意味に群れて示威したがる不良っぽい者達は一定数存在する。特別珍しいとも言い切れないだろう。
「姫歌ちゃん。 恋愛観は人それぞれ。性癖は自由なんだから。偏見や差別的な発言はいけません。良いじゃない、男同士だって。いえ、男同士だからこそ!!」
「いやそういう話じゃ無いから。てかアンタの方こそ私に性癖押し付けないで。私はそっちの世界には行かないし知りたくもないから」
「むぅ……。さっきは姉妹みたいって言ってくれたのに」
メルティの常識人の皮で包んだ腐った発言をバッサリ切り捨て、姫歌は視線に剣呑さを滲ませる。
「そうじゃ無くて、あいつら、何かを囲んでるって言うか、路地の奥に押し込もうとしてない?」
「へ?……あ、ホントだ。なんか、ちょっと変だね」
「言われて見れば……」
三人の認識が共有された、その時。
「た、助けてぇっ!!??」
「「「っっ!?」」」
突如、男たちの向こう側から幼い少女の悲鳴が響いた。
その瞬間、姫歌は走り出していた。
「クソ野郎共がっ!?」
「姫歌!? っ…メルティ! 課長に連絡を!」
「う、うん!」
慌てて姫歌を追いかけながら、戒理はメルティに指示しつつ後を追う。
「おいコラ!? 朝っぱらから何してんのよ!?」
「ああ? 何だよガキか。こっちにはこっちの都合があんだよ。さっさと失せな」
男の内一人は反応するものの、ろくに相手にもせず少女をグイグイと路地の奥へ押し込んで行く。
集合住宅に囲まれた路地は一見繁華街より安全に見えるが、監視カメラや人目が少なく、増してや通勤通学で大通りばかりを急足で人が歩いているこの時間は、足を止めて様子を伺う様な者も居ない。
ここで放置すれば、少女の身に何が起こるか。想像するだけでも無数の最悪が脳裏を駆け巡る。
「このっ!?」
「姫歌、行こう」
「はっ!?」
だが、戒理は無情な決断を告げる。
当然だが、姫歌は理解出来ないと言わんばかりに額に青筋を浮かべる。
「アンタ何言ってんの!? どう見たって放っとけないでしょ!?」
「どう見たって放っとけないから、今すぐここを離れなくちゃいけないんだ!!」
「っ!? ちょっ!?」
問答無用で姫歌の手を取って、戒理は駆け出す。
だが、もう遅かった。
「おおっと、ここまで来てトンズラは無しだぜ。守護者君?」
「っ……そこをどけ。僕に剣を抜かせるな!!」
背中のホルダーに差した大剣に手を掛けながら、戒理は普段見せることの無い鬼の形相で凄む。
「うおっ…….へへ、聞いてた通りの甘ちゃんだな。お陰でこっちは準備が整ったぜ!!」
男は気圧されながらも、歪んだ嘲笑を浮かべた。
その反応に姫歌は、今更ながら自身の置かれた状況に気付き、無心で助けようとした少女の方へ振り返る。
「嘘、でしょ……?」
何故、官学のセキュリティは一般の学校に比べて堅牢なのか。
何故、自身が住まうマンションに管理費と言う名の富裕層にのみ支払える高額な料金が発生しているのか。
そして、何故、自分には黒守戒理という守護者が常駐しているのか。
彼女は今日この日、思い知る。
「……ごめんね。お姉ちゃんっ」
幼い少女は、罪悪感を涙に変えて溢れさせていた。
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